ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

夢のキャンピングカーで行った場所

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キャンピングカーでの旅は、3日以上の長い旅の方が楽しい。
そのために、どうしてもメインは子供の夏休みなどに合わせて1週間から10日かけての旅となる。

冬休みや春休みはせいぜい2~3日の旅だけど、夏休みは半年くらい前から仕事の都合などを調整し、世話になっている方々に、早めに原稿を貰って早めに仕事を進める事をお願いしていた。
そうして、なんとか2週間以上締め切りを先行しておいて、10日間前後の旅が出来た。

旅に出るのが7~8月となると、どうしても出かける方向は北。
家族の北方志向というのもあるが、実は本州の夏はキャンピングカーの旅にあまり向いていない、というのも理由だった。
それは結局、車中泊というのは外気と同じ気温で寝るという事...つまり、熱帯夜なんていう気象条件では暑くてとても寝られない。
もちろん、今のキャンピングカーで屋根などにクーラーを装備しているのもあるけど、あれは発電機を使って回さなければ使えないもの。
車のクーラーを使うという事も出来るが、どちらも結局エンジン音や発電機の音を出し続ける事になる。
道の駅や駐車場などで、夜中じゅうそういう騒音を出し続けるのもマナー違反と考えるので、窓を開けただけで寝られる地方へ行く事が快適な旅の条件とも言えた。

で、まず行ったのが憧れの北海道。
色々調べて、関東から行くには一旦新潟まで行って、新潟~小樽のフェリーを使う事が便利な上に安かった。
朝方小樽に着くので時間を無駄にせずにすみ、いつもまずオロロン街道を北上して稚内に向かった。
オロロン街道は、自分のイメージの中の北海道に近く、広く荒涼として北に向かう真っすぐな道は夏だというのに不思議な「最果ての地」の雰囲気に満ちていた。
また、残っている廃線の跡に往時を思い、廃屋に北の暮らしの厳しさを思う。
そして、途中にあるかってのニシン御殿「花田番屋」で昼寝をしたりして...最初の時にはニシン漁で華やかだった頃の夢を見たような気がする。

一度最北端の岬に行ってから、そのまま海岸を走って網走に向かったり、内陸に入って富良野や美瑛に向かったり、気の向くままの旅が出来た。
当時の北海道は、観光地や景勝地には奇麗で立派な無料駐車場が整備されていて、車中泊の場所に困る事は無かった。
無料の温泉もあちこちにあり、初めて食べた一匹丸ごとの大きなタラバガニには、それだけで家族全員が腹一杯になった。
今は世界遺産になってしまった知床で、カムイワッカ湯の滝の滝壺前に駐車して、家族で水着になって滝を上って温泉を楽しんだり、ヒグマの姿を見かけて慌てて逃げたり...
北海道にはたった2回どころではなく、まだまだ何回も行くつもりだったけど...

娘達が学生で夏休みがある間は、東北の旅では4駆のキャンピングカーという事を活用して白神山地の林道を走ったり、もう無くなってしまった三陸の町を訪ねたり、奥飛騨や高山、能登や越前...等々を旅して回った。
しかし、北海道以外の地方は、たとえ青森でも夏の夜は暑くて寝られず、快適に寝るためには標高500メートルを超える場所に行かなければだめだった。
涼しさとは、北海道以外では「緯度より高度」なんだと、思い知らされた。

しかし、どんなに惜しんでいても時の流れるのはあっという間で、娘達が学校を出てしまうと共に長い休みは夢物語となり、家族揃っての長い流れ旅は出来なくなってしまった。

そして、「最後の車」「20年以上乗る」と決めていたこのセキソーボディーのキャンピングカーに、乗れなくなる時期が来るとは思ってもいなかった...