ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

カーヌスティーの悲劇から17年

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全英シニアオープンを見ていたら、画面に忘れられない顔が飛び込んで来た。
頭は少し白髪も交じって後退し、腹は少し出て、顔には小じわが増えてはいるけど...

少し思い詰めた様な端正な顔...ジャン・バンデベルデが50歳になって、あの因縁のカーヌスティーでの全英シニアオープンに参加していた。
ジャン・バンデベルデとカーヌスティー...ゴルフの歴史に名を残す名ゴルファーは沢山居るけれど、敗れ去った事で長く人々の記憶に残り、語り継がれるゴルファーはそうはいないだろう。
あの年の全英オープンで勝ったP・ローリーは今もツアーで活躍して入るけれど、あの年の全英オープンが語られる時には、あの「カーヌスティーの悲劇」の主人公ジャン・バンデベルデの百分の一も語られやしない。
勝者はほぼ忘れ去られ、敗者が長く語り続けられる事なんて、ゴルフの歴史でそうある事じゃない。

あの歴史的な試合の後も、バンデベルデは何度も予選から全英オープンに挑戦し続けていたが、結局ゴルフの女神は二度と彼に微笑んではくれなかった。
あの時...女神は71ホール目の第1打が終わる迄は、確かに彼に微笑んでくれていた。
しかし、無理を承知でコースを攻め続けた彼を誰も責めはしない。
...だから悲劇だったのだ。

その後、しばらくして歴史のあるフランスオープンだったかで、逆転負けを食ってグリーンの隅に座って泣いているバンデベルデを見かけた事もあった。
彼の試合の結果には何度も大きな逆転負けの記録が残る...結局彼のヨーロッパツアーの勝利はたった2勝のみで終わった。


それから時間が経って、33歳の青年だった彼も今年50歳になった。
その間、テレビのレポーターだか解説の仕事をしているらしいとは聞いていたが、50歳になってこの全英シニアオープンに初参加した事を、昨夜テレビを見て知った。

しかし、深夜に見たバンデベルデは、苦しそうだった。
一打ごとに唇を噛み、眉をしかめ、頭を振り、下を向く。
共にラウンドするT・レイマンはアンダー、I・ウーズナムもパープレーくらいで回っているのに、バンデベルデは既に11オーバーになっていた。
その後もスコアを崩し、4オーバーのカットラインには遠く及ばずに予選落ちは決まった。

バンデベルデとカーヌスティー...17年後にも雪辱戦はならずに、完敗の返り討ち。
彼はこれからシニアで戦い続けるのか?
もう一度シニアオープンがカーヌスティーに帰って来る頃、彼は人生第二部の戦いで悲劇を勝利に変える事が出来るのか?

17年前にその負け方に思い入れを持ってしまったオレは、やがて彼がもしここで勝つ事が出来たなら...その時には、あれからずっと胸の奥につっかえている重いものが、きっと解けてくれると感じている。


縁も無い他人の人生なんだけど、「負けた思い」はオレも胸に沢山溜まっているからなんだろうなあ。