ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

年をとるという事

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87歳、暴走事故、被害者二人死亡...
痛ましいニュースが流れている。
原因は年齢による運転ミスというのが、世間の見方だろう。

確かに老齢のために普段から杖をつかずには歩けないような人が、普通の車を運転することには無理があると思うのが自然だろう。
ただ、だからこそ車がなければ生活が不便でしょうがないというのも、当人の当たり前の事情だろう。
残念なのは、この事故の運転者は一般の人よりかなり裕福なVIPであるのに、なぜ緊急停止や自動運転による安全装備の厳重な車に乗らずに、普通の車に乗っていたのか...ここだけは何と言っても本人の責任が重大であると、俺は考える。


老人になるのは、「あっ」という間なのだ。
気持ちが年をとることについて行けなくても、確実に年齢は積み重なり、体は衰えて行くのだ。
俺みたいなフリーの仕事をしていると、普通の会社にある「新入社員の若者が入って来る」事や、「年をとって定年退職で会社を去る」人を見送る事なんて経験をしないので、自分が年をとって行くことを忘れてしまう。
仕事が続いている流れの途中で、いつの間にか担当の編集者が変わったり、顔見知りの編集者がいなくなる事で「あれ?」と気がつくのだ。
そしてある時、若い編集者に「君は若いなあ、いくつなの?」と聞くと、「え?俺の娘と同じ?」...俺の年を聞いた編集者が「うちの父と同じですね」なんて言われて愕然とするのだ。

そうして改めて自分の年齢を考えると、自分が若い頃から普通に思っていた「ジイサン」という部類の年齢になっている...それが信じられない。
(いつだって、鏡に映るジイサンが本当に自分なのか半信半疑なんだ。)

俺が運転に不安を持つようになるまで、あと何年なんだろうか?
今は、全く若い頃と同じように運転しているつもりだが、他人が見てもそうなんだろうか?
ゴルフを続けるためには、やっぱり車は必需品なんだが...俺はこうした運転をあと何年続けられる?
10年は大丈夫と思っているのだが(生きていればね)、本当にそうなのか?

ただ、残された時間と言っても、今年が俺にとっては「親父の死んだ年齢」という、以前から感じている一つの大きな壁であるので、「まず今年を生き抜ける事が出来たなら」というのが大前提なんだけどね。
運転を止めゴルフを止める時が、近い将来に必ず来る事を覚悟しておかなくてはいけないんだ...という事を、この事件をきっかけに頭に刻み込んでおくことにする。


そうそう、関係ないけど「年をとるってどういう事?」という問いがあったなら
「本当に美しい美少女が、ただのオバーサンになってしまう事をしっかりと確認できてしまう事」と言っておこう。

それは、とっても悲しい話なんだよね。