ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

松村信吾の発掘ノート

掘っくり返し屋のノート㉖ 『戦前の来訪外国人プロゴルファー芳名帳』 その2

ロバート・アラン“ボビー“・クルックシャンク(1894~1975)とウィリアム“ワイルド・ビル”・メルホーン(1898~1989)共に1930年12月に来日クルックシャンクはスコットランドからのアマチュア出身の移民プロ、学生時代は陸上競技で活躍したほか、トミー・ア…

掘っくり返し屋のノート㉖ 『戦前の来訪外国人プロゴルファー芳名帳』 その1

・グリーン某(1888乃至89~1919.3/21)1914夏,18年来日上海GC所属プロ、1914年夏に横浜のNRCGAの要請で来日し、同クラブと神戸GCでレッスンを行う。4年後の18年来日NRCGAと東京GCでレッスンの後関西で舞子CCのため設計に当たったほか、福井覚治に技術面のア…

掘っくり返し屋のノート㉕『日本に来た最初の外国プロとそれに纏わるクラブ』

現在ではトーナメントに海外のプロが招待されたり、日本のツアーに出場するというのは、珍しい事ではない。しかし、1960~70年代ではチョットしたトピックになり、行き来が航路であった戦前になるともう大変で、本場の技術を得ようとレッスンで引っ張りだこ…

掘っくり返し屋のノート㉔『ケセラ・セラ』

1890年代末期から1920年代初頭に活躍したアメリカのプロにアレックス・スミス(1874~1930)という人物がいた 彼はスコットランド・カーヌスティのグリーンキーパーの五人兄弟の長男(実際には他に夭折した兄弟姉妹が5人いた)として生まれた。そのような環境…

掘っくり返し屋のノート㉓『汝の名は』 後編

3 柏競馬場併設の柏GLでゴルフが面白くなった近藤・行天の仲良しコンビは一度別のコースに遠征をしてみようとどちらが言い出したか、柏GL開場の前年に開かれた伊豆の川奈GL(当時は大島コースのみ)に遠征をしてみようと計画を立てた。 二人が同地へ出掛ける…

掘っくり返し屋のノート㉓『汝の名は』

930年代に入るまで 日本のゴルフ界にはパブリックコースが非常に少なく、ゴルファーと云うものはゴルフ倶楽部に入っている事が大前提であった。加えて当時あった倶楽部のほとんどは(特に関東)入会金や年会費に多額のお金が掛った為、一般大衆に縁のないブ…

掘っくり返し屋のノート㉒ミステリー4『真相は心の中か意外な処か』(下)

前章で1926年度日本Amで赤星四郎・六郎兄弟がタイをして後日プレーオフをする予定でありながら、六郎が病気のため棄権した以外の日時等詳細が不明になっている件と、それにまつわる風説を書いた。そして文末に書いた筆者が推察する要因(あくまでも推察であ…

掘っくり返し屋のノート㉒ミステリー4『真相は心の中か意外な処か』(上)

ゴルフ史を調べているとプロにせよアマチュアにせよ競技に関して結果のみが記され詳細がよく解っていない記録があるのは致し方ない事なのか。そういったことを省いた記録リストとは別であるが、そのリストですら一時期のオーストラリアPGA選手権の様に最初期…

掘っくり返し屋のノート㉑『ミステリー3 幻の国産ボール第一号』

前回、虎屋のゴルフボール最中の話で大正~昭和初期のゴルファーたちが国産ゴルフボールの登場を待ち続けていた事に触れたが、今回は国内ゴルフボール製造の起源についての書き物だ。本年6月に週刊ゴルフダイジェストでえなりかずき氏が連載コラム『ゴルフの…

掘っくり返し屋のノート『虎屋狂騒曲』

現在では余り想像がつかないが、近代までゴルフボールというものは可也高額であった。フェザリー時代は勿論のこと、ガッティ(メッシュ付き金型が出来る1890年代頃まで一個ずつ薄刃ハンマーで300個前後の刻み目を入れていた)、そして糸巻き(工程からガッテ…

掘っくり返し屋のノート⑲『労働者ゴルファーとしての宮本留吉』 その2

宮本の回想記には徴兵検査のあった年に父親が急逝し、家業の茶店を継ぐかどうかという時に知人の別荘周旋業者の紹介で広岡に雇われたとある。この二つの時期については、宮本の誕生日1902年9月25日と、検査のある時期が満年齢20歳に成った年の4~7月であるこ…

掘っくり返し屋のノート⑲『労働者ゴルファーとしての宮本留吉』 その1

日本におけるプロゴルファーというのは、戦後しばらくまでアマチュアから転向をしたプロを除くと、大抵はゴルフ場でキャディとして働きながらそのままコースに勤務してプロになっていく。というのが一般的で、福井覚治から始まるパイオニア達は勿論その道を…

掘っくり返し屋のノート⑱『昭和三年のマラソンゴルフ』-2

時は1928年8月6日、六甲山の神戸GCから朝4時のスタート。の予定だったのだが、前日5日は暴風雨に加え気象台への翌日の予報問い合わせも芳しく無かった事から、中上川は『こりゃ無理だろう』とコース内に在る関西若手実業家ゴルファー達の社交倶楽部、サース…

掘っくり返し屋のノート⑱『昭和三年のマラソンゴルフ』-1

戦前期のゴルファーというのは彼らの社会的階級や地位も関係していたのであろうが、かなり思い切った事をした話が点在している。中には、『何だい、結局金持ちのお道楽ではないか』と言いたくなるような鼻につく話もあるが、たいていは純粋にゴルフを心から…

掘っくり返し屋のノート⑰『堅実か挑戦か』

神戸GCの18番ホールはドラマチックな展開を生み出す様な造りになっている。このホールは昔から250yd台(現在バックティ258ydフロントティ223yd)の短いパー4なのだが、ティとグリーンを結ぶ位置にOBとなる谷間(正確には崖と斜面)があり、フェアウェイはそ…

掘っくり返し屋のノート⑯ 『パイオニアの苦しみ』

ゴルフにおけるパイオニアというのは中々理解がされず苦労する。ということが多い技術しかり、用品の新素材・製法しかり、更にはゴルフという存在自体も。である。アメリカゴルフのパイオニア達にはプレーをしていたら周囲に嘲られたり、中には『怪しい遊戯…

掘っくり返し屋ノート⑮『ゴルファーのプライド二態』  (松村博士の発掘ノート)

関西邦人ゴルフのパイオニアに久保正助という人物が居た。 彼は神戸ガスの重役で、1914年に鳴尾GAが出来た頃に英国仕込みのパイオニア伊地知虎彦(1927年度日本Am2位)の勧めで始めたという、国内生え抜きでは最古参のプレーヤーで、南郷三郎らとともに舞子C…

掘っくり返し屋のノート⑭『カーヌスティと日本のプロゴルフ』

スコットランドの港湾都市ダンディーの近郊にあるゴルフリンクス、カーヌスティ。 全英OPの会場として有名であるが、ゴルフにおいてもう一つの注目すべき点があった。 それは、19世紀末~20世紀初頭にこの場所から世界各国へ沢山の職業ゴルファーやアマチュア…

掘っくり返し屋のノート#13、ミステリー②『サラゼンの回想とトイチの謹慎』 (後編)

戸田藤一郎については小柄な体から繰り出されるロングドライブやその勝負強さ、ゴルフ界を追放されながらも復帰後競技に次々と勝った話など虚実入り乱れた伝説が残っている。 戸田の来歴を書いてみると彼は近所に第二期横屋GA(後甲南GC)が在った事から4~…

掘っくり返し屋のノート#13、ミステリー②『サラゼンの回想とトイチの謹慎』 (前編)

1920~40年代に活躍したアメリカの名手、ジーン・サラゼンが初来日したのは1937年の事で、友人で広告代理店のオーナーA.D・ラスカー父娘らと共に出かけた世界ゴルフツアーの道中の際にサラゼン本人が事前にJGAへ宛てた 『本年度のオープンチャンピオンと72ホ…

掘っくり返し屋のノート12 ミステリー・1

(久しぶりの松村博士の記事です。この記事の著作権は全て松村博士に所属します。) ゴルフ史にはどういう事なのか顛末がはっきりしていないが、記録には残っている事柄というものが沢山ある。 特に本邦の戦前ゴルフ史などというものは、資料が残っていなか…

ダヴィッド・フードの補足(掘っくり返し屋のノート~11)

以前、戦前の来日プロ、ダヴィッド・フードについて書いたが、その後も史料を探していた所、彼は単なる来日プロでは納まらない人物のように感じた為、今回はその事の紹介をし、以前書いた評伝の補足としたい。 ・フードの経歴と活動範囲 先年の初秋であった…

掘っくり返し屋のノート(10)「彼等はどうなったのか、第一回日本プロ出場の三人のその後」

「彼等はどうなったのか、第一回日本プロ出場の三人のその後」 先年から第一回日本・東西三プロ選手の顛末やプレーヤー達のその後を書く為、調査と文の手直しを繰り返していたが、その途中雑誌「Golf Style」で第一回日本プロに関する事柄が発表され、更に日…

掘っくり返し屋の戯言 「皆が思うよりは...?」

You-Tubeに、ヒッコリーゴルフについて、Stアンドルーズで復刻クラブを作っているStアンドルーズ・ゴルフ社を絡めたディスカバリーチャンネルの番組がアップされている(英語と日本語字幕の2種あり)。 番組内で工房内のクラブ製造の様子が挙げられて居るが…

知られざる来日プロ~2 (掘っくり返し屋のノート~9)(後編)

関西でのフードの活躍について、宮本留吉は回想録でカナダのプロと書いているが、彼は茨木GC設計の傍ら大阪市内で週1~2でレッスンをしていた、と有る。 宮本はフードについて、大男だが動きが緩慢でボールも飛ばず、大したことのない腕前であったと書いて…

知られざる来日プロ~2 (掘っくり返し屋のノート~9)(前編)

最初期の訪問プロ達の中で注目に値するのが、今回の主人公ダヴィッド・フード(David.Hood生没年不明)である。 彼の名のスペルはDavid.Hoodであるが、本によっては(特に新しいもの)ディヴィッド・フッドと書いてあるものも見受けられる。リアルタイムで彼…

知られざる来日プロ~1 (掘っくり返し屋のノート~8)

戦前日本を訪れたプロゴルファーで、当時のゴルフ界に影響を与えた人物というと、ウォルター・ヘーゲン(1930、38)やジーン・サラゼン(1937)が取り沙汰され易い、他には1930年に訪れた”ワイルド”ビル・メルホーンとボビー・クルックシャン…

名手聖人にあらず? (掘っくり返し屋のノート-7)

ハリー・ヴァードンというと、ゴルフ史に永遠に名の残るプレーヤーであろう。 未だに破られない全英OP六勝に全米OP一勝を始めとする素晴らしい戦績。真円のスウイングから繰り出される正確な球筋は数多くの伝説を作り、彼が採用したオーヴァーラップグリップ…

戦前関西OP最年少優勝者について(掘っくり返し屋のノート-6)

ゴルフ史の調査をすると、従来の定説を覆す様な記録を当時の文献から見つける事が出来る。 先達の方々が見つけきれず、不明とされるなどした”それ”を掘り返す事が半ば趣味と化している私は、JGA資料室に通うようになった八年間(今までの書き物で参考資料と…

松村信吾(博士)の調べた事

(今回はどなたかの資料になるやも知れぬ事柄なので、松村信吾氏の描いた図とともに発表しておきます。) 【戦前発売された国産クラブ・モデル名一覧】 ・N.G.M(日本ゴルフ用具製作所) Chick Chin(陳清水) 1937頃 ボビー・ジョーンズモデル 1934…