ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2024年マスターズ雑感

ちゃんと見たのは最終日だけだったけど。
やっぱりあの番組が始まる時に流れるマスターズのテーマソングは、俺がゴルフに燃えていた当時の胸のトキメキを蘇らせてくれる。
「もっと早くゴルフを始めていたら俺もオーガスタに行けたんじゃないか?」なんて妄想が、再び湧き上がってくる...もう現実を十分経験し、理解しているのにね(笑)。

てな訳で、誰が優勝するかなんて事にはそんなに興味無く、「最近強いゴルファー」ってののプレーをちょっと見てみたい程度の好奇心で、最終日だけは3時くらいから優勝争いの組のプレーを1番から見ていた。

以前から思っていたのだが、現在最強と言われるスコッティ・シェフラーのスイングのダウンで右足を後ろに引く動きは、一見素人っぽく見えるが理にかなった動きだと再確認した。
我々の年になるとあんな動きをしたらたちまちギックリ腰かあばらを痛めると思うが、ダウンで右膝や腰が前に出てしまい色々なミスをする人には、「体の正面でインパクトする(あくまでイメージね)」という事を実感出来るのでやってみる価値はある。
ああした動きは以前もグレグ・ノーマンがフルショットする時にやっていたし、身体がイメージより回りすぎて曲がりを抑えたい時に意識してやってるプロは昔からいた。

練習の時なんかにやってみるとそれが感じられるかもしれない...でも、あんなに足の裏がひっくり返るニーアクションなんて、日本じゃ普通レッスンプロに直されるだろうね(笑)、「下半身がバタつき過ぎ」とか言われて(俺も言われた)。

最後まで見てみれば、現在最強と言われるシェフラーのショット・アプローチ・パットの安定感は他のプロとは段違いだった。...試合の展開としては、ただ追う人間の自滅を見せられるばっかりで今ひとつ楽しめなかった。

 

タイガー・ウッズは4日間山登りをする体力がまだついていなかった...だけだろう。
何しろあのオーガスタというゴルフ場は取材やラウンドした人を何人も知っているが、みんな揃って「あそこは日本だったら山岳コースって言われてるよ」「ともかくアップダウンが激しくて、山登りのつもりじゃないと18ホール回れない」とか「足腰が痙攣しそうになって18ホールなんて死ぬほどしんどい」なんて感想しか無かった。
綺麗とか気持ち良いなんてのは、テレビ用のセッティングの映像マジック、だとも。

まだまだタイガーの時代は終わらせて欲しく無く、俺が望むのは60歳過ぎてのメジャー優勝!
出来る可能性があるのはタイガーしかいないだろう。
(もう火遊びはやめてね)

2位に入った24歳の新鋭、スエーデンのオーバーグ、俺は気に入った。
セットアップすると間髪を入れずにスイングに入る,,,あのリズムが大好き。
例えば松山なんかは、ティーショットからアイアンショット・アプローチ・パットまで、クラブをボールにセットした後でスイングを始めるまでにやたら時間がかかる。
俺はあのスイングをなかなか始めない時間が、大嫌い。
以前はその上にトップで止まってしまうから、見ていて気持ち悪くてしょうがなかった。
(今はトップで止まらないだけ以前よりずっとスムーズなスイングになった、と思うが)

ちょっと前までスネデカーというお気に入りの選手がいたが、彼はすべての動作がちょっと急ぎすぎだろうという時があって、実に「勿体無い」ゴルフをしていた。
スネデカーに比べるとオーバーグは、アドレス前の動きは色々とやってもセットアップが決まると同時にスイングに入る...その流れが実に気持ち良い。

きっと近いうちにメジャーに勝つだろう、と感じた。

...それにしても、シェフラーもオーバーグも身長が190センチ...一昔前のニクラスやパーマー、トム・ワトソンたちの時代は「180センチくらいが一番ゴルフに向いている」なんて言われていたのに、野球の大谷みたいにゴルフもこれからは「190センチがゴルフに向いている」なんて言われる時代になるんだろうか?
ゴルフも完全パワーゲーム、とか?

もう一人気に入ったのが、ティレル・ハットン。
なんでも「嘆きのハットン」というあだ名がついたんだそうな。
一打一打のミスやナイスショットの度に、色々とやってくれる。
175センチで小太り、髭の生えた顔で、ミスのたびに自分に対して嘆く...無表情でラウンドするシェフラーとは正反対で、その一喜一憂が賑やかで面白い。
ま、あんまり彼のプレーを見たことは無いので、いつもそうなのかは知らないが「こんなゴルファーが居ても良い」んじゃないか?。


で、さて、マスターズの後の興味あるメジャーは7月18日から21日の全英オープン...夏の終わりの荒涼としたイギリスの風景は、その頃の日本の地獄の暑さと違って幾らかの涼しさを感じさせてくれるはず。

久しぶりの練習2024年4月

今日は、筋肉痛と疲れでヨタヨタしている。

昨日、天気が良くなったのを理由に、今年初めて練習場にクラブを振りに行って来た。
たった1時間の打ちっぱなしで、150球弱をハーフショットより少し強めに、体を痛めないスイングをすることをテーマに。

なぜか医師にもわからない理由で急に良くなった体調...なぜかヘモグロビン値が10を越えてくれたのが続いて、息切れがなくなったことがきっかけ。
それでも、最悪の時よりも調子が良いと言うだけで脊椎管狭窄症での右下半身の不調が治った訳ではなく、ましてや骨髄背形成症候群が治るなんてことも有り得なく...ただ偶然の一時的な好調なんだろうと言う覚悟はしてのお遊び再開だ。

ヒッコリー遊びはある程度ゴルフプレーの目処がついてからとして、取り敢えずどんなクラブなら身体をかばいながらのインチキスイングでも遊べるか、だ。


で、最初に7番アイアン...約40度左へ。
これは以前のように広めのスタンスでスクエアに構えてのハーフショット。
しかしスクエアなスタンスで体を捻ること(要するに上半身と下半身の「捻転差」でどうこうなんて事)でスイングするのは身体が痛くて無理と理解。
ならばとスタンスを極端にオープンにしたりクローズにしたりでスイング。
勿論強くは打てないので、方向性をテーマにあーだのこーだのやったが...万能スイングは見つからず。
どっちのスイングでも、1〜2発は狙った方向に行くが3発目は右に行ったり左に行ったりって具合で、安定しない。
そしてウッド...以前使っていたドライバーを何本か持って行ったが、ハーフショットよりちょっと強く振るくらいでは「どチーピン」か「ゴロ」にしかならない。
飛距離もせいぜい当たって200ヤード...それ以上強く振ると筋肉痛に関節痛に命の危機まで感じて(笑)、とてもハード過ぎて使えない(だってみんなシャフトがXやSXなんだから)。
(もしラウンドでドライバーを使うなら、中古クラブ屋でみんなの言うように柔らかいシャフトの反発係数違反クラブを探すしかないだろな。)

まあ、ラウンドに自信がついたら再びヒッコリークラブに糸巻ボールで遊ぶつもりだから、ティーショットは180ヤードくらい飛べば十分とも言える。
現代クラブなら3wでティーショットすれば200ヤードくらい飛んで、フェアウェイから2打目を打てる(勿論ジジーティーからね)だろうから、3wを使うのもありだろうね。
連休明けに短いコースに行く事は楽しみだ。


今は、偶然?こうなった今の状態に感謝している。

まずは、5月のラウンド再開、が目標だ。

はてさて...

なんとか、とりあえずヒッコリークラブ以外で復活しようとしている。
脊椎管狭窄症で痛い右足は、中枢神経に当たっている脊椎の手術をしない限り完治はしないし、体調に大きな影響を及ぼしている骨髄異形成症候群は完治の方法が骨髄移植しかなく、それが年齢的に無理で今はただビダーザでの延命処置に頼っている状態...で、俺は死ぬまでにゴルフを復活させようと思っている。
それも最後はヒッコリークラブに糸巻きボールで、「俺のゴルフ」を楽しんでやろうというのが望み。

で、その前に「壊れないクラブ」でのラウンド練習を何回かしようと思っているのだ。
取り出したのは軽量スチールシャフトのミズノアイアン、それになるべくシャフトの柔らかいウッド類をランダムに数本、肝心のドライバーがハードなシャフトばっかりなのでとりあえずタイミングの合いそうなもの(要するに易しそうなもの)を数本突っ込む。
それにヒッコリーでは使っていなかった左手用のグローブを探すと、ここ数年使っていなかったのでカビと汗で乾いて固まったのが数個...流石に捨てて買い換えるしかないな、と思っていたら奥さんが「洗えば使えるわよ」と言うので手もみで洗ってもらい、3個は復活(笑)。

あとはボールか...ずっと糸巻きボールだったので、ツーピースボールは数年前から使っていない。
部屋中探して6個くらいを見つける。


今の所、ヘモグロビン値が10を超えたので貧血状態は改善し、右足の痺れはロキソニンテープを痛めた原因である脊髄の部分に貼ると改善されることを見つけて、動くときには貼っている(毎日ずっと貼っているとかぶれて痒くなる)。
昨日は4000歩歩いても酷い痛みは出なかったので、もう少し体を鳴らせば最低限の復活も期待できそう。

というところで、今週は久しぶりの練習場に行く予定。

腰と背中・右足を痛めないスイングはどんなものか?。
フルショットが出来ない身体で、どんな打ち方をすればボールをつないでグリーンまで行けるのか?
ハーフショットもどきでスイングするゴルフの、飛距離はどうか?
方向性はどうか?
また珍妙なスイングになるんだろうけど、ゴルフを再び楽しめそうな状態になった事を「ビダーザと輸血」に感謝してボールを打つつもり。

そうして、ゴールデンウィークが終わったら「フェアウェイ乗り込み可」コースを探して...狂気の夏が来る前に。

 

桜が散ってサヨナラするのが、俺の病気だけならいいんだけどね。

権現堂堤の夜桜

6日の夜、幸手の権現堂堤の夜桜を見に行って来た。

ちょっと夜桜見物には肌寒い気温だったが、日曜日が雨という予報で土曜日には見物客が集中して土手の桜並木の道を歩くことも大変だろうと、急遽娘の帰宅を待って車で出かけた。
6時半頃に家を出て約30分後に到着。
もし土曜日の昼間だったら、駐車場に入るのにも何時間もかかるくらい混雑するのは経験済みなので、肌寒い夜桜見物には空いていてちょうど良いと思ったが...みんなそう思っているらしく、駐車場も想像以上に多数の車で混雑していて、おまけに以前来た時には500円だった駐車料金が1000円になっていた(ネットではまだ500円になっているので気をつけて)。


足の痛みは大分楽になっていたものの、提灯の灯りだけの階段や泥道の凸凹を歩くにはヒヤヒヤさせられた。

という所で、肝心の桜はまだ5分咲き,,,空気は冷たく桜の花もまだ固く、蕾の方が多いように感じられて地面には花びらが一枚も落ちていない...まあ典型的「早すぎた花見」の風景。

この5分咲き(ホントは3〜4部咲きくらい)の寒い花見なのに、桜祭り週間の期間は7日までとなっている...今年は桜の開花予想は大ハズレってことだ。
しかし、近所の北越谷元荒川沿いの桜はコロナの後1回も開かれていないようだし、久しぶりに見る桜の木の下の沢山の露天の明るい光が、なんだか気持ちを浮き立たせる。

俺の大好きな桜吹雪は全く見ることが出来ないので、5部咲きの桜見物より「花より団子」の気持ち(本心はそれが目当てかな)...後は、好きな粉物に気持ちを集中する。

オレはまず「ケバブ」...かなり以前から上野の「モーゼスさんのケバブ」の大ファンのオレは、モーゼスさんと話すようになってから色々なところでケバブを食べているが、まだアレより美味いケバブにはあったことが無い。(モーゼスさんはあの決め手のソースは「ボクのママの味よ」と自慢していたっけ)。
で、ここの屋台ケバブの味のソースは東南アジアの甘辛ソースを使っていて、それなりに美味しかった。

美味しそうなたこ焼きは無かったので...と言うより、駐車料金の値上げで驚いていたが、屋台の食べ物の値上げにも驚いた。
以前500円だったものが600円くらいになるのは予想していたが、安いもので700円、大部分が800円となっている。
プラス全体に量が少なくなっていて、寒いので煮込みを頼もうとしたら値段が700円とか800円はともかくとして、その「器の小ささ」に娘や奥さんは驚いて買うのをやめた。
みんなで一杯なんてのは到底不可能で、普通に一口か二口で飲めるくらいの小さなカップ....材料費や天候不順で厳しいのは分かるけどな、...あんまりだ。

てなわけで、固く咲いて若い花びらの全然散らない桜の木の下で、オレはケバブと広島風お好み焼き、娘はサツマイモチップとじゃがバター、奥さんは揚げ餅と焼き餅をそれぞれ交換しながら食べて、寒さに震えながらの夜桜見物を終えて帰って来ました、という話。


桜祭りは明日で終わってしまうけど、桜吹雪の下を歩くのは来週の週末くらいの方が良さそうだ。
もう屋台は無いだろうけど、ここは昼間に黄色い菜の花と風に流れる桜吹雪の対比が美しく、それを見る方が絶対に良い筈。

 


時の流れと散り行く桜...
桜の散り際には、語り切れぬ万感の思いがある。

「準備」する気持ち

体感ではヘモグロビン値は落ちる感じがなく、苦しい窒息状態の「息が切れる」感じも最近は全く無い。
これで脊椎菅狭窄症による右足の痛みさえ無ければ、普通に以前と同じようなゴルフが楽しめるんだけど。

状況はそんなに甘いモノでは無く、「カート道に止めたカートから斜面を歩いてボールのところに行って、打った後またカートに戻ってくる歩き」が出来るのか、全く自信が無い。(だからコース内乗り入れが出来ないホームに行く事は、今は考えられない。)

そこで、最近回った中での「コース内乗り入れ可」で、(フルスイングが出来ない為に)「距離が短くても楽しめる」...「出来ればプレーフィーも安いコース」を探せば、2〜3コースが候補になった。
贅沢は言わない、そんなコースでラウンドが楽しめるなら何も文句は無い。

ただ、本当はヒッコリーで遊びたいのだが、これだけ久しぶりのゴルフでのスイングは全く自分の意思に反して酷い物になる筈だ。
ダフり・トップは当たり前、ヘッドのどこにボールが当たるかなんて神のみぞ知る世界。だいたい一本ずつ集めたヒッコリークラブは、みんな長さも硬さも重さも違い、それぞれのクラブに合わせた繊細なスイングをしなければならないが(そうしなければ簡単に修理不能なヒッコリーシャフトが折れちまうから)、とても今出来る自信は無い。

なので、これから始めるつもりの久しぶりの練習もラウンドも、とりあえず多少のことじゃ壊れない現代クラブ(といっても俺の手持ちのクラブなんてみんな10年以上前のだが)で再開しようと思っている。

もう「終了」だと思っていたゴルフプレーが、痛みをこらえる状態でもまた再開できそうなところまで来たのを俺はラッキーだと思っている。
(...狂気の夏前の良い季節に、青い芝と木々の緑の中で玉打ち散歩が出来るなんて、すっかり諦めていたことだった。)

そこで、手持ちのクラブで用意して...でも、フルショット出来ない体とスイングでは、昔使っていたハードなドライバーでは200ヤードも飛ばないはず。
最近の情報では、以前一緒にプレーしていた連中はみんなドライバーを反発係数違反のクラブに替えたと言うし、スピンがどうのとうるさかったボールも今じゃみんな飛距離重視のディスタンスボールに替えたって聞く...(本来飛ばないヒッコリークラブで遊びたい俺も、無駄な力を入れないためにはそんなクラブとボールが欲しい、と今思っている。)

病み上がりの復活ラウンドで、あまりに飛ばなくて後ろの組に迷惑を掛けたり、スロープレーの原因になったりするのは嫌だし、それが原因でまた体を傷めることだけは避けたいから。

 

 

...とりあえず、近日中に練習場で球を打ってみよう。

エピソード・1

うちの奥さんは、俺との結婚前には京橋の某出版社に勤めていた。
(俺が偶然新聞広告を見て応募した銀座一丁目のデザイン会社とは100メートルくらいしか離れていない場所だった。)
まあ、運命ってのは後で考えるとそんな具合で、俺がイラストレーター募集に応募しなければ彼女との縁も全く繋がりはしなかっただろう。

そんな奥さんの京橋の出版社の同僚で、当時親友だった女性が50年ぶりに訪ねて来てくれた。
会うのは50年前の結婚前に銀座で飲んだ時以来...ただし、彼女の結婚相手の男性が俺のイラストを気に入ってくれて、夫婦で経営していた進学塾のポスターを毎年描くという付き合いはずいぶん長いこと続いていた。
その旦那さんに俺は会ったことが無かったが(年齢は少し彼のほうが年上)、昨年急な病気で亡くなってしまい、その気持ちを鎮めるための鎮魂の旅という意味合いもあったと聞く。

そんな付き合いがあったために久しぶりという気持ちは少なくて、まるで50年前の続きのように宴の会話は馴染んでいく。
まずは、カラオケが大好きと言うことで、うちら夫婦も2〜3年ぶりのカラオケに...
彼女は歌い慣れているようでノリも良く、さすがに自分で得意というだけの事はある...が、歌うのが俺たち「ど昭和」の人間と違って、スピッツだとかナンだとか知らない曲ばっかり(いい曲なんだけどね)...これは経営している塾の生徒との付き合いから覚えたものらしい。
同じ年代ながら、俺たち昭和の化石夫婦には時代のギャップがありすぎる。
で、カラオケは適当に終えて(だって、久しぶりだから声も全然出ないし)近所の居酒屋で、50年前の銀座の宴の続きの宴会。
それぞれがそれぞれの昭和・平成・令和の時代を生きて来た思い出話に花が咲き、飲みかつ食いかつ語るエピソードは終わりが無い。

...一度の宴会で50年分の人生を語り尽くせる訳もなく、また近々の宴の約束をして宴は楽しく終わる...

ああ、どのくらい振りだろう...居酒屋でしこたま飲む宴。
一応「塩分濃いめのつまみは避けて、アルコール強めのお酒も避けて」だったけど、お医者さんに話せば怒られるに決まっているから、ナイショにしとこ。
(でも、味覚もかなり戻ってきて、これから楽しめそうなのは確認)


で、そんな宴で出てきたうちの奥さんの「エピソード」を一つ紹介。

うちの奥さんと結婚して間もない頃(奥さんは20代半ばを過ぎた頃だったか?)
この親友の彼女の済む名古屋まで、お祝い事で一人で遊びに行くことが決まった。
俺は仕事が広がっていく途中で、毎日あっちの出版社、こっちの新聞社と打ち合わせや締め切りに追われていてとても時間が取れなかった。

外見で言うと、当時の奥さんは髪は長く清楚でおとなしそうでちょっと陰のある,,,実にいいオンナだった(多分一番綺麗な時だったろう)。
(当時道を一緒に歩くと、若い男は大抵振り返っていたっけ)
そんな彼女の初めての一人旅...東京駅で新幹線に乗る顔は不安そうで、今にも泣きそうな子供みたいだった。
新幹線が動き出し、駅のホームで手を振る俺に彼女は窓に張り付いて涙の一雫をポロっとこぼしたのが見えた。

...後で聞いた奥さんの話。
別に二日で帰るんだから何も無いのに、何だか心細くなって涙がこぼれてしまった。
そうして電車が走り出したら、隣に座っていた品のいい老婦人が誤解したらしく、「人生は長いから色々あるのよ」と慰めてくれたんだそうだ。
俺の母親もうちの奥さんの一見儚げな様子にすっかり惚れ込んでしまい、自分が彼女の一番の味方をするんだと宣言していたし...俺は当時からずっとうちの奥さんは「年寄り殺し」の才能があると感じている。

で、肩を抱いてくれてずっと優しく励ましてくれたんだそうだ。
...そんなことがあったのを当人はすっかり忘れていたようで、俺に聞かれてやっと思い出したエピソード。
(こうした「思い入れ」は周りが勝手に気を使ってしまう事で起こるハプニングで、当人は意外にアッケラカンとしているもんだと、俺はうちの奥さんを見て学習した。)


女ってのは生まれつきの「役者」ってことかもしれないな...

油断

ヘモグロビン値がやっと動き出して、念願だった10の値に近づき「息切れ」の症状も感じなくなった。
代わりに結構キツく脊椎狭窄症の影響の右足痛が出て来たが、これも運動さえ出来れば少しずつ改善していけると思っていた。

「よ〜し、これからだ!」の思いは、今まで我慢に我慢していた(輸血が必要なほどの低いヘモグロビン値が改善されるまで)食事制限やアルコール・摘み制限を「ちょっとくらいいいだろう」と解除してしまった。
最近ずっと控えていた日本酒もイカの塩辛や珍味類を肴に飲み始めた。
毎晩缶酎ハイ(350ml)1〜2本に、日本酒1〜2合が晩酌の基準になった。
(本音はこれでもかなり遠慮気味の量だったんだが...)


10日ほど前、毎朝図っている血圧が急に190を示した。
別に体調には変化もなく、心臓にも頭にも違和感はない...が、さすがにいつもは140〜50くらいの血圧が190〜70位とはおかしい。
計り直しても上は170くらいで、これでも自分の血圧史上最高の数値で「やっちゃったかな」の思いもあり、ちょうど翌週にあった循環器の中原先生の診察で相談した。
そこで検査の結果、先生に最近の生活についての大目玉を喰らう...「すでに心不全を起こしている」「塩分取りすぎの生活が原因です」「せっかく今まで自制して直してきた心臓が、最近の塩分取りすぎのせいでいっぺんに悪くなっている」等々。
確かにずっと低かったヘモグロビン値が上がって来たおかげで、復活への第一歩として一山超えた気分になり、油断して好きな酒を好きな摘みで楽しみ過ぎたのは自覚している。

 

それプラス、うちの奥さんがこの一年弱で一挙に10キロ以上痩せた俺を心配して、「ともかく体重を増やして欲しい」と一生懸命俺が食べられそうな料理を作ってくれていた。
それで痩せた俺を見て(自分じゃ痩せたと思ってないんだけれど)もっと食べて」と頑張ってくれた奥さんの行為が、結果として心臓には悪い結果になってしまった、という事らしい。
(元は体重94キロ、これが一番落ちた時80キロ。現在体重が84キロ、これを80キロにして運動すれば右足の痛みも弱くなるはずと言われた。)


...もちろん、今は俺は猛省してまた節制を再開した。
で、その後は血圧はもうそんなに上がることはなく、150〜60程度に収まっている。
これをもう一段下げて140〜50くらいに下げれば、まあ...安定した復活生活に戻るだろう。
4月いっぱいで血圧と体重をその辺で安定させれば、俺のゴルフ復活の道も見えてくるだろう。
花粉症も無くなるし、油断しないで、油断しないで...節制節制。


あほーあほーとカラスが鳴いて、ケッケケッケと鬼が笑う。

オレは、烏に笑われたままじゃ終われない。