ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

普通

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「もう、普通じゃ居られないのかな?」
Sさんは、思う。

Sさんは子供のときから、自分は目立たない「普通」の子供であると自覚していた。
特別に可愛いとか奇麗という訳ではない、どこにでも居そうな顔立ちだったし、他人より目立ちそうなものは何一つ無いとわかっていた。
身長も体重も本当にクラスの真ん中だったし、成績も見事に3が並んでいたし、足が速い訳でも運動神経が良い訳でもなく、何かを自分から積極的にするなんて事も無かった。

仲のいい友達もいたけれど、ただ家がすぐ近くだったから自然に仲良くなっただけだったし、特別嫌われるほど目立つ事は無かったのでいじめにも遭わずに済んだ。
小学校も中学校も、高校も何事も無く淡々と過ぎて行き、短大を出てしばらく働き、27歳で親戚の紹介でお見合いをして、真面目だと言う「普通の男」と結婚した。
「普通の男」の夫は、少なくはないが多くはない給料を真面目に運んできてくれて、Sさんはやっぱり自分みたいな「普通の子」を二人産んだ。
目立たないようにしていれば嵐に遭う事も無く、自分で特に何かを決断して決める事をしなくても、特別良い結果さえ期待しなければそこそこに事柄は収まって行った。

Sさんは、そんな自分の今までの人生に、普通の夫に、普通の子供に感謝して生きてきた。
たとえ刺激が少なくて、ぬるくて、つまらないだろう、と言われる人生であっても、もっと魅力的で派手で能力があって素敵な人生を送れるだろうと思っていた人たちの失敗話が心底怖かった。
あれほどの能力や魅力を持った人たちが、あんな人生になるなんて...自分はそれに比べると、自分の身の長けにあった十分素晴らしい人生を送れているんだと納得できた。

自分は「普通」なんだから、高望みせずに目立たないで普通でいられれば一番いい。
何かを決めるのは、自分がしなくても誰かに任せていれば、悪いようにはならない。
それで今まで生きてきたし、それが自分の人生哲学になっていた。
...ゴルフを始めるまでは。

子供の手が離れた時に、夫や近所の友人に誘われて始めたゴルフだが、自分には贅沢すぎる遊びと言う事でしばらくの間は誘いを断っていた。
初心者教室に行ってからおそるおそる始めたゴルフだが、コースに出るまでは面白さなんか感じなかった。
何しろ自分は運動神経も感覚も普通...というより長年の間に普通以下になっていたので、ちゃんと当たりやしないし痛いし疲れるし...
やっと半年後にコースに出た時に、途方に暮れた。
コースに出ると、たちまち一緒にいた人はバラバラになり、Sさんが自分のボールのところに行った時そのボールをどうしたらいいのか誰も教えてくれない。
全部のショットが、全部生まれてはじめての状況になり、それをどう打つのかどこに打つのか、全部自分で決めなければ先に進めない。
泣きそうになりながらラウンドを終えた時、それまでの人生分くらいたくさんの「決断」をしていた自分に気がついた。

2度目のラウンド、3度目のラウンド...と、ラウンドを重ねるほどに、Sさんは自分の決断が変わって行くのに気がついた。
はじめは、どんなときも教わった7番アイアン1本で、教わった通りに安全な広い方へ広い方へと打っていた。
それが、2年経ち3年経つと、「普通」で「目立たない」のが特徴で本来の性質だと思っていたのに、成功率5割を切るようなギャンブルショットを好んでする自分がいた。
それも、そういう選択肢がある時には迷いもせずに、むしろ舌なめずりして喜ぶ自分だった。
決してゴルフが上手くなったり、ゴルフに慣れてなめている訳ではなく、そういう選択を「普通」のはずの自分が好むのだ。
そして、それを失敗してもまったく後悔しない自分...

夫と久しぶりに一緒にラウンドした時には、夫が驚いてまるで知らない人を見るような目で自分を見ているのに気がついた。
勿論、ゴルフ以外の生活の時は今までと同じ目立たない「普通」の生き方を続けているんだけれど、ひょっとするとゴルフをきっかけに自分は「普通」を捨ててしまうんじゃないか...Sさんは、ゴルフをする自分がちょっと怖い。