ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

忘れられないプロゴルファー...43「友利勝良」

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友利勝良...1954年10月25日生まれ、沖縄出身。

プロゴルファーとしてはかなり遅い21歳からゴルフを始め、29歳でプロ入りした。
初優勝は1987年に33歳で九州オープン。
1995年に41歳で日本プロゴルフマッチプレーに優勝。
この試合で日本ツアーの5年シード権を獲得し、翌年ヨーロッパツアーのQ・スクールに合格して、42歳で日本人初めてのヨーロッパツアーシード権を獲得した。

それから友利は42歳の1997年から46歳の2000年迄、たった一人でヨーロッパツアーに参戦し続けた。

友利のスイングは、トップで上半身は頭ごと飛球線後方を向いてしまい、顔はボールの方を向いていない。
見ていると上体ごと「あっち向いてホイ!」と言う感じに後ろを向いているように感じるが、右膝は流れずにしっかりと上体を支えている。
そこから「手を真っすぐ下ろす」と言う言葉のお手本のように手を下ろしながらターンして来るが、敢えて上半身と下半身に大きな捻転差は作らずに、手を静かに低く振り抜いて行く。
インパクト付近でヘッドはアッパーでもなくダウンでもなく真っすぐにボールを押し込んで行く...そして独特の低く曲らないローボールがフェアウェイを捕らえて行く。
友利の「絶対的な飛距離は無いが、風が強い時程強い」と言われる持ち球は、確かにAONが全盛だった時代にコースセッティングが「飛びさえすればラフでも問題ない」日本ツアーより、変化に富んだヨーロッパツアーの方が向いているように思われた。
一見した風貌は、日に焼けた色黒の肌に眉毛が濃く、いかにも厳つい風貌でありながらいつも目尻に深いシワを刻んで照れたように笑っている...それは、なんだか「気の弱さ」さえ感じさせた。
しかし、彼の行動はいつもチャレンジ精神に溢れていて、ヨーロッパツアーメンバーとしての挑戦は前例も無く殆ど応援のないたった一人の挑戦で、その内面の強さは今のチヤホヤされている有象無象の若手プロゴルファーに「見習ったらどう?」と言いたくなる程。

4年間のヨーロッパツアーで、残念ながら優勝はなかった。
最高の成績は1999年10月のサラゼン・ワールド・オープンの2位。
惜しかったのが1995年の全英オープン
強風の中、二日目迄優勝したジョン・デイリーと並ぶ首位タイ...結局最後は24位に終わったが、友利にとって当時「バカバカしい程飛ばす」と言われていたジョン・デイリーとの戦いだったのが不運だったと思う。
友利は1998年の全英オープンタイガー・ウッズと一緒に回った時にも、9オーバーの79を叩いて大崩れしている...多少の飛ばし屋相手なら持ち前のロー・ボールでクールに攻め続けることが出来ても、デイリーやタイガーなどの桁外れの飛ばし屋相手だと彼の「気の強さ」「負けず嫌い」を抑え切れなくなって、「コントロールされたローボール打ちの自分」を見失ってしまったのではないだろうか。

2001年の帰国後、2003年にJCBクラシック仙台で49歳で優勝。

残念なことに、彼がヨーロッパツアーに参戦していた間、日本のテレビや雑誌ではメジャーの全英オープン開催時以外に彼が映像で見られることは殆ど無かった。
女子ツアーの岡本・野球の野茂のように派手に活躍すれば、パイオニアとして脚光を浴びたのかもしれない...彼はしたたかにしぶとく独りで戦い続けたが、派手な活躍をする事は出来ず...日本の似非ジャーナリズムに注目されることはなかった。


当時、コントロールされたローボールと渋い小技で戦う彼の姿を、「なんとか見たい」と思っていたのは俺だけじゃなかっただろう。

...彼のローボール打ちの職人技は、今でもシニアツアーで見ることが出来る。