ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

愛したクラブにお別れを...

俺のゴルフ人生の最後は、自分で見つけた「大昔のヒッコリークラブに、とっくに腐った昔の糸巻きボールでの芝上散歩」と決めている。飛ばなくても上手く打てなくてもこれが楽しいのだ...今更スコアで一喜一憂するなんて阿呆らしい。 それが(ヒッコリーク…

おっどろいたなあ...優勝しちゃったよ、78名参加の「ペリア」のコンペで

入賞どころか優勝なんて、一体いつ以来だろ?去年もそうだけど、最近は優勝どころか上位入賞だって全く縁が無い...オープンコンペは「急に一人で参加しやすい」形式なので度々参加しているが、「うまくいけば美味しいお土産がゲットできるかもしれない」…

天気予報が、ゴルフをやれと言っている

昨日も今日も暑い。特に昨日から今日は久しぶりの熱帯夜で、氷枕に扇風機では寝苦しくて寝不足気味。 だが...何故かどこの天気予報も「明日からは曇りがちで涼しい」と言う。練習もしてないし、「絶好調でやる気満々!」と言う気分でも無いんだが...片…

ちょっとでも涼しく感じたら...

「暑いから」、「不整脈が」、「ふくらはぎが痛いから」、「前夜泊が多分暑くて寝られないから」...5月から何や彼やで「出来無くなったゴルフラウンド」を、まだ再開しない理由はいくらでも出て来る。もっと言えば、「仕事とのタイミングが」、「金がも…

逃げ回るのにも疲れて来たし...

天気予報で、少しでも「涼しそうな」日があればゴルフか旅に行きたいと...静かにそのタイミングを狙っている。 俺たちはリアルに「もう残り少ない」、と言うか「いつ終わるか分からない」時間を生きている。ついつい「来週には」とか「来月なら」と思って…

八つ当たり

まだ8月ではあるんだけどね(いまが立秋期間)。 連日、昼にゃあ「最高気温40度行くか?」なんて騒ぎだし、夜になっても30度近い「熱帯夜」が続いている。北の地方じゃあ「8月一ヶ月分が1日で降ってきた」なんて異常な大雨だし、この辺じゃあドアを開…

気がつけば、8月も15日

8月15日。暑さの盛りも、もう峠を越えてほしい日付だが...台風が吹き飛ばしてくれたような(東北地方は大雨で大変な被害だが)ここ数日の涼しさも、今日は天気予想では33度くらい、明日は38度の真夏日だと。そのあと天気は崩れるそうだけど、これ…

全英女子オープン見て考えた、シブコとジョン・ラーム

いや別に...スイングの技術論だとかの正邪・優劣を語るつもりなんか全然無いことを最初に書いておく。「最善のスイング」だろうが「最強のスイング」だろうが、今の俺には全く興味が無いので。 ただ、この年になってのスイングが年々悪くなっていくのはな…

この街は日本一暑くなったりして...

40度までは届かなかった、ちょっと前の日の夜。夜になっても最低気温は30度を割らず、クーラーのない俺の寝室は扇風機と氷枕ではとても寝られず...クーラーのある仕事部屋の椅子で寝る事になった。が、当然熟睡なんぞできる訳は無く、1日寝不足でボー…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・10

『10:デヴィッド・フードの二度目の離日と再々来日とその後』 1924~25年間のデヴィッド・フードの活動については、横屋の甲南GCでレッスンをしていた以外の記述は、前話で触れたようにハッキリと残っているモノが少ない。前話で挙げたプロのレッスン代の高…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・9

『9:関西時代のデヴィッド・フードの活動と彼の唱える技術論』 デヴィッド・フードが担当した茨木CCの設計では諸事から造成が不本意な事となり、1925年10月1日に18ホール(2757・3027=5777yd)が開場した少し後にはデヴィッドは二度目の離日をしているが、…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・8

『8:デヴィッド・フードと茨木CC設計の概要』 デヴィッド・フードの日本に於ける最大の功績と云われているのが茨木CCの設計であるが、これは彼を始め関係者一同苦闘の場でもあった。この書き物はデヴィッドの来歴と活動を辿ることがメインであり茨木CCの倶楽…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・7

『7:日本に於けるデヴィッド・フードの補足-再来日と関東大震災からの関西移籍』 再来日後のデヴィッド・フードの動静に関しては、翌1924年1月5日に駒澤で行われたキャディ競技の記事に、彼らのスウィングに影響を与えたという記述が見受けられることから、…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・6

『6:日本でのデヴィッド・フードの活動の補足-最初の来日時』 さて、次はデヴィッド・フードの来日について紹介していきたい。これ迄国内のゴルフ史書に於いてデヴィッドが来日したのは1921年であるとされ、筆者も2019年迄そう思っていた。これは『日本のゴ…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・5

『5:第一次大戦前後のデヴィッド・フードの動静とフィリピンへの旅立ち』 1914年に勃発した第一次大戦の影響でニュージーランドでも翌15年から選手権が中止に成ったが、それはオーストラリアよりも一年遅く、赤十字のエキシビションなどは英米同様行われて…

掘っくり返し屋のノート『デヴィッド・フードの補足』・4

『4:ニュージーランド選手権におけるデヴィッド・フードの記録とその他の活動』 デヴィッド・フードがオークランドからオタゴGCに移籍した1906年、ニュージーランドのゴルフ競技史におけるターニングポイントがあった。これ迄同国のプロ達は、エキシビショ…