ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

女は50から

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Nさんは、もうすぐ50歳の誕生日を迎える。
待ちに待った、耐えに耐えた、抑えに抑えた、長い日々...でも、決して嫌でも不幸でもなかった。
むしろ、それなりに充実して面白く、感謝に溢れた日々でもあった。

26で見合いして結婚したNさんは、真面目な公務員の夫と、28で生まれた双子の息子と、31で生まれた娘の5人家族。
平の公務員だった夫の収入は決して多くなく、官舎住まいでなかったら生活は無理だったかもしれない。
まして最初の子供が双子だったために育児の負担も大きく、子供が3人になってからは無我夢中の生活が続いた。
そして、下の娘を保育園に預けることが出来た34の年から、子供の学費を貯めるためにずっとパートで働いて来た。
あまり出世しなかった夫の収入は生活するのに精一杯で、自分の楽しみを楽しむ余裕はなかった...それでも、その生活はそれなりに面白く後悔することはなかった。

ただ、Nさんはずっと思っていた。
「私の人生を楽しむのは50歳からだ。」
「50歳迄は、妻であり、母であることにすべてを集中する。」

「女は50からよ。」...これは、20歳から6年程働いた会社にいた、尊敬する女性の上司の口癖だった。
仕事をバリバリやり、エネルギッシュでありながら後輩の面倒見も良く、夫と子供の世話もちゃんとやっているというスーパーウーマンのような人だったが、何度か連れて行ってもらったバーでよくそう言っていた。
「私はね、50になったら自分のやりたいことをやるのよ。」
「そのために、今は頑張っているのよ。」

その上司が、52歳でくも膜下出血で亡くなったというのを、結婚退職後しばらくしてから聞いた。
彼女が50歳を超えて何をしようとしていたか、何を始めていたかは知らない。
でも、その言葉をNさんは、自分の人生をも示駿しているような言葉として受け止めていた。

Nさんは結婚前、ゴルフに熱中していた父親に教わってゴルフを始めていた。
練習場に一緒に行き、レッスンプロにも教わり、ラウンドは10回くらいした。
スコアは最高でも120回くらいだったけれど、面白かった。

しかし、間もなく親戚の紹介からお見合い、結婚、出産という流れが押し寄せ、ゴルフをやる時間も余裕も無くなった。
そして子供の学費稼ぎのためのパートを始め、10数年が過ぎた。

今年、下の娘が短大に入り、教育費も一段落した。
上の子もそれぞれ就職が決まった。

そしてもうすぐ、Nさんがずっと忘れないでいた「50歳からの女の人生」が始まる。

...実は、Nさんはパートの収入の一部でずっとへそくりをしていた。
計算では月1万円...1年で24万円。
15年で360万円を貯めるつもりだった。
しかし、急な出費や、やむを得ない支出、怪我や病気の出費などで、結局貯まったのは300万円を少し切るくらいの金額。

でも予定通り、これで50歳の誕生日を過ぎたら、ゴルフを始めるつもり。
夫も付き合いでゴルフをしているようだが、自分で始めるのは自分のゴルフ。
幸い、最近のゴルフは以前父とやっていた頃のような「贅沢な遊び」では無くなり、普通のコースなら「手軽な遊び」になって来た。
道具も中古クラブでかまわないし、ファッションだって贅沢をしたいと思わない。
パートも日数を減らして続け、その収入をゴルフに回せば、今なら充分にゴルフを始めて続けることが出来るだろう。

まず、練習場に行ってレッスンプロに半年くらい教わってから、コースに再デビューする。
夫と一緒にゴルフに行ってもいいし、練習場の会に入ってもいい。
腕が少し上がれば、オープンコンペに出たっていい。
すでに父が亡くなってしまったのが残念だけど、きっとゴルフを再開することを喜んでくれてるだろう。

...亡くなった先輩に言いたい。
「先輩の言ったこと、ずっと忘れずにいました。私も50歳から自分の人生を楽しみます。」

なんだか元気な最近の私に、夫も子供も不審げな顔を見せているけれど....
さあ、私の「妻」でも「母親」でもない、「私の人生」を楽しむ様を見せてあげる。

もうすぐの「50歳の誕生日」が楽しみだ。
...心配なのは、ゴルフを楽しめる程に自分の身体が動いてくれるかどうかだけ。