今は毎日、休肝日無しに350mlの缶チュウハイを2〜3本で晩酌を欠かさない。
摘みは安売り店の袋菓子や惣菜をいくつか...以前行きつけの居酒屋で飲んでいた時のような純米酒や珍味の組み合わせで一杯のような贅沢はしていない。
それは、行きつけだった店が一軒残らず無くなってしまった事と、同年代の飲み相手がすっかり居なくなってしまった事と、稼ぎが少なくなった事と死にかけた事が原因...まあ、原因としちゃフルスペックって事なんだが(笑)。
...夕刊フジが1月いっぱいで休刊となるように、一時は一世を風靡した夕刊紙がスマホに押されてすっかり売れなくなってしまい、俺の数十年続いた仕事だった日刊ゲンダイも、経費削減のためにゴルフページが無くなり担当者も定年でいなくなった事で完全に無くなった。
すでにかって3誌あったゴルフ週刊誌の内、アサヒゴルフとパーゴルフが無くなり(どちらも仕事をしていた)、残るはダイジェスト1誌のみとなった。
ゴルフ関連誌の衰退はゴルフブーム・ゴルフ人口の衰退の影響をモロに受けた結果で、日本の庶民ゴルフの終焉の姿だと俺は思っている。(せっかく時間をかけて「誰でも出来る」状態になって来た「類なく面白い大人の遊び」なのに、今後これを体験しない人が増えていくだろう事を非常に残念に思う。)
...俺にはまだ共同通信のゴルフイラストの連載は残っているが、前途は厳しい。
今年は健康面で色々と事件があった。
前半は俺が死にかけ後半は奥さんが死にかけるという、病気との怒涛の戦いだった(今じゃ笑い話の気分だが、実際はまだ油断して気を緩められない状態が続いている。)
自分に関して言えば、ヘモグロビン値が5まで下がり、百メートルを歩くのに3回も4回も休んで息を整えなければならなかった窒息状態の苦しみや、同じ時期に発症した脊椎菅狭窄症による右の尻から足先までの痺れでの歩行困難な状況から比べたら、今は奇跡のような良い体調と言える。
...輸血を12回も繰り返し、ビダーザの注射を7クールやり...延々といつまで続くか分からない治療中にいきなり、ほぼ諦めていた「またゴルフをやれる」状態に急激な復活が出来てしまった(担当の医師が「なぜだ?」と驚く状態)。
15キロ痩せて飛距離も体力もダダ落ちだったけど、この3ヶ月で車を走らせ・車中泊を楽しみ・野を歩き・球を打ち...なんてことが出来るようになって本当に嬉しかった。
だから...復活できた事をずっとゴルフの神様に感謝し続けた。
だが、この後半の復活の前、俺の体調がいきなり良くなりかけたその時に、奥さんが(まるで交代するように)不調になった。
ちょっと長く体調不良が続いていた後、帯状疱疹を発症して一気に衰弱し、あわやの敗血症から多臓器不全での命の危機まで...救急医に「今日明日がヤマです」と言われた時には、俺も娘も顔面蒼白になった。
だが、緊急入院した獨協医科大学さいたま医療センターで、驚くような治療効果があって3週間の入院後日常生活に復活出来た。
この時には、医師から「あと1日遅れていたら手遅れになっていた」なんて言われた程の、ギリギリの幸運だった。
ただ、まだしばらくはゴルフが出来るような体調までは回復しないので、暫くはインフルやコロナを避けての休養期間となっている。
我々の年齢からしてまだ油断や無理は禁物だが、こうして二人が今回の命の危機をなんとか乗り越えることが出来たのには、何かしらの「人を超えた存在」に感謝するしか無いと感じている。
つまり、今年の我々はまず病気になる不運があって、次にそこを脱する幸運があった...そこに幸運をもたらしてくれた存在がいるんじゃないか?...そんな気がしてしょうがない。
てな訳で、今年はなんやかんやのドタバタが一年続いたけれど、今現在こうして二人とも普通の生活が出来て、毎夜晩酌が出来て、ゴルフをなんとか楽しめるってことがありがたい。
今、ヘモグロビン値は14もあり、血圧は高いものの不整脈はなく、手術の際に麻酔の不手際からの強烈な痛みに腹が立った痔の方も今は全く痛みも出血も無く快調そのもの。
脊椎管狭窄症による右尻から右足全体の痺れも今はほとんど感じないし、これまでを考えると嘘のような状態だ。
ただ、この状態がいつまでも続くという保証は何も無く、骨髄異形成症候群の状態がいつ急変するかも分からないのが来年に向かう不安...好転の原因が医師にもわからないんだから、急変して悪くなるのも覚悟しなくちゃいけないだろう。
今はあえて節制するつもりも無く、日々を楽しむようにとだけ考えて行動している。
さて、これはいつまで続く日々なんだろう...覚悟と感謝の日が続く...