ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

冬が過ぎれば...

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ずいぶん頑張ったものだと思う。
娘一人を自分一人で育てる環境になったあと、大袈裟じゃなく普通の人の2倍働いて来た。

娘が独り立ち出来る迄。
学生から社会人になる迄。

自分で決めた事だから、弱気になる事は度々あっても、迷わずに歩いて来た。
もう無理か、と思われる時々に、思わぬ出会いで助けられた事が何度もあった。

...そうして去年、娘は大学を卒業して無事に就職出来た。
一番重かった荷物は肩から降りた。
しかし、まだマンションのローンは残っているし、自分の生活だって続けなくてはならない。
人の二倍働く事はしなくても良くなったけど、普通の人並みに働き続ける事は変わらない。
...でも、自分の楽しみのための時間を、これからは取る事が出来る。

美味しいものを食べたり、酒を飲んだり、コンサートに行ったり、少しだけ自分を飾ったり...
それと、ずっと封印していたゴルフも、また楽しむ事が出来るだろう。
ずっと以前、レッスンプロについて練習していて、ベストスコアは90を切っていたゴルフ。
もう十年以上昔の話だけれど、そのとき使っていたクラブはまだ置いてある。
ゴルフをやるなんて余裕なんか全く無かったこの十余年、それでもクラブを処分しないで置いてあったのは、「いつかまた、ゴルフを出来るようになる時が来る」という事を信じていたからか...
あるいは、そういう時代がまた来れば良い、という願いを込めていたからか...

なんだか少し楽になった休日に、久し振りのクラブを日なたに出して磨いてみた。
パターのシャフトには、うっすらと錆が浮かび、グリップは少しカビのようなものが出て硬くなっている。
ドライバーもフェアウェイウッドも、今のものに比べればヘッドはずっと小さくて、ヘッドカバーにもうっすらと埃が積もっている。

外は冷たい風が吹いていても、窓ガラスのこちらの日なたは暖かい春になっている。
その光の中、雑巾でクラブを拭いていた。
...明るい太陽の下、濃い緑のフェアウェーで真っ白いボールを打つ。
青空に白球が1本の線を引き、明るい緑のグリーンに届く。
赤い旗をつけたピンの根元にボールは落ち、若い魅力的な自分が両手を上げて喜ぶ。
若くて奇麗だった自分...
ゴルフが好きで、一打一打に喜怒哀楽の感情が溢れ出た。
このゲームをずっと楽しみ、自分が確実に上手くなって行く事を信じていた。

窓ガラスが風に動かされる音で、気がついた。
クラブを手に持ったまま、居眠りをしていたようだ。
夢の続きを思いだそうとして、ふと鏡に映った自分に気がつく。
時は流れたのだ。
十数年の時間は、自分の顔に、手にしたクラブにその証拠を残し、昔には戻れない事を確認させる。

でも、全部のクラブを磨き上げたとき、自然に考えた。
...「ゴルフをまた今年から始めたい。」

「ゴルフは人生に似てる」とよく言われるけれど、もし本当にそうならば、人生を知らなかった昔の自分より、より深く人生を経験した今の自分の方が、ずっとゴルフを楽しめるはずだから。
記憶にある若い自分が遊んだゴルフは、「ゴルフのジュニア版」であって、もっと楽しくてもっと深くて、もっともっと素晴らしい「大人のゴルフ」はこれから始まるって事。

何時になるかわからないけど、きっと今年の春以降、自分はまたゴルフを再開出来るだろう。
勿論百なんか絶対切れない、下手くそゴルファーのはずだけど、そこには以前の何倍もゴルフを楽しむ自分がいるはずだ。
練習を始めよう。
ちゃんとこのクラブを使えるようになろう。
ルールもきちんと勉強しよう。
ボールとグローブも必要だ。

...ああ、それから、涙が出るのを我慢する練習も必要かもしれない...