ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

スコアは結局パット次第

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石川の運命を決める最終日は、大荒れの天候の為に一日順延となった。
だが、三日目迄の成績でシード権を獲得出来る迄伸ばすには、それこそ奇跡が必要になる順位。
ゴルフの神様の悪戯心が無ければ、不可能だ。

松山は、最後のシングルスでJ・トーマスに「やっと」勝てた。
ここ最近のゴルフの中では最良の結果となったので、インターナショナルチームが惨敗した中で良い終わり方になったと言える。

レジデンツカップを見ていて、やはり思うのは「勝負を決めるのはパット」と言う事。
1打目2打目をミスしても、いや3打目すらミスしても、パットが入れば勝てる。
世界を代表する強豪・名選手と言えども、残り100yの距離と言えどもピン側ぴったりにつける事は少なく、結局2~5メートルのパットを入れる者が上位に行き、外す者は下位に沈む。
特に優勝争いをする様な者は10m前後のパットを入れて来る。

ゴルフでは「ショット」と「パット」は全く別なゲームと昔から言われている。
だから、ショットの練習ばかりではなくパットの練習も大事なのだ、と...しかし、我々は正直「ショットの練習は面白いけどパットの練習はつまらない」と思っている。
第一、コースでの様にパットを練習する場所が無い...市販の練習マットなんかすぐに飽きてしまうし。

一流のレベルのプロ達に取っては、7分3分でパットの方がスコアに影響する。
ショットに取り返しのつかないようなミス(次のショットが打てない様なミス)を滅多にしないプロにとっては、調子の良し悪しは殆どパットの調子なのだ。
だから強いプロ程、良くパットの練習をする。

それに引き換え...なのだ、結局。
我々は、つまらないからパットの練習をしない。
ならば、スコアだけを話題にして、自慢したり悲しんだりする権利は本来無いはずなのだ。
気持ちの良いショットの練習だけを練習場でしているヘボゴルファー達は、コースでも気持ちの良いショットだけを追求すれば良い。
スコアに一番直結するパッティングの練習をしていないんだったら、スコアの話をしても意味が無い...何回気持ちの良いショットが打てたか、を話題にすれば良いのだ。

なんて事は、少しゴルフをやってる人はみんな知っている事なんだけど。

そうそう、パットがどうだって気にしない我々凡ゴルファーも、次にスコアを崩す理由として多い「ティーショットのOB・池ポチャ・林IN・チョロ」は気になって練習する。
それは、なにより「気持ち悪いし」「カッコ悪い」から。
パットは3パット4パットなんてカッコは悪いが、カップ近くでちょろちょろするだけだから、案外すぐに忘れてしまう。
次のホールで、打ち損なった長いパットが間違って入っちゃったりするし。
でも、あれだけ練習場で打ったドライバーが池に飛び込んだり、行きたくないOBになって、前進ティーや池の横からドロップなんて姿は非常に恥ずかしく感じる。
その屈辱感は短い時間では忘れ難い...なのでミスはミスを引き摺り、連続して大叩きをする事になる。
我々の記憶に残るのはショットのミスばかりで、だから練習場で気持ち良くなる迄ショットの練習をする事になる...パットの結果は忘れている。

でもまあ、それを例え理解していても、我々はパットの練習を地味に続けるなんて事はまず無いんだけれど。


・・・松山の調子の問題は、そのパットの出来不出来に左右される事が多い。
ショットが乱れてもアプローチが上手いので、パットが入れば勝つし、外せば負ける。
が、石川の問題はまるで我々ヘボゴルファーと同じ様に、ティーショットの大ミスが取り返しのつかない大叩きに繋がっている所にある。
ヘボではない石川が、我々レベルのドタバタゴルフを繰り返さない為には、彼にとってのティーショットの考え方を変える必要があるのではないか?
バーディーを沢山とっても、それ以上にティーショットで崩れるゴルフは致命的なのではないか?
彼は、スコアに直結するパットの調子が悪い訳でも、パットが苦手な訳でもないのだから。