ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

結構焦っているんだけどな

 

俺は、暑過ぎず寒過ぎずの季節には週一は多少無理してもゴルフを楽しみたいんだよ。
稼ぎは少ないし、体はあちこち痛いけど...野山を球打ちながら散歩する時間なんてもうあんまり残って無いって分かってるから。

 

30半ばでゴルフダイジェストの仕事を始めてから、しょうがなくて始めた「ゴルフ」って言う金持ち遊び。
貧乏人の俺の一族にゃゴルフやっている奴なんて一人も居なかったから、そんなことでもなかったら俺はゴルフには全く関係無い人生を送って居ただろう。

 

しかし、何が理由でも始めて良かった...こんな面白い遊びは他には無かった。
その頃は俺はスキーに熱中したり、パラグライダーやウィンドサーフィン、キャンプ・ワンダリング、カヌーなども齧ってみたけど、実感としてゴルフが一番面白かった。

幸い体力があったので、誰よりも飛んだし仕事柄プロと回る機会が多く、プロのプレーを見るだけで腕は上がって行った。
プロにも「なんでもっと早く始めなかったの?もったいない」とか、「その体があれば世界にも行けたのに」なんて煽てられ、木に駆け上る豚の如く「勘違いと妄想の中で」すっかりその気になってしまった。

 

が、まあ現実はそんな甘いものじゃなく、仕事に追われて寝不足の体調で無理をし続けて、間も無く体のあちこちがぶっ壊れ(要するにもう若くは無くなったってこと)、ゴルフに対していじけてグレて不良になって行った。
そのまま時の流れと共に流れ流れて、ただの偏屈不良ジジーゴルファーでくすぶっていた時にヒッコリーゴルフ に出会った。

 

これは異質のゴルフだった!
使えるクラブを集めることや、クラブを壊さず楽しめる糸巻きボールを集めることには苦労があるので、他の人には勧められないけど...ヒッコリーゴルフ(これは俺のスタイルで、他の愛好者とは違う)はそれまでやっていたゴルフと全く違って、本当に面白い。

80を切れないとクラブをぶん投げていた醜い俺が、100を叩いても必死に粘ろうと耐える事を楽しめる。
ドライバーでナイスショットしても200yも飛ばないし、腐った糸巻きボールはスピンがかからないし、フルショットやミスショットでクラブが壊れる。
殆どパーオン出来ずに、3打目4打目を考えての攻略が基本で、ボギーが基準打数になる。
パーを取れれば、以前のゴルフのバーディーよりもずっと嬉しい。
こんなゴルフをしていると、まるで俺が良いゴルファーになった様な気になれる(笑)。

 

ただし、強い抵抗があるとクラブや体が壊れる可能性が高くなるので・雨天厳禁・ドロビチャライ厳禁、人工芝・凍ったライも厳禁。
だから天気予報はよくチェックして、雨のない日を絶対に選ぶ。

 

それがここ最近は難しい...何しろ予報が日毎に変わる。
最近の天気予報は一週間前からまず外れることはなかったんだけど、最近は1日で晴れから雨に、雨から晴れに変化する。

 

だから...
毎日毎日天気予報を見る度に、予定日をキャンセルしたり変更したりで大忙し...当然それに合わせて仕事の締め切りの日にちも考えなくちゃいけないし...

 

とりあえず、今週1回、来週1回、雨の日から逃げながら、「気持ちいい〜」を求めてスケジュールを決めるためにドタバタしている...左足はまだずっと痛いのに。

雨と暑さが来る前に

 

左足ふくらはぎの痛みが、もう五十日以上経つのに、毎日そっと動いているのに、毎日湿布薬を貼っているのに、全く良くならない。
運動不足は明らかで、ずっと止まっていた体重増加が再開したのが切実に感じられる...毎日五千歩は歩くようにしていたのに、普通に歩いているとすぐにふくらはぎの一番太い部分が痛み始め、さらに歩いていると膝裏の筋肉の付け根まで痛み出す、この怪我のせいだ。

それをこらえて歩いていると、右足まで痛くなってくる。
医者にもらった湿布薬は全く全然効かないし、歩くにしても(ビッコノヒトノように)大きく体を揺さぶっって歩かなければ長い距離を歩けない。
が、動いて無理して痛くなっても、安静にしたままと回復する時間は大して変わらないことに気がついた。
ならば、もう安静はやめて「動いて治す」だ。

...あるいは、ジジーの体ってのはこういう風に壊れていくのかも知れないな。
安静にしてても、動いても。

この前の旅ゴルフでは、「極力カート道のそばに打つ」「少しの距離でもカートを使う」「足を踏ん張るようなショットはしない」...で、なんとかラウンドは出来た。
勿論飛距離は落ちるしミスも増えるけど、無理をせずに頭を使えば結構いいスコアでも回れそうな手応えもあった。

六月になれば梅雨に入り、雨の日が多くなると同時に「梅雨の晴れ間」の気温が急上昇してくる。
コースがそのまま病院に直結する、ゴルフなんてトンデモない「無敵の夏」がもう直ぐ側にいる。
この季節には俺たちジジーの生き延びる場所は無い。

焦る焦る...あと何ラウンド、今年の前半シーズンにできるんだ...俺の残り少ない(はずの)ゴルフ人生のラウンド。
10日間天気予報で雨予報の日を避け、2サム割り増しのあるコースを除外し、以前だったら見向きもしなかったようなコースの「良い評判」や「クチコミ情報」を探す。
俺の中の昔からあった「良いコースの条件」を、全く綺麗に消去して「ヒッコリーゴルフで楽しめる」コースを探す。
あるもんだ...以前は「狭い」だの「短い」だの「トリッキー」だの生意気な能書き言って、無知な常識に曇り切っていた俺の目を吹き晴らす、地味ながら深い美しさや面白さを持つ「大人の遊園地」のようなコースが。


ヒッコリーゴルフを始めなければ、俺はきっと今だに「チャンピオンコースこそ一流の素晴らしいコース」なんて世迷言を言い続けていたろう。

「ゴルフの面白さは、それだけじゃない」ってことに、ヒッコリーゴルフのおかげで気がついた俺はラッキーだった。

さあ、今週も雨の合間を狙って、ゴルフ人生残りラウンドを楽しみに行く。

掘っくり返し屋のノート㉚『補記・幻の国産ボール第一号』

 

2020年9月にアップした『幻の国産ボール第一号』について新事実が判明したのでそれを記してみたい
前回の時は1929年に運動用具店でマグレガーの東洋総代理店であったイシイカジマヤの社長石井純一とゴム会社に勤め関東大震災前に国産ゴルフボールを造ろうとした技師吉田昇平によってゴルフボールの実用新案の願書が出され32年に広告された事と、吉田の弟で戦後銀座ゴルフの販売総部長をしていた吉田武雄が1961年に雑誌『近代ゴルフ』で回想した“昭和11年(1936)ころに『愛国ゴルフボール』という名で販売”という事との整合性が取れないため色々と考察をした。

その後資料が出てこなかったのだが、2021年に知己のヒッコリーゴルファー福本勝幸氏から、氏が入手されたイシイカジマヤ版の1932-33年マグレガーカタログのコピーを頂いたが、その末尾に1930年代初頭に大流行したベビーゴルフ(パターゴルフのこと)のキット『AIKOKU BABY GOLF』という広告があり、それに使われている球が『愛国ゴルフボール』なのかな。と考えていた。
それが今春に(知人に代行していただく形だが)戦前のマグレガーと美津濃のカタログ及び広告をまとめて入手することができた。
マグレガーのカタログはイシイカジマヤ版、銀座松屋運動部版と上野松坂屋運動部版の物であったが1931,32-33,34年版の三冊が在った。(イシイカジマヤ以外の版は裏表紙に店舗名の記載とイシイカジマヤの記述が無く店舗紹介に成っている等以外はほぼ同じなので、前社が委託発行をしていたのやもしれない)

筆者にとって一番価値があったのが1931年の松屋版で、代行してくださった方のお宅での支払いと引き取り際に飛ばし読み確認をした所、巻末2ページにある「All Japan Famous Professional Golfers」という国内プロ達の写真紹介の中に、忘れ去られた朝鮮最初のプロゴルファー、出口寛治のスタジオ写真が関一雄や中上数一の写真と共に掲載されていて、思わず『ああぁー在ったよぉ!』と掲載されているクラブの情報そっちのけで叫んでしまった。
というのも出口は京城GC従業員の親族で出入りする内にゴルフを覚え、技術が優れていたので内地の倶楽部に留学に出され、帰還後プロとして倶楽部に所属した人物で。
1931年度日本OPにも出ているのだが、その後不行跡で解雇されて以降消息不明になったが故に忘れ去られ、現在1935年に留学で国内競技に出た延徳春が朝鮮最初のプロとされるに至っている。そんな彼の写真というのがこれ迄出てこなかったので魂消てしまった次第だ。

閑話休題。このカタログはちょうどヒッコリーの終焉とスチールの一般化の間のクラブが出ており、これ迄ヒッコリーであった物をスチールにしたり、両方のシャフトで販売しているモデルが在るなど色々と参考に成ったが、クラブ以外の用品を確認していたら『AIKOKU BABY GOLF』のセットがその他のキットとともに紹介されているのを発見すると共に、P38-39のボールと付属品の項に大きく『AIKOKU GOLF BALL MADE IN JAPAN」、その下に『新製品 愛国ゴルフボール 特許出願中』名のもとに商品のイラストが在った。吉田武雄が述べていた愛国ボールは実在したのだ。

商品説明を読むと『ゴルフ界の進歩に伴ひ愈々國産ゴルフボールが完成致しました、ウエイト及サイズ等規定通りにして感じは舶來品と遜色無く、特に堅牢にして安價なる事を最も特徴として居ります。(原文ママ)』とある。
石井吉田らの出願から実用新案として広告されたのが1932年3月1日なので審査待ちの中販売されていた。と辻褄は合う。
なお値段はダース6円、一個50銭で掲載され、その他取り扱いのダンロップスポルディング、マグレガーら大手メーカーのボールがダース時価、ドット&ダッシュというボールがダース10円とあるが、時価ボールの一つであるスポルディングが当時販売していたクロウフライトを例にとると、
アメリカでの価格がダース8ドル、もちろん卸しの値段は販売価格よりも安いのが通常だが、当時は1ドルが約2円で、ゴルフ用品の関税(一定数までは免税された)が25%。それに販売側の利鞘を入れれば、日本での販売価格は恐らくダースで25~30円、バラで2円50銭は確実だろう。そういった事を鑑みれば、愛国ボールは破格の安さであり、吉田武雄が回想する、時の商工大臣や内務大臣らが外貨節約に大いに役立つ。と激励するに足りうるのをご理解いただけるか。
(なお外国製ボールは1930年代半ば以降にはもう少し安くなっており、1934年版カタログでもクロウフライトはダース20円50銭、ダンロップやシルバーキング、ノースブリティッシュなどの有名ブランドも18円に落ち着いている)

しかし、このボールは、32-33年度のカタログからは消えて仕舞い34年版も同様。吉田武雄の言う1936年に売られていた。という記述の裏付けになる物にはたどり着けなかった。
何故、生産乃至取り扱いを止めてしまったのか。
1930年代初頭の国産ゴルフボールと云うのは、幾つかの会社で造られ海外輸出等もされているのだが、『Golf(目黒書店)』時評などには反発力の喪失や傷や狂いが出やすい。と評される試行錯誤期で、各社の努力で1936~37年頃からプロや熟練プレーヤーも及第点が出せるグレードのモノが出て製造が盛んになっている。それを考えれば時代を先取りしすぎたのか。
※石井は国産ゴルフ用品の先駆者一人で、いち早くキャディバッグの実用新案を出願しており、吉田武雄によれば大阪の某社と提携して国産スチールシャフト製造に乗り出し、ほぼ完成するもメッキの技術が甘く、スウィングに於ける撓りで剥がれて仕舞い大損害を被った。という出来事もあったそうだ。

或いは1936年刊行の『東京運動具製造販売業組合史』の座談会で石井は、完成前に吉田昇平が亡くなってしまったのでボール研究事業が殆ど中絶している旨を語っている事から、販売直後にその事態になり製造事業が停まってしまった。のどちらかで在ろうか。
吉田の没年が判ればカタログから消えた理由と成るだろうし、弟の吉田武雄のいう『1936年頃発売』の記述も気に成るので35年以降のイシイカジマヤのカタログを読めればゴルフ用品製造の統制が掛かった1940年に造られたシルバースコット・スーパーフライト以前にもオリジナルブランドのボールが出てくるかもしれない。

 とりあえず今回は実物が存在した。という事をご報告させていただくが、それにつけても思うのは初期の国内ゴルフボール製造の歴史を辿るのが非常に難しいという事だ。

筆者はボールについては門外漢で在るのを前提に書くが、日本に於ける国産ボールの歴史というものは社史や海外の書籍に触れられている物を除くと、総合的に細かく書いた物がない。
これは現在残っている戦前からの会社がダンロップ住友ゴム)とブリヂストン、そしてキャスコのボール部門の前身であるファーイースト位で、中小企業であるその他パイオニアの会社が戦中戦後に廃業している為であろうか。
また、製造の始まりの所や、日中戦争からの物品統制下に於ける製造と配給の部分などで定説と大分ブレが在るのをリアルタイムの記事で観ているが、当時の史料としてもボールの構造や、製造の為のモールドやワインディングマシーン等の実用新案や特許の記録の他専門的な物と云ったら、1934~35年頃に日本精工所(旧日本ゴルフボールマニュファクトリー)の上林慶喜が開発研究のレポートを『Golf Dom』及び工業雑誌への寄稿した物や、ガッタパーチャのフィルム化による無塗装ボールの開発の冊子を発行しているくらいで、これは良く残してくれた。というモノである。
後は殆ど当時の資料が出てこずゴルフ雑誌の広告や記事、運動用具製造販売の書籍でコツコツ情報を集めているという状況だ。

纏まった国内製造史の書籍やレポート等が発表されれば良いのだが、そのような物を研究している方は居られるのか、居られたら情報交換をしたいし、居られなければ戦前期のモノは筆者が書かねば成らなくなるのだろうか? 門外漢としては他力本願で居たいがどうなる事か。
                              ―了―
                             2022年4月12日記

 

 

 

主な参考資料
・Macgregor Golf Goods 1931 (松屋運動部版) The Crawford, Macgregor and Canby Company  訳イシイカジマヤ? 1930乃至1931
・東京運動具製造販売業組合史 東京運動具製造販売業編 東京運動具製造販売業1936
・新興商品知識製造から販売者まで 時事新報経済編集部編 指導社 1936
・『近代ゴルフ』1961年6月号 吉田武雄 『ゴルフの一生』
・『近代ゴルフ』1961年7月号 吉田武雄 『ゴルフの一生 国産シャフトの功労者たち』

資料は国会図書館で閲覧及び筆者蔵書より


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)

雨さえ降らなければ、季節は最高・旅ゴルフ(新・西山荘CC)

 

 

左足ふくらはぎの痛みは、一ヶ月間安静にして湿布を貼り続けていたのに一向に良くならない。
天気は雨が多くなり、夏を迎えるような花々が咲き始めて、季節は急速に最高のゴルフシーズンを過ぎつつある。
「もう無理にでも...今しかない!」と、足の痛みには目をつぶって、雨を避けるために天気予報の変化と共にプレー日を変更しまくって...

昨日、最高の青空と5月の風と木々の空気を楽しめた新・西山荘CCへの旅ゴルフにから帰って来た。
この旅ゴルフはうちの奥さんの「誕生日記念のお祝いラウンド」だった...以前は房総の大原御宿GCが気に入っていて(プレーフィもバブル後は安くなったこともあって)、ほとんど毎年この時期に遊んでいたのだが、最近は「2バッグ割り増し」なるものが必要となり値上げしたプレーフィとともに「貧乏ツーサムお断り」の姿勢が明確になっちまったので、「もう2度と行くもんか」に変わってしまった。
2バッグ割り増しを取るコースは、要するに「二人じゃ来るな!」って言っているんだよね。
誰がそんなコース行くかよ! 貧乏人を舐めんじゃねえ! てなもんだ。

そこに行くと、この新・西山荘はコースの面白さ・設備の面白さ・食事などにもうちの奥さんの満足度が高い(勿論俺も)。
そしてやはり都内から遠いためか、プレーフィは房総より安く、「2サム割り増し」なんていう意地悪も無い。
ただ...ここはコースは面白くて大好きなんだけど...ヒッコリーゴルフにはちょと距離が長過ぎる(笑)。

そこで今回は、このコースのアーメンコーナーと勝手に呼んでいる16番・17番・18番をより贅沢に楽しむために、今までずっとアウトスタートにしていたものを、今回は初めて「インのトップスタート」で遊んだ。

前夜の車中泊地「道の駅ひたちおおた」では、耳栓をしないと寝られないほどの大雨にあってしまったけど、驚いたことに新・西山荘CCでは水たまりもグチャグチャになった芝地も、水の溜まったバンカーも一箇所も無かった...ネットでも書かれていたがここの水はけの良さは本当に驚異的に素晴らしい。
俺のホームの栃木の益子地方あたりでは、(陶芸に使う粘土層の近くということもあって)ちょっとした雨でも2〜3日間何もかもグチャグチャ泥んこになっちまうんだから。

で、五月晴れの中、スタート。
しかし、全く練習もできなかったために、スタートホールの10番ではまだかなり痛む左足を使わないスイングに慣れるまで、酷えとんでもミスショットが連発して情けなかった...

ホント、ボールに当たんないってのは悲しいわ(笑)。

 

 

 

 

11番からは、なんとかスイングに慣れてゴルフになって来た。
しかし、左ふくらはぎは歩くと痛い...

 

 

 

 

何しろ天気は最高。
こんな青空は久しく見た覚えが無い。
雨を我慢せずに待った甲斐があった。

で、今回一番楽しみにしていた「アーメンコーナー」。

 

 

 

 

しかし、ヒッコリーゴルフには普通の白ティーは長過ぎるなあ、特にこんな足が痛い状態では。
それでも左足で踏ん張らないスイングは結構うまく行っていて、スタートの10番以外ではそれなりにゴルフになっている。
16番は予定通り。
そして17番の「浮島グリーン」のショートホール。
俺は今まで近代クラブでは乗せていたけど、ヒッコリークラブでグリーンオンしたことが無いのだ。
いつもは後半ハーフで回っているので、ここいらは渋滞して見物人が多く、池ポチャをしたらグリーン横にある前進ティー使用がローカルルールになっている。(これがパターで行くので欲求不満になっていた。)

この日はトップスタートの前半で、俺たちはプレーが早いので後ろの組はついて来ていなかった。
思う存分「乗るまで」トライするつもりだった。
丁度距離が1ピンにつけた12番と同じようなものだったので、「マッシーでいいショットをすれば絶対に乗る」という自信もあった。
風はやや強いフォローへからサイドへと回っていた。
一発目はフォローを意識してちょい高く上げすぎて、わずかに届かず池ぽちゃ。
打ち直しは12番と同じようにしっかり振り抜くショット。
今度はやや低めのショットだが、いい手応え...光の関係でグリーン面が光っていて見難かったが池に波紋は無く、耳に硬い地面に落ちた落下音が聞こえた。
「よし、乗った」と確信して奥さんが打った後グリーンに向かう...奥さんは91ヤードを無事乗せていた。

「あれ?ボールが一つしか無い?」
あったのは奥さんのボール...俺のは探してもどこにも無く、多分周りを飾るツツジの中に入ったのでは無いか? という結果。
またカートを回してティーグラウンドに行く場所も余裕も無く、パターで打つ前進ティーを使う気にもなれず...次回に再挑戦として、今回はギブアップとした...だからトータルスコアも無し...まあ50は越えたのは確か(笑)。

18番も厄介なホールだが、4オンで考えた通りに攻める事が出来て、「パー逃しのタップインボギー」が出来た。
足さえ良くなれば、このホールのようにかなり良いヒッコリーゴルフが出来る自信がある。
この日はやっている間にだんだん痛みが強くなって来て、スイングは出来ても歩くのが大変になって来た。

 

 

 

 

ふくらはぎ痛がだんだん足の上の方に行って、左足膝裏の方まで痛くなってきたので、午後のアウトはフロントティー(シニアティー)でのプレーにした。
レギュラーティーなら2993yが、シニアティーなら2743y...これだけでもかなり楽になる。
特に「ただ残り距離を減らすためだけに使うクリーク(5w)」を使わないで、ほかのクラブと残り距離を考えて攻め方を選べるのがいい。
何しろ以前はなかったトンデモミスをフェアウェイウッドで繰り返すようになってしまい、最近はこの「残り距離減らし」ショットこそが殆ど全ての「大叩き」の原因になっている。
気持ち的には使わないで済むなら、フェアウェイウッドはもう使いたくない...もともと「アイアンマン」と言われたくらい、俺のゴルフはロングアイアンからのアイアン中心のゴルフだったんだから。

左足が膝の裏側からアキレス腱までかなりの痛みになってきたので、午後は淡々とプレー。
色々なアイアンで色々な打ち方に挑戦...パッティングクリークとかアプローチクリークなんて書いてある変なアイアンが、(本来アプローチ用のクラブなのに)フルショットでどのくらい飛ぶか、とか...こういう使い方も面白いかも(笑)。

風呂は独り占め。
帰りは奥さん要望の「道の駅笠間」とか「農産物特売」の看板のある色々な場所に寄り道しながら下道をドライブ。
そういう場所で車から降りるたびに、左足の痛みで悶絶...左足のふくらはぎにちょっとでも力を入れると激痛で歩けなくなる...ので、湿布薬を貼り強烈なサポーターで締め上げてなんとか帰宅。

あ〜あ...これで来週もゴルフ出来るのかねえ...オープンコンペに出るつもりなんだけどなあ。

もう梅雨なのか?

 

ゴールデンウィーク中はどこにっても混んでるし、人混みでの肺炎感染も怖かったので、ここ10日間ほどずっと家で大人しくしていた。

ゴールデンウィーク中は好天が多かったのに...「さあ、これからが俺の今年前半のゴルフシーズンだ」と前のめりになった途端に、天気が「待った!」をかける。

奥さんへの感謝を込めたラウンドでもあるので、季節の花々も楽しめて景色の綺麗なコースがいい...そして遠くても、2バッグ割り増しの無い・コース状態(特にグリーン)の良い・それなりに刺激のあるコースでの「球打ち散策」を計画していた...明るい五月の空の下で(天気が雨なんてのは全く問題外!)。
で、あちこち検討して、決めたのは「新・西山荘」...(「広くてゆったり」、がうちの奥さんのお気に入りの理由らしい。)

ただ、ここはちょっとヒッコリーには距離が長すぎるので、スコアを作るには難しいが俺の「修行」にはいいだろう(笑)。
いつもはアウトスタートなのだけど、今回は上がり16・17・18の名物3ホールをじっくりと攻めてみるつもりでインスタートにした。
距離がある分ヒッコリークラブに糸巻きボールでのパーオンは非常に難しいが、それでもこの3ホールを2オーバーで回るのが目標...(ただ、あの浮島グリーンでちゃんとオンしたことが無いので、ほぼ不可能な目標ではある)。

しかし、明日にラウンドを決めるまでに困ったのが天気。
一応10日間天気予報などで前後の日の天気まで調べて、「この日なら」というのを選ぶのだが...この10日間の天気予報が考えられないくらいにコロコロ変わった。
まず、9日ははじめ晴れだったのに、早々に雨予報になったのでキャンセル。
次に13日の金曜日は雨予報なので12日に改めて申し込み。
すると4日前あたりから12日に雨マークが増えてくる(ネットで4つの天気予報を比べて検討している)...ならばと12日から11日にプレー日を変更。
ところが2日前になって11日が全日雨予報と最悪の天気に変化。
なら、申し訳ないが10日に変更...直近の天気予報では、今週唯一の「雨の降らない日」は10日だけ!
で、急遽仕事の都合をドタバタと無理矢理間に合わせて、明日朝のトップスタートでラウンド決定。

はじめ「晴れ」予報だったのが、今じゃほとんどが「終日曇り」に変わったけれど、気温は16度くらいで風が3m...まあ、しょうがないだろう、雨さえ降らなければ。

とうわけで、今日から久しぶりの5月の貧乏旅ゴルフ...他人との接触をなるべく少なくして、道の駅で車中泊...行き帰りの「蛙の声」や「つつじ」や「山藤」をゆっくり下道で楽しんで。

 

で、出来ればゴルフも....


奥さんとの会話。
「前は雨が降っても、嵐の中でもゴルフが楽しかったのに...」
「俺も、朝から雪が降っていて、途中から景色が真っ白になってもコースまで行ったりしていたよなあ...」

「今じゃ、絶対に雨の中じゃやりたくないわ。」
「俺は雨が降るって聞いただけで、ゴルフやる気はゼロになるんだよな。風なら吹いても関係ないのに。」


「年のせいかなあ...」

ウェ〜イ! 行っちまえ!!...だ。

まる一ヶ月安静にしてたって、左足ふくらはぎの強い筋肉痛はちっとも良くなりゃしねえ。
そんなことしている間に、ゴルフに最高のシーズンはどんどん過ぎて行く。

何より、それでなくても「コロナ太り」で腹の出っ張った俺の姿が、「安静に」の運動不足でますます出て来る...案外ふくらはぎの筋肉痛の原因だって、ただの体重超過による「重さに耐えかねた」故障だったりして...

やっと混雑のゴールデンウィークが終わったが、もうすぐそこに雨の季節が迫っているし、何より気温がこれ以上高くなれば車中泊も暑くて出来なくなる...2022年前半シーズンに残っている時間は残り少ない。


で、もう足の痛みなんか無視して、無理やりシーズン再スタートだ。
が...九日に行こうとしたオープンコンペは近くなるに従って「雨予報」となり、残念ながらのキャンセル。
ならば、と天気予報とにらめっこしての予約は、来週新・西山荘...ツツジが咲いているだろうし、にっくき浮島グリーンの攻略もしたい。
なので来週、ここから前半戦再スタート。
オープンコンペは無いので普通の「旅ゴルフ」で。


足の痛みなんぞ...残り少ない人生、ブクブク太って痛がっている暇は無い...痛いけど。

奥様の数十回目の誕生日...おめでとう & ありがとね

炊事・洗濯・掃除・その他家事全般...本当に何にもしない出来ない、駄目男の俺は、今の奥さんと結婚出来たことに感謝しかない。

偶然が重なりに重なった挙句、「嫌がっているから近づかないで」とまで彼女の友人に罵倒された俺が、結局考えもしなかった若い年齢で彼女と結婚してしまうとは...ね。
何度も出会う偶然と、彼女も知らなかった自分の生まれ育ちの特別な環境と、彼女の実の父親の気持ちと...俺は綺麗だと思っていたが、牛乳瓶の底のような超近視用メガネのせいで「ブス」と呼ばれていて、競争相手が全くいなかった見る目のない周りの男達。
本当に自分じゃ全く考えていなかったのに(その年の年賀状で「俺は30までになんとか食えるようになりたいけど、それでも結婚は無理だろう」なんて書いていた)、その年の11月に結婚だなんて...


それから、なんだかんだと問題もあったけど、二人の娘に恵まれてもう50年近く暮らして来た。
今じゃどう考えても、俺は一人で生きて行けない...生活の殆ど全てが、彼女にオンブに抱っこで彼女任せ。
そんなうちの奥さんの、今日は誕生日。

感謝に反省...「ありがとう」そして「おめでとう」。
特に3年前に彼女が重い病気になってからは、余計にそう思う。

それがやっと回復して来て、最近また以前のような「旅ゴルフ」が出来るようになった。
車中泊で、安い遠方のゴルフ場で、名門なんかではなく個性的で絶対に「2バッグ割増」のない、貧乏ゴルファーの口コミ評判の良いゴルフ場に行くのが今は唯一の楽しみ。
コロナ感染の恐れが少ないゴルフというゲームを、行き帰りの距離の長さを「旅」として楽しみ、ゴルフ場の食事を旅館のご馳走がわりに楽しみ、ホールの風景を四季それぞれの自然として楽しむ。
スコアは、いや、「ボールは」だ...「ただの山歩きはしんどいので嫌だ」という(根性の無い)奥さんを、歩かせるための道具に過ぎない。
奥さんは、ボールを打つおかげで、池に入れたり谷間に落としたりすることを「死ぬ生きるの問題ぐらいに大騒ぎして」楽しむ。

うちから150キロ以上走れば、ガソリン代は掛かっても一日遊んでも安く楽しめる良いコースが結構ある。
問題は自分の体の健康のみ...ボケず、壊れずに、あと何回のラウンドを楽しめるのか。

残り少ないのはわかっているはずの「ゴルフ人生」、そして「あと何回いけるだろう」とつい思う二人の「旅ゴルフ」...できるだけ長く、多く、天気の良い日を選んで、この貧乏旅ゴルフを楽しんで行きたい。

まずは、「ゴルフが出来るだけの健康」と「それを楽しもうとする気持ちの若さ」を持ち続けて。

おめでとうとありがとう。
もう、こんな歳になっちゃったんだねえ。
(ホントに毎年驚くわ)