ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ゴルフの要素は不公平にある

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「ゴルフの要素は不公平にある」...ジョン・ロウ。
このあとに「でも誰もが同じなのだから、ゴルフは公平である」と続く。

ジョン・ロウは、R&Aの規則委員長を20年間も務めた「ロウ・メーカー(立法者)」と呼ばれた人物


この言葉は、ゴルフというゲームが奇麗に整備された人工物の中でプレーするゲームと違って、(ある程度人の手が加わっているとは言え)「自然」の中でプレーするために生ずる「ラッキー」「アンラッキー」に動揺し過ぎるな、という意味だと解釈している。

例えば、空調の効いた体育館でプレーするバレーボールやバスケットボール、バドミントンや卓球・水泳・体操・格闘技なんてゲームにはまず運・不運は少ない。
外のフィールドでプレーする陸上やテニス・野球などだって、あまり運・不運は関係しないだろう。
(もちろん、天気や風などの影響はあるけれどゴルフに比べれば、という話)

こうしたものに比べると、ゴルフほど「その日の運・不運」を感じてしまうゲームは他にない。
最高のショットが、絶好のライからほんの一転がりでディボット跡に転がり込む。
最高の感触のアイアンショットが,なぜかおかしな方向にキックしてバンカーに落ちる。
風が急に変わって思わぬ所に飛んで行くボール。
誰かの足跡で狂ってしまうライン。
「ミスした」と思ってないのに,最悪の結果になる...それが普通に続くラウンド。
「ついてない」
「運が悪い」
...そんな思いが続いてスコアが乱れると、多くの場合「こんなにアンラッキーが続くんだから今日はダメだ」なんて考えになる。
そして、要するに「キレて」しまって集中力がなくなり、プレーが投げやりになり、「楽しむ」なんて考えられなくなり「不平・不満タラタラ」、呪いの言葉を吐きつつその日のラウンドを終える。
...なんてもったいない。

ゴルフというものを始めた人たちが、なぜわざわざ荒れ地を選び、なるべくその自然状況を変えない様に配慮しながらコースを造って行ったか?
真っ平らにしようとすれば出来たのに、わざわざ予測もつかない様なバウンドをするフェアウェイを残したか?
なぜ、ナイスショットがちょっと転がるだけで一打の損を必ずする様なバンカーを埋めずに残して来たか?
なぜ、風が吹き抜ける様なリンクスのコースが心あるゴルファーから愛されるか?

そんな事を考えてゴルフをプレーすると、ゴルフの魅力の大きな要素がこの「不公平さ」にあると気がつくだろう。
「不公平」ということは、「理不尽な運・不運」があるという事だ。
つまり、ゴルフの不公平さがゴルフの要素という事は、ゴルフに置ける「アンラッキー・ラッキー」がゴルフの要素という事。
...じゃあ、楽しむしかないだろう、この不公平さを。

という事で、別に不公平さを耐えながら黙々と自虐的にプレーしろって事じゃない。
不公平・・・運・不運も嘆いたり喜んだりして楽しめばいい。
不公平な目にあって、怒っちゃいけないというだけだ(自分に言ってる)。

怒って、それを天気の所為にしたり、コースの所為にしたり、同伴競技者の所為にしたり、あるいは自分の所為にしたって...怒った時点で楽しみは無くなってしまう。
せっかくの時間と費用と努力を「無かった事にしてしまう」のはもったいない。

ならば、ゴルフをプレーするってことは「不公平な目に遭う」ってことを覚悟してスタートするのがいいだろう。
誰にも不公平であるんだったら、それを楽しんだもん勝ちだ。

..はい、ロウさん。
私めも「アンラッキー」に怒らないでプレーするように、と...よ~く自分に言い聞かせておきます。

自信無いけど。