ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2022-01-01から1年間の記事一覧

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・9

『9:関西時代のデヴィッド・フードの活動と彼の唱える技術論』 デヴィッド・フードが担当した茨木CCの設計では諸事から造成が不本意な事となり、1925年10月1日に18ホール(2757・3027=5777yd)が開場した少し後にはデヴィッドは二度目の離日をしているが、…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・8

『8:デヴィッド・フードと茨木CC設計の概要』 デヴィッド・フードの日本に於ける最大の功績と云われているのが茨木CCの設計であるが、これは彼を始め関係者一同苦闘の場でもあった。この書き物はデヴィッドの来歴と活動を辿ることがメインであり茨木CCの倶楽…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・7

『7:日本に於けるデヴィッド・フードの補足-再来日と関東大震災からの関西移籍』 再来日後のデヴィッド・フードの動静に関しては、翌1924年1月5日に駒澤で行われたキャディ競技の記事に、彼らのスウィングに影響を与えたという記述が見受けられることから、…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・6

『6:日本でのデヴィッド・フードの活動の補足-最初の来日時』 さて、次はデヴィッド・フードの来日について紹介していきたい。これ迄国内のゴルフ史書に於いてデヴィッドが来日したのは1921年であるとされ、筆者も2019年迄そう思っていた。これは『日本のゴ…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・5

『5:第一次大戦前後のデヴィッド・フードの動静とフィリピンへの旅立ち』 1914年に勃発した第一次大戦の影響でニュージーランドでも翌15年から選手権が中止に成ったが、それはオーストラリアよりも一年遅く、赤十字のエキシビションなどは英米同様行われて…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・4

『4:ニュージーランド選手権におけるデヴィッド・フードの記録とその他の活動』 デヴィッド・フードがオークランドからオタゴGCに移籍した1906年、ニュージーランドのゴルフ競技史におけるターニングポイントがあった。これ迄同国のプロ達は、エキシビショ…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・3

『3:ニュージーランドに来て間もないデヴィッド・フードの動静と同国のプロゴルフ事情』 デヴィッド・フードはアーチ-・ベアード氏の調査では、1904年にニュージーランドのオークランドに渡ったといい、先話で挙げた『Referee』1921年11月9日付では1905年…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・2

『2:ニュージーランドゴルフの始まりとデイヴィー伯父さん』 ニュージーランドのゴルフは1860年代末期には始動をしており、1871年に南島のオタゴで創立したダニーデンGC(オタゴGCの前身)と1873年にクライストチャーチのハグリーパークで創立したクライス…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・1

『1:調べた事と意外な事実』2014年以降筆者が消息を追っている戦前来日プロの一人David Hood(以下デヴィッド・フードと表記)についてこの数年で判明したことを記させて頂く 彼の事を調べていくにつれて以前の書き物で述べたように、彼はJGA百周年記念なり…

「濃厚接触者」なる立場で一週間

世間では、あの武漢肺炎の成れの果ての「オミクロンBa5」なる変異株が猛威を振るっていて、陽性者が物凄い数で増えているというニュースが繰り返し流れている。芸能人もプロ野球の選手も、場所中の相撲取りまでが、集団で陽性者が出て隔離されたという騒ぎに…

記憶にある夏は...

そうか、ずっと続いていた海のキャンプの夏は、もう20年前に終わってしまっていたんだなあ... 下の娘がまだ満足に歩けない時から、長い夏休みが取れなくなる20歳過ぎまで、毎年夏休みの間に一週間から10日間、館山の先の根本キャンプ場での海辺のキ…

2022年全英オープン最終日

最近は「自分のゴルフがどうなるか?」というか、「プレー出来るのか?」の方が重大な問題で、プロの試合には殆ど全く興味が無くなっている。 試合に出ているプレーヤーの年齢も「自分の子供の世代」から「孫の世代」に近くなり、道具が進化しトレーニング方…

掘っくり返し屋のノート㉛『105年の霧の中から』・2

六甲山上にある神戸GCと横浜の根岸競馬場トラック内盆地にあるNRCGAではコースが何から何まで違うので、選手権や対抗戦の際はローカルナレッジが顕著になるのだが、掛け持ち会員が一定数いた為かあまり差が出ることが少なく、この年の様な展開は中々無かった…

掘っくり返し屋のノート㉛『105年の霧の中から』・1

日本のゴルフ競技史において、メジャー選手権でありながら空白となっている物がある。それは1917年9月23日に神戸GCで行われた日本アマチュア選手権の記録だ。JGA70年史の競技記録を見ると優勝者のG.A・ローパーの名とスコア74・73=147以外は不明になってお…

カテーテルアブレーション再手術後3週間のチェック

カテーテルアブレーションの再手術から3週間のチェックに行って来た。 術後の安定感は、前回のアブレーション手術の後よりもずっと安定している気がする。初めての手術後の同じような時期には、ちょっと走ったり激しい運動をしたりすると結構脈が飛んでいた…

諸行無常とは言え...

その人生の業績は、時間が評価してくれるだろう。良いか悪いかなんぞ、真実は今はまだ誰にもわかりゃしない。 凶弾に倒れた政治家を、俺は好いていた。勿論縁も所縁も会った事も、実際に見かけたことも無く、知っているのは映像を通した姿とマスコミを通した…

ひっさしぶりの練習場

ちょっと前の体温越えの酷暑に比べたら、30度ちょっとなんて涼しく感じられる...この「ど埼玉」の片隅。また暑くなるのは分かってるし、例年体温越えプラス熱帯夜のクソ暑さにボロボロにされることを繰り返している、「元都民」の夫婦。 昨日最高気温3…

台風・塩分控えめ・酒も控えめ・ふくらはぎ痛いし・でもちょっと涼しいし

渇水・給水制限・田んぼの水不足、なんて時に来る台風って、やっぱり「神風」の一種なんだろうね。ただ、恵みの雨であっても、ぴったり望み通りの雨量なんて訳にはいかないが。 カテーテルアブレーションの再手術の後、ここまで脈の乱れは全く無し。5千歩以…

あまりの暑さに...

「昭和は遠くなりにけり」...なんだよな。今年が何年か、なんて最近全然覚えなくなった。 うちのあたりでは、毎日気温が40度近い。「家のドアを開ければ、そこは湯船」、だ。このままだと、近いうちに最高気温50度にでもなるんだろうね。 顔を上げて…

連日40度越え...狂気の暑さの中だって

声を大にして言いたい。今日で手術から10日、この連日の40度越えって言う狂気の暑さの中「一度も脈が乱れてない!。 5年前の手術の時には、手術後にちょっと息を弾ませるような動きをしたら時々脈が飛ぶのを確認した。不安になって中原先生に聞いてみて…

カテーテルアブレーションの再手術・3...手術成功・退院

止血のために身動き出来ず、そのために飯も食えず腰も痛くなる1日をベッド上で過ごして、翌日にはやっと体を起こす許可が出る。 やっぱり、ベッドを起こして「座る」形になると、本当に楽だ。 昨日はうまく食べられなかった食事、これがこの日は俺の好きな「…

カテーテルアブレーションの再手術・2...手術

これまた、先に言っておくけど...俺には霊感は無い。幽霊に会ったこともないし、妖怪を見たこともないし、UFOを見たことも無い。酒は飲むけど、薬の類は一切経験無いし、幻覚なんぞも見たことが無い。 ただ、前回(5年前)の手術の時に、「麻酔で意識を…

カテーテルアブレーションの再手術・1...入院

最初に断っておくけど、これを描くのは中高年や同輩たちに結構多い「不整脈持ち」の人たちに、「カテーテルアブレーション」の治療がどれほど有効かを紹介するため、と言うのが動機。「心臓の手術」なんて言うと、誰でも「そこまでしなくても」なんて思うの…

無事再手術成功・・・今日退院

17日に入院して、今日退院しました。 今、脈は以前より早いけど乱れは無く、規則正しく打っているように感じる。入院以前の、脈拍が猛烈に速くなり脈が乱れっぱなしの時の、落ち着かなさや不安感や息苦しさは、なくなった。 しかし、たった6日間の入院生…

さあ、1週間だ

明日、心臓血管の3D画像を作るためのCT検査を受ける。その前に入院手続き。金曜入院で、退院予定は22日。 5年前1度はやったカテーテルアブレーション手術なので、流れの見当はついているが、それだけに気が重くて面倒臭い部分もある。...出来ればや…

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・18

駒澤に集まるキャディ達は当初会員達の階層(日本の政財界の主要人物ばかりだ!)から行儀見習いとして来ていたが、ゴルファーに一番近い存在である彼等も駒澤雀達が愉しんでいるのを見て、ゴルフに興味を持ち、他のコースの同胞達同様ゴルフ遊びを開発しだ…

ビビってる...(笑)

脈を測れば、不整脈ばっかりで「エラー」になって、4〜5回計り直さないと脈拍も血圧もわからない。ちょっと動くと脈拍が一気に上がっておまけに乱れて、ついでに息も上がって、落ち着くまでには長い時間がかかる。 ...これじゃあゴルフは出来ねえよなあ…

(カテーテルアブレーションやったのに)不整脈が再発するってさ...

まず、あれから5年経ったんだから俺も5年歳とって...心臓だって老化したってことだ。年齢は、自分で自分の歳にいつも驚く...これって、もう完全な「ジジー」の歳じゃないか!それは当たり前に十分分かってるんだけどねえ... 「カテーテルアブレー…

カテーテルアブレーションの再手術...つまり、不整脈の再発だ

5年前に受けたカテーテルアブレーション手術によって、しばらくは不整脈を気にせずに生活し、仕事をし、ゴルフを楽しんで来れた訳だが...5月28日朝からの発作が回復せず、今月中に急遽カテーテルアブレーションの再手術を受けることにした。 俺の不整…

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・17

1922年4月19日に駒澤で行われた摂政宮(以下昭和天皇)と英皇太子プリンス・オブ・ウェールズ(エドワード八世、以下英皇太子)との親善マッチは国内ゴルフ史に於いて一大トピックであった。というのも、イベントから国内でゴルフというスポーツの存在が広く…