ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート㉕『日本に来た最初の外国プロとそれに纏わるクラブ』

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現在ではトーナメントに海外のプロが招待されたり、日本のツアーに出場するというのは、珍しい事ではない。
しかし、1960~70年代ではチョットしたトピックになり、行き来が航路であった戦前になるともう大変で、本場の技術を得ようとレッスンで引っ張りだこになったり、有名プレーヤーならばエキシビションだ、歓迎会だと大騒ぎに成っていた。

そんな来訪プロの中で最初に来た人物は誰であったのか。その人物は中国から来た。といっても彼は英国人であった。
名前はグリーン某、ファーストネームは現在に至るまで伝わっていない。彼は上海GCのプロで、妻子とともに同地で暮らす若者であった。年齢を逆算すると1888~89年頃の生まれらしい
上海のゴルフというのは以前『掘っくり返し屋のノート㉒ミステリー4』の中で書いたが、租界があった為19世紀末頃には英国人らによってゴルフが行われており、1910年代には中々活動が盛んであった。
恐らく彼は所謂移民プロの一人であったのだろう。

『日本のゴルフ史』には、神戸GCが1911年2月9日の委員会で上海と共同で本国(英国の様だ)からプロを招こうというH. de Sansmarey卿(神戸GCの会員リストに名がないので、上海GCの役員と思われる)からの手紙が議題に上がったが、同月27日の委員会で中止となった事が記されているので、グリーンが上海に来たのは1911年春~14年年明けの間とみられる。

彼が来日したのは1914年のことで、横浜の根岸競馬場内の倶楽部NRCGAが彼の所属している上海GCとの交渉し来訪となった。
時期については神戸GCの3月19日委員会で、横浜が彼を招待したので、夏の間神戸GCに来てもらうことに成ったとあるから、来日は春ごろであろう。
 横浜での活動はNRCGAの記録が殆ど残っていないので判らないが、神戸GCには7月18日に来訪で、クラブ側は8月10日まで滞在してほしいと要望を出したことから、グリーンは1月弱は居たとみられ、この間倶楽部のチェンバーにも滞在していたようだ。
倶楽部はこの間にレッスン代とチェンバーでの費用や諸経費を220円82銭(現在の132万4920~176万6560円位か)に払った事が記録されている

再び来日したのは日本人のゴルフの発展が始まった1918年のこと、この時は関東ではNRCGAの他、駒澤の田園地帯の雑木林に遭った東京GCでレッスンをしている。
六甲の主H.E・ドーントが編集発行をしていた登山とゴルフの書籍『INAKA』第十巻に掲載された駒澤のコースの紹介『The Golf of Yedo』にノースチャイナ・デイリー・ニュースに掲載され、神戸ヘラルドに転載された同コースと同地開催の日本Amについての評の中で、グリーンの事が出てくる。

 それによると彼は日本人と大して変わらない体格であったそうだが(恐らく160㎝台?)、良くボールを飛ばすため、距離が出ないことが悩みであった日本人ゴルファー達にとって驚きであり、また彼のレッスンで飛ばしのコツを学ぶことができた喜びから、彼の訪問は有益であったろう。と評されており、また後日行われる日本Amの優勝スコアは39平均(当時の駒澤コースは9Hであった)になるだろう。と予測したが、驚くまいか優勝した井上信のスコアは38・42・39・37=156と、彼の予測通りになったのである。

彼はこの来日の際に関西にも渡り、現地の邦人ゴルファー達の要請で舞子CCのコースを設計している。このコースは武庫川河口の浜辺に在った鳴尾GAが用地問題で縮小したことから南郷三郎(加納治五郎の甥、神戸桟橋・日本綿花社長)を始めとする日本人会員有志が新天地を求め、垂水の山にコースを創る事を思い立ち、その設計を丁度来訪したグリーンに依頼したのだ。
グリーンは、南郷と共に用地選定をしていた鳴尾GAの職業ゴルファー福井覚治と用地を廻り、諸々の設計をし、彼の帰国後?舞子の委員たちが改め、福井が造成指揮をしていたそうである
福井が1922年に『阪神ゴルフ』でグリーンとの思い出を回想したところによると(舞子のコースの選定や設計・工事について実際の年より1年ほどブレて居る)、彼と一緒にプレーをする機会があった際に、バックスウィングが早すぎる事とスローバックの重要性(二年後他の来訪プロのレッスンで真に理解したという)右手で打っている事等色々とレクチャーを受け、自身のスウィングが余程進歩したと思われる。と触れており、現在の自分を形成した者達の一人として名前を挙げている。

二度目の滞在の後、彼の情報が日本に来たのは翌年春の事であった、上海GC会員で1916年度日本Am勝者E.I.M・バレット大尉から神戸GCキャプテンF.W・マッキーに贈られた3月24日付の書簡には、グリーンが同月21日にインフルエンザ(恐らく当時猖獗を極めたスペイン風邪)で亡くなったという訃報であり、続けて困窮する夫人とまだ幼い二人の子供のために義援金を神戸のゴルファー達に呼びかけてくれないか。というものであった。
これを受けた神戸GCはコースを設計して貰っていた舞子CC(厳密にいうと当時はまだ造成中で倶楽部は創立していなかった)にも要請をし、11月の委員会の際に470円が集まったので倶楽部側も30円を出し、計500円(今の300~400万円位)を遺族に送っている

グリーンの遺族については消息が分からず、彼の死後から55年経った1973年4月に、日本のゴルフ界の重鎮の一人高畑誠一日商会長・大谷光明に並ぶルールの権威)の許に、J.P・グリーンなる人物から『亡父が1918年頃に日本でコースを造ったそうだが、どこなのだろうか。日本のことならば貴殿に尋ねてみろとの事でお手紙を送りました次第』と手紙が届き、高畑がコースを調べて舞子CC(現在の垂水GC)であることを伝えた話がゴルフ史家小笠原勇八によって高畑の逸話として紹介された位である。
(グリーンが高畑に手紙を送ったのは世界的なゴルフ漫画家ジョージ・ホートンの紹介によるそうだが、小笠原はホートンを雑誌『Golf World』の編集としている)


今回グリーンの事を書いたのには筆者が慌てた出来事があった為だ。
先日3月30~4月4日にかけて、ヤフーオークションで英国の倶楽部プロJ.B Bentley作のヒッコリーシャフトのセットが出ており、ウッド・アイアン揃い珍しいパターもあったので、筆者はヒッコリーに集中してみたいという知己の方に知らせたのだが、あとになってその出品物を見た所、
セットに含まれた4本のウッドの一つ、黒いヘッドでヒールが欠けたそれは、楕円のスタンプがずれて二重押しになっているものの、Shanghai G. C Chainaの文字があり、二重押しでダブってしまった作者の名前がどうも〇.GREENと読めそうなのを見て魂消てしまったのだ。

筆者が確認した上海に居たプロでグリーンの後に居た者は、古い順にカーター某(上海でゴルフを覚えた鳴尾GC会員石角武夫のプロ転向を応援する友人の記事に出てくる)、日本に長期滞在をしたスコットランドダヴィッド・フード(1925年10月から半年強の滞在)現地のゴルフ倶楽部会員出身のジョージ・ノリス(1927・33年来日)、邦人プロの星野文男(1936年日本OP出場)、1941年に星野?が殺された為替りに移籍した日本OP勝者の林萬福と、彼のアシスタントで台湾GCから移籍した先輩の陳金獅(台湾プロゴルフの父)であるが、ダブっている綴りは彼らには当てはまらなかった

知らなければ『中国で造られたクラブだ、珍しいな』で済むが、本当にグリーンの作ならば、日本プロゴルフ殿堂や、舞子CCの後発倶楽部である垂水GCに展示されるべきものなので、慌てることに成った。
人にお知らせした後なので、どうなるか注視をしていたが、お知らせした方もそのご友人も討ち死にし、クラブは第三者の方の手に落ちた。
ヒッコリーゴルファーである筆者はどこかのイベントで落札された方に出会うかもしれないし、そこでの顔見知りの方が落札をされたのを聞くかも知れない。が行方が気になってムズムズしてしまうのだ。

もし、この文章を落札された方がお読みになられ、かのクラブの刻印がグリーンの名であるのならば、日本のゴルフ黎明期の主要人物の作であるため、願わくば改造等なさらず大事にされて欲しい事を、ゴルフ史探究者として切にお願い致します次第です

                             ―了―
                           2021年4月8日記

 


な参考資料
・日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995復刻第二版
阪神ゴルフ1922年6月号P7福井覺次郎(福井覚治)『「キャデー」より「プロへ」(三)』
・『Golf Dom』1930年4月号p23~24 C.I生(伊藤長蔵)『覚さんの病没を悼む』
・『INAKA』第十巻掲載 Child of Mist『The Golf of Yedo』 1919 東洋広告取次会社
・霧の中のささやき 編著棚田真輔 編集神吉賢一 監訳松村好浩 交友プライニングセンター 1990
・週刊パーゴルフ1980年3月7日号 小笠原勇八 『真相日本のゴルフ史⑪ ルール解釈に自費出版も辞さなかった高畑誠一の執念』
資料はJGAミュージアム国会図書館で閲覧他、筆者蔵書より

 

(この記事の著作権は松村信吾氏に所属します。)

マスターズとは何の関係も無い、自分の楽しみゴルフの話

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マスターズはそれなりに楽しんだことは事実。

でも、その話と自分の楽しみのゴルフは全く別な話。
その間には何の影響も繋がりも無い...全くいつからこんな風になっちまったんだろ。
20年くらい前までは、「あんな風にコースで打ってみよう」とか「あんなクラブを自分でも使ってみたい」とか中継からの影響を受けることって結構多かったのに。

今じゃ、「ショーは終わり。 今日からは自分の楽しみを楽しもう」だもの。

で、俺の場合の昨日のラウンド動機の最大のものが、この松村博士手製のドライバーを試打できること。
俺のヒッコリーゴルフで一番不満な部分が「気持ちの良いティーショットを打てるウッドが無い」事だった。
今までに集めた百年もののウッドは数だけなら20本くらいになるのだが、実際に打てるものは7本程度...その中になんとかクォーターショットくらいの力で打って、それなりに納得出来るものがまだ無い。
4〜5本コースで使ったけれど、途中でシャフトが柔らかくなってしまったり、シャフトが折れたり、振るに連れて制御不能になったりで納得出来るものは無かった。
(ヒッコリークラブではアイアンよりもウッドの方が年月の影響を大きく受けているようだ(劣化という意味で)。)

そのために現代に制作されているタッド・モアのウッドを手に入れて、そのドライバー、スプーン、クリークをラウンド用のウッドとして使用しているが...これらのクラブに共通して言えるのが、「現代ボールで打っても壊れないため」だろうシャフトの肥大化から来る打感の鈍さだ。
大げさに言えば、百年もののシャフトの倍くらい太い現代物のクラブは、「まるで丸太でぶん殴っているような」手応えで、とても満足できる代物じゃあない。

そこに博士が渾身の力を込めて制作したこのウッドだ。

一昨日に届いたばかりで、練習場で試打も出来ずににラウンド体験となったけれど...まず、見た目が実に美しい(フェースなんて芸が細かすぎるくらいだ)。
それにシャフトも太過ぎず、構えた感じに違和感は無い。
ヘッドはやや洋梨型で、古いパーシモンドライバーの名器693的な匂いを感じる。

いきなりの第1発目が左へ一直線のラフだったけれど、ちゃんと「捕まった」という感触と「しっかりした」手応えを感じて納得。
ハーフの間は左目に出ることが多かったが、フェアウェイに行ったホールでは十分納得のいく結果だった。
当分の間借りられるので、しばらくはこれでヒッコリーゴルフが今まで以上に楽しめる。

 

 

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さて、今年3ラウンド目の昨日のゴルフだけど、埼玉のソメイヨシノはもうすっかり散って葉っぱだけになっているのに、ここ栃木の奥の季節はまだ山桜が満開。
期待していなかった「桜吹雪流れる中でのゴルフ」が楽しめた。

ただ、グリーン上が花びらだらけで、パットを打つ時に「目が回る」と感じるのは俺だけだろうか?

 

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天気は最高、マスクが苦しかった以外は全く文句の無いゴルフ日和だったが、致命的なチョロ・先っぽ当たりが5回。
そのあとのショットはちゃんと当たるのだが、平らで何の問題も無い場所からのカス当たり(中には空振りに近いものもあった)には参った...何回か「肩の入りが浅い」という感覚があったから、あまりにも加減したショットを打とうとしてスイングになってなかったのかも知れない。
問題は「平らじゃないライ」からのショットには何の不安もないのに、全く平らなライからだけこの大ミスが出るような気がして不安になること。
多分、ライの悪い時には下半身を動かさないイメージで打っているのに、良いライの時にはスイング全部を加減して下半身が動きすぎているのだろう。
肩の入りが浅い上に下半身が暴れすぎて、右肩が出てしまい「あ、スイングになってねえ!」という感覚で信じられないクソ当たりになる。
...分かるのにやってしまう情け無さ。


ハーフコンペの結果は、大叩きしたホールが隠しホールに全部外れ、トータル52に対してハンデがほとんどつかずに、46人中46位のぶっちぎり最下位になっていた(笑)。
参加賞と最下位賞の二つもらって退場(笑)。
いやあ、「18ホールコンペ」の時には上位入賞率を自慢していたけど、最近の「9ホールハーフコンペ」でのハンデの外れっぷりは見事なもんだと思う。


でも、面白いからヒッコリーでまたやる...最近はだんだんいいゴルフが出来ているホール数が増えている。
乱れたホールをボギーで収めることがもう少し出来たら、結構いい結果を残せるんだけど...俺は大叩き男だからなあ。

それが今後の課題。

メジャーの優勝・マスターズ2021

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松山は「牛」だな。

アメリカツアーには、世界中から人間離れした怪物が挑戦してくる。
例えばタイガーを虎とすれば、ゴリラやクマやゾウやサメや、果ては空想上の動物にも対抗しようなんていう化け物じみた能力の選手たちが、栄誉と金を目指して死に物狂いの戦いを繰り広げている。
そんな中に、ずっと以前から日本人のゴルファーも挑戦を続けてきた訳なんだが、日本国内で「怪物」と呼ばれた人材も、この激烈な戦いの場に行くとあまりにもひ弱で非力で、力不足に思えた。
もちろん単発では優勝争いに加わって、現地の報道で「優勝も狙える強いゴルファー」と(お世辞で)褒め称えられる選手も何人かいたけれども、その評価はどこか「上から目線」のせいぜい「良き敗者扱い」までであったように俺は感じていた。

だが今回、松山は全く対等に優勝争いをしているゴルファーとして扱われていた、と思う。
俺の目に見えた松山は、猛獣の群がる中で平気な顔をして草を食っている大きな牛の姿だ。
吠え掛かる猛獣を横目に、引けを取らない体格で腹を出してのし歩く太った牛だ。
...草食獣なのに、道を譲らない。

いいコーチについたんだと思う。
以前のあのおかしな、リズム感の無い、ちぐはぐなスイングは俺は嫌いだった。
日本のゴルフジャーナリズムは、結果さえ残せばそのスイングが「素晴らしい!」と手放しで褒める提灯記事を書き続けるが、あのスイングのどこが一般のゴルファーにも薦められるような素晴らしいスイングなんだ?
そんな雑誌なんかがあのスイングを褒めるものだから、巷のオープンコンペなんかで、トップで無理やり止めてダウンでものすごいスエーをしてミスショットを重ねるゴルフ好きの犠牲者を沢山見かけた。
「あれは松山だから出来るスイングなんだ」という事。
真似して良いことなんか一つも無いって、なぜ書かない?

それがちょっと見ない間に、あまりにスムーズなスイングになっているのに驚いた。
あちらの放送関係者も松山がトップで無理に止まっていないことに驚いていたんだから、最近ついたというコーチの力なんだろう。
これなら俺も気持ち悪くならずに見ていられる。
それにプラスして、この「無理止め」が無くなったためか、構えてから始動するまでの時間が短くなった。
今まではアドレスに入ってから妙にモジモジモジモジしていて、この時間が物凄く長いことも俺は嫌いだった...要するにスイングのリズムの全てが気持ち悪いから松山の試合を見なくなったんだけど、このマスターズでは本当に別人のリズムに変わっていた。
特にショートアイアンのリズムが良い。
インパクトでキレを感じて、その打球音が実に気持ち良い。

 

...で、優勝した。
まず、何よりもパットが良かった。
これだけパットを入れる松山を見たのは、記憶に無い。
先に書いたようにショットのリズムが良かったが、ただロングショットでたまにトップでちょっと止まる時があり、特にティーショットで止まった時には大きなミスになっていた。
しかし、大きなミスになりそうなトラブルのほとんどをパットでカバーできる程、今回はよくパットが入った。


そして何よりこの大会は、「流れ」というものが本当に松山に味方したと思う。
この「流れ」...多分オーガスタの神様が牛が好きだったんだろう。
松山のミスショットが「最悪」には決してならない事、ショットに「アンラッキー」と感じる結果が無かった事、松山が崩れそうになると追いかけているゴルファーが先にミスをしてくれる事...
リズムの良い、フェアなゴルファーと決勝ラウンドで組むことができた事。
(リズムの合わないニック・ファルドの前で自滅したノーマン...)
天気と観客の声援が松山に余計なプレッシャーをかけることが無かった事。
タイガー・ウッズの応援団と決勝ラウンド中に喧嘩したモンゴメリー...)

途中4打差も5打差もつけながら、サンデーバックナインでモタモタして、最後のホールの最後のパットまで気を揉ませてくれた「勝ち方」はともかく、このマスターズに優勝出来たことは本当に大きい。

これで松山は、自分で「もう満足なプレーが出来ない」と言うまで、毎年必ずこのマスターズに出場出来るのだ。
彼の栄誉は生きている限り、オーガスタナショナルがある限りここで称えられるのだ。

かって、10年以上続けてマスターズに出場していた青木功が「マスターズに呼ばれなくなる事は、華やかな世界から置いて行かれて見捨てられたような気がする」とその寂しさを語っていたのを覚えている。
...19回出場の尾崎も14回出場の青木も、ついに優勝争いに絡むことは無かった。

 

渋野の全英女子オープン優勝も凄いが、この松山のマスターズ優勝は、およそ世界のゴルファーたるものの望む「一番幸せな優勝」だと俺は思う。

 

松山は、世界一幸せなゴルファーになった。


スイング改造に、乾杯!。

2021年マスターズ 予選ラウンド

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やっぱり、マスターズは「春のゴルフ祭り」だよな。
花で一杯のコースの眺めは、昨年秋の臨時マスターズの秋光景よりはずっと華やかで明るい。

こうした華やかなコースで、世界の一流として名を挙げたゴルファー達が「優勝すれば終身メンバー」となれる「マスター」を必死で目指すのが「祭り」らしい。
他のメジャーと言われる大会がいくら名誉と格が高かろうと、優勝した年から5年ほどしか出場の権利が与えられないのに比べて、このマスターズは優勝すればゴルフが出来る限り死ぬまでこの「祭り」に出場できる。
たとえ大会に出場できなくとも、毎年のチャンピオンズディナーに必ず出席出来て、その名誉はずっと讃えられる。
出場者達は本音では、どんなメジャーよりもここで一番優勝したいだろう。
長い時期世界ナンバーワンを誇ったグレグ・ノーマンも、やはり長期間欧州敵無しだったコリン・モンゴメリーも、ついにここで勝つことが出来ずに歴史の波の中に消えて行った。
そして今回も、リー・ウェストウッドが波の中に沈んで消えようとしている。

現在トップのジャスティン・ローズも、そう多く残っていないチャンスを感じて、必死のプレーをしているのだろう。

もちろん松山も、今売り出し中のデシャンボーも、フィナウも、モリカワもトーマスも、あるいは偶然の一発でもいいからここの優勝をと狙っている者も、ここでの奇跡を切に願っていることだろう。

予選カットで、ダスティン・ジョンソン、マキロイ、デイ、ケプカ、ウェストウッド、クーチャー達が落ちた。
一度でも勝っているプロはどうでもいいけど、時間とともにチャンスの少なくなっていく年齢のプロ達にとっては、本当に重い予選落ちだと思う。

 


だが、ゴルフのプレーに関しちゃ素人の参考になるような事は一切無い。
F1サーキットで競り合っているドライバー達を見て、我々の街乗りの参考になるか、って事と同じぐらい全く無意味。

にしても、コースで状況が刻々変化している時に、延々と松山の練習風景やおしゃべりしている姿を移すテレビ局の姿勢にブチ切れそうになるのは...相変わらずの日本の中継。

応援してないわけじゃ無いが、ちゃんと他のゴルファーのプレーも放送してくれないなら、松山の活躍を単純に楽しめない。
試合の流れを壊すような中継姿勢だけはなんとか改善してくれ。

 

 

と書いていると、誰が優勝するかより自分が自分のプレーを楽しみたくなって来た。

肩の荷が少し降りたついでに、来週後半、安いオープンコンペ出場を考えようっと。

4ヶ月ぶりの経過診察

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去年の12月初めの診察から、4ヶ月ぶりの奥さんの経過検査。
治療終了後の「現在」の状態を診断してもらう日だ。

今年に入ってから、本人には心配なことばかりが続いていた。
いろんな体の不具合が続けて出て、それが全てその病気に由来するものではないかとの不安で一杯になっていた。。
「まだ治ってないんじゃないか?」「再発するんじゃないか?」という不安で、ずっと寝られないくらいに悩んでいた。
いくら俺が「それは関係ないんじゃない?」「気にしないほうがいいんじゃない?」と励まそうと、それは全て素人の無責任な楽天的判断に過ぎないと感じていた様だった。

それぞれの症状に合わせて、近所のいろいろな科の医者から、いろいろな薬をもらって飲んでいた。
そうした目に見える症状は、良くなったり悪くなったりを繰り返していた。

今日、4ヶ月ぶりに担当のO先生に朝採血された血液の検査結果を診てもらい、この4ヶ月間のいろいろな症状を訴えた。
俺はこうした病気には詳しくないので、医療機関で働いている下の娘に同行してもらって、奥さんの感じている不安を代弁してもらうことにしていた。
不安なことを分かりやすく箇条書きにして、それに個別に答えてもらう形で話をして....

結果、今日先生からはっきりと「大丈夫です」「悪くなる兆候は全くありません」との答えをもらった。
(娘や俺が質問したことにも、しっかりと明快に答えてもらった)。

...とりあえず、一安心。
「次の経過診察は5ヶ月後で大丈夫」、とも。
奥さんも娘もホッと一息ついていたが、俺もかなりの部分で「肩の荷が下りた」。

 


...今週はマスターズだし、これからは花粉とコロナを避けながら、俺はまたボチボチとヒッコリーゴルフを楽しもう...(なにせ、俺のゴルフ時間もあんまり残っていないから)。

 

 

 


...ああ、良かった。

 

花の季節は終わっても...

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「花散らしの雨」は絶対に降るものだし、宴は必ず終わるもの。

がしかし、夜の後には朝が来て、雨の後には晴れが来る。
花びらが落ちた後には、もう新緑の葉が伸びている。

花粉さえ無ければ、黄砂さえ無ければ、PM2.5さえ無ければ、この新緑の季節は一年で一番気持ちが良いハズだった。
今年はその上にあの武漢肺炎が加わって、ただただ耐え忍ぶだけの時間になった。
国の発表したワクチン接種の情報なんぞ全く我々のところには伝わって来ないし、オリンピックがどうしたなんて「いったい何処の国の話なんだ?」ってのが正直な感覚。

そんな中で、7日にうちの奥さんの治療後の経過チェックをする。
まだ本人の感覚的では「完治」には程遠く、いろいろな不具合が次々に現れて来て、その度にそれぞれに対応することに四苦八苦している。
「元通り元気になりたい」というのは本人や家族に共通した思いだが、そもそも「元通り」という事がイメージとしてはっきりしない。

俺の心臓のアブレーション手術の時にもそうだったが、治療が上手くいって退院すると自分では「体が治ったのだから、なんの心配もなく若い時のように動ける」なんて思い込んでいて、現実の自分がすでにジジーになっていることを忘れてしまっている。
すると、不整脈が出ていなくてもちょっと動いて「ゼエゼエ、ハーハー」と息が上がるのが、自分ですごいショックになる。
「なんだ、俺は治っていないのか!」と...実は不整脈が出ていないんだから治療は上手くいっているし、それらは長年の運動不足と年齢的に当たり前の状況なんだけど。

うちの奥さんも、辛い治療を乗り切って来たものだから「あんなに頑張ったのに、どうして?」という気持ちが強いように思える。
入院なんてしたことがない我々にとって、やっと退院出来た後に今の状況と比べてしまうのは、どうしても思うように身体が動いたずっと以前の若い頃の動きの記憶なのだ。

俺も自分の年齢を何度も自分に言い聞かせる事で、時間をかけてその違和感を薄くして来た。
うちの奥さんも、7日に「大丈夫、うまく行ってます」と言われた後、その年齢なりの自分のやり方を自覚して、もうちょっと気楽に行けるようになればいいんだけど。

とりあえずは散歩を続け、花粉やコロナを避けながらなんとか今しばらくを生き延びて、その後の夏の暑さも切り抜けて、秋の自分のゴルフシーズンを楽しみにしたい。
オンボロキャンパーでの温泉旅や旅ゴルフも、その頃には騒ぎが収まって復活出来ていればいいんだけど。


ま、月一程度は俺はヒッコリーゴルフをしたいと思っているが、それも世間の状況次第。
来週には今年のマスターズが始まるけど、最近の俺はデシャンボーくらいしか興味がない。
ああ、そういえば松山があの途中で無理やり止めるスイングを今週の試合からやめたようだ。
正直、俺はあのスイングが気持ち悪くて全く見たくなかったから、「それは何より」の情報(笑)。

 

散る桜..

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去年と同じように早く咲き始めた桜は、今年は4月になる前にもう散り始めている。
去年は桜が咲いてから何回か雨や冷え込みがあって、4月になってからも満開が続いていたけれど、今年の桜は入学式前にみんな散ってしまいそうだ。


俺は桜は「散っていく頃」が一番好きだ。
いつの頃からか、さっと風に流れて景色を隠した桜の吹雪の向こうには、この世ならざる不思議な世界が見えると信じるようになった。
自分が会いたい人々...ずっと以前に亡くなった人や別れた人が、そこで穏やかに笑っている...そんな気がするのだ。

自分に向かって不意に吹く一陣の突風に、花びらが俺の周りを渦を巻いて通り過ぎる。
一瞬...今の時間がかき消されて、そこに...なんてね。


春たけなわ、なんて本来なら希望に満ちてるはずの季節も、最近数十年は「花粉」に吹き飛ばされて、おまけに去年からは武漢肺炎にぶち壊されて、ただただ「我慢して耐え抜く時間」になってしまった。

で、気分を変えたい。
俺は文学的素養なんて無いけれど、桜吹雪に桜の花を読んだ有名な俳人の句がいくつも頭に浮かぶ。
そんな俗物の俺の好きな句を少々(甘いっちゃ甘い奴・笑)

さくらさくらさくさくらちるさくら  (山頭火

散る桜 残る桜も散る桜   (良寛

さまざまの こと思い出す桜かな   (芭蕉

桜花 何が不足で ちりいそぐ   (一茶)
夕ざくら けふも昔になりにけり  (一茶)

夜桜や 人鎮まりて 雨の音   (子規)

散ればこそ いとど桜は めでたけれ 浮き世になにか 久しかるべき
                             (不明)

ちる花は かずかぎりなし ことごとく 光をひきて 谷にゆくかも
                          (上田三四)


あ〜あ...改めて書こうとすると、好きで覚えていた句がほとんど思い出せない。
桜吹雪に記憶力をみんな持って行かれちまったのかもなあ...