ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

迷いがない訳じゃあない...けど

ゴルフに理解が深そうな友人知人を、片っ端から「ヒッコリーゴルフ」に誘ったことがある。
道具を揃えること、それに合うボールを探す事なんかにちょっと敷居が高いけど、ゴルフの違う楽しみが見えてくるし、初めてボールを打った当時の初心を思い出すことができるぞ、と。

でも、面白がってヒッコリーゴルフを始めたのは、多分たった一人。(他に約1名クラシッククラブと現代クラブとヒッコリークラブの間で揺れ動いているDさんていう人もいるけど(笑))
他の全ての人は「全然飛ばないんだもの、面白くないよ」という、ほぼ同じ感想で「興味はあっても自分のプレーは現代クラブで」と、ただひたすら思い切りボールをぶっ叩き続けている。

俺はと言うと...ずっとヒッコリーで遊ぶと決めてはいるけど、極偶に「現代クラブだったら...」と思う事が無い事も無い。
まあ、まだまだ未熟で修行が足りないだけなんだけどね。

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まずウッド類...現代クラブと比べると、なんて小さくて短くて扱いの難しい代物なんだろう。
フェース面積を比べると、ティーの高さを間違えるとすぐテンプラやチョロのミスショットになるのがよく分かるだろう。
ボールの進化と古い糸巻きボールの劣化の両方の所為で、同じ力で打っても飛距離は50ヤードから100ヤード違う。
飛ばないのは承知でティーショットを打っても、ずっと先まで飛ばした「ドヤ顔」の同伴プレーヤーに思わず(俺が現代ドライバーだったら、その先50ヤードは飛んでるわ!)なんて思っている自分に...(あ〜あ、俺も人間が出来ていないなあ)なんて、空を見上げて自嘲することは結構多い。

自分の好きで「飛ばない」ヒッコリーゴルフをやっているのにね。

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アイアンも、なんていう「薄さ」なんだろう。
イギリスの片田舎の鍛冶屋さんが、注文主の要求に合わせて一枚の鉄板をカンカンと叩いて作り上げていったようなものだから、そこに「トウ・ヒール・バランス」だとか「重心深度」だとか「スイートスポット」なんて概念もなく、すっきり爽やかシンプルそのもののクラブになるのは当たり前。
そんな構えただけで当たりそうもない薄いアイアンでも、極偶に芯を食うと「ウワッ!」と声が出るくらい気持ち良く、そんなもので150ヤード以上のところからグリーンに乗ろうものなら、思わずガッツポーズで踊り出したいくらい...(誰かが見ていたらものすごく恥ずかしいけど)。
でも、ヒッコリーだと乗るだけで「ラッキー!」と感じる150ヤードを、「現代アイアンだったらピンを狙って打てるのに」なんて思ってしまう事が結構あるのも、俺の甘さ...だよな。

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「バンスがある」って事がどのくらいアイアンを易しくしているか、って事に真実気がつくのがこのウェッジの役割をするニブリック。
ジーン・サラゼンという人物が、近代ゴルフを劇的に易しくしたのだ...これはゴルフ界のノーベル賞ってくらい大した発明だ。
興味のある人には打ってもらっているが、バンスのないニブリックでバンカー内のボールを出すのは至難の技だ。
普通の人が教わったバンカーショットの打ち方では絶対に出ない。
アプローチも同じ。
アプローチの基本は、「フェースの面を変えずにノーコックでボールをさらう」みたいなことが言われているが、それが通用するのはバンスがついていて「ソールを滑らせる」事が出来るクラブに限る。
ニブリックでは、ボールにキッチリと当てて行かなければ簡単にダフりトップのミスショットになる。

流石に、俺はバンカーでは現代ヒッコリーのタッド・モアのニブリックを使う...これはヘッドは今の普通のウェッジのように、ちゃんとバンスがついていてソールを滑らせて使える。
バンカーでのエクスプロージョンショットも普通に出来る。
(ちなみに、俺が初めて昔のニブリックでバンカーショットをした時、3回続けてヘッドだけが綺麗にボールの下を通り抜けた...砂は全然飛ばず、ボールは微動だにせず、俺の手応えも「スパッと切れた」という感じだった)。


今でも、以前使っていた現代クラブ一式は玄関に置いてある。
「これを使わなくてはいけない時が、これからあるかな?」という疑問はある。
もう「付き合いで仕方なく荒天の中でゴルフをやる」なんてことは2度と無いんじゃないか...なんて事が、少しずつ確信に変わって行く。