ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

悲しい才能

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と言っても判り難いだろうと思う。

自分の事を書いてみる。
自分には絵の才能がある。
しかし、自分の絵の才能は、本物が判る...いい絵が分かる、という才能なのだ。
それは、高名、有名、無名に関係なく、いい絵を感じる事が出来る才能、と思っている。
有名な絵描きの絵の耐えられないような下品さも、高名な絵描きの空っぽの絵も、歴史的作家の無数の駄作も、無名の絵描きの命が輝くような傑作も、ボロをまとった貧乏絵描きの世間に認められない躍動する精神も・・・
自分では判る事が出来る。
しかし、その才能の悲しみは、自分の絵もまた判ってしまうこと。
到底自分が認めるようなレベルに行き着けない、自分自身の絵を描く才能。
いいものが判っていても、自分でそれを描けない事実。

それに対して、世の中には自分を誰よりも信じている絵描きもいる。
およそ酷いものしか描けない腕なのに、自分は天才だと信じていて疑わない。
しかし、下手であっても下品であっても、中身が何にもなくても、往々にしてそんな人が世間の成功をつかみ取る。

ゴルフの世界にも、同じ事が言えるように思う。
ゴルフのスイングも、心も、本当に理解している天才がいる。
彼は他人のスイングの欠点をすぐに理解し、その人にとって正しいものに矯正する事も出来る。
どう直せばもっと良くなるか、教える事が出来る。
しかし、彼自身のゴルフは彼の思う通りにはならないのだ。
自分の欠点を理解しても、ラウンドの結果には繋がらない。
本物のレッスンプロには、こういう人が多い。

良く優秀なレッスンプロに対して、「ツアーで成績を上げてないのにえらそうな顔をして」なんて悪口を言う人がいるが、ツアーで優秀な成績を上げた人がレッスンを出来るというのが大きな間違いだ。
ツアーで活躍しているプロには、自分の才能を信じて、スイングの科学や合理性などを考えずに、子供時代から深く考えずにボールを打って来てプロになった人が多い。
「あそこに打ちたい」「右に曲がるタマを」「左に曲がるタマを」なんて思うだけでそう打てるようになった人達だ。
...ちょっと調べれば判る事だけど、有名なツアープロであっても、自分の子供を優秀なツアープロに育て上げる事が出来た人はごく少ない。
素晴らしい環境とチャンスは与えられても、自分の子供を上手く教える事は難しい。

ゴルフをプレーする事と、教える才能は別のもの。
数少ない本物のレッスンプロは、教える事の天才だ。
一流のツアープロでもアベレージゴルファーでも、本物のレッスンプロに出会えれば、ゴルフがもっと強くなり、上手くなり、楽しめる。
本物のレッスンプロ(それも類い稀なる才能)は、もっと世間に認められるべきだろう。

...彼等も心の奥底では、私の絵のように「少し悲しい才能だな」なんて思っているのかもしれないけれど。