ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

泣いた男

イメージ 1

その男は試合が終わり、相手を祝福しキャディーを労った後、記者達に囲まれている勝者の喧噪の影でグリーンの端に座り込んで、膝を抱えて泣いていた。

その姿を見たのは偶然だった。
ヨーロピアンツアーの最終日の中継を見ていたら、その中継の間に過去のその試合の優勝風景の映像が流された。
その映像の一つにそんな光景が移っていた。
胸の傷む、辛い映像だった。

その試合はフランスオープン...97回の歴史を誇る、ヨーロッパ大陸最古のナショナルオープンだ。
メジャーと呼ばれる全英・全米オープンに比べてそれほど世界的に知られている試合ではないが、ヨーロッパのゴルファーにとっては全英オープンに次ぐメジャーな試合と言ってもいいだろう。

...泣いていた男は、ジャン・バンデベルデ。
1999年、33歳の時の全英オープン、あのカーヌスティーで3打差の首位で最終ホールに立ちながら、トリプルボギーを叩いてプレーオフになり負けた男。
勝ったポール・ローリーより、負けて「カーヌスティーの悲劇」の主人公としてゴルフの歴史に名を残した男。

バンデベルデはアマチュアで3勝してプロになり、1993年のローママスターズでヨーロピアンツアー1勝を挙げた。
しかしあのカーヌスティーまではヨーロッパツアーの無名のプロゴルファーに過ぎなかった。
・・・カーヌスティーでは、まさにゴルフの神が彼の味方をしていた。
誰よりも多くドライバーを振り回し、誰よりも少なくパットをしていた。
奇跡的にトラブルを避け、奇跡的に長いパットを入れまくり、気合いが入っているのに淡々としたプレーぶりはなぜか日本の侍の雰囲気を感じさせた。
しかし、ゴルフの神の手は72ホール中71ホールまでしか差し伸べられてはいなかった。
...でも、あの72ホール目でドライバーを持ったのだって、助かったセカンドで安全に刻まずに果敢にグリーンを狙ったのだって、彼にとっては上手くやって来た71ホールまでと同じだったんだから誰が責められるものか...

しかし、その負け方は彼の様な無名のゴルファーにとってはどれほど辛いものだったか...普通だったらもう二度とクラブを持てない程の深手だったと思う。

しかし、このハンサムなフランス人は諦めなかった...ゴルフを捨てなかった。

カーヌスティーから6年後、2005年のオープン・ド・フランス...フランスオープンでジャン・バンデベルデはJ・F・レメジーとのプレーオフを争っていた。
その一ホール目、クリークに囲まれた難しい18番の2打目、バンデベルデのボールはクリーク脇の深いブッシュに飛び込んだ。
しかし、相手のレメジーもセカンドをクリークに入れる。
レメジーはクリークの手前にドロップして4打目をグリーンへ乗せる。
バンデベルデはブッシュの側の急なつま先上下がりの斜面にドロップ...クリークに入った方がどれだけ良かったか...アンプレヤブルしてのドロップの場所はそこしか無かったのだ。
そこからはバンカー越えのアプローチで、しかもピンはバンカーに近く下り...強ければ明らかにグリーンを飛び出しまたトラブルになる...最悪のライで最難度のアプローチ。
結果はバンカーの土手に目玉となり、5オン2パットのトリ。
レメジーは4オン2パットのダボ。
ダボとトリでバンデベルデは負けた...膝を抱えて泣いたのは、その後の光景だった。

彼にとっては、あのカーヌスティーの傷を癒す大きなチャンスだった。
全英オープン程のメジャーではなくても、ヨーロッパ大陸最古の、しかもフランス人の彼にとっては母国のナショナルオープンでの名誉回復と再生のチャンスだった。
その強い思い入れと、やはりあの記憶が彼を再び同じ悲劇へと導いてしまったんだろう...全英オープンでは泣かなかった男が、フランスでの敗退に泣いていた...

それでもバンデベルデは再び立ち上がり、翌2006年のポルトガルでのマディラ・アイランドオープンでやっとヨーロッパツアー2勝目を挙げる。
この試合でも3打リードして迎えた最終18番で、あわやのダブルボギーを叩いてかろうじて1打差の勝利ではあった..,彼にとってリードして迎えた18番がどれほどのプレッシャーであるのか、我々には想像するしかないけれど...。

数年前の全英オープンで、詰まった流れの中で眼光鋭くコースを見つめているバンデベルデの映像をチラッと見た事があった....多分、彼は今でも全英オープンに挑戦し続けているんだろう。

1966年生まれ、今年47歳になる。

いつか、勝って泣きたいよなあ...