ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

天下の暴論...19

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「ゴルフを、トータルスコアで考えたり語るのをやめて、ホールマッチの考えででもっと自由に楽しもう!」

ええ、今回は大暴論です。
今はゴルフをやる人のほぼ100パーセントは、ゴルフを語る基準は「トータルスコア」だ。
つまリパー72に対して、いくつオーバーしたか、いくつアンダーになったかが今のゴルファーの考え方の基準になっている。
ハンディキャップというものも、結局72に自分のハンデを足したものが自分の「トータルパープレー」だ、という考え方しかない。

これをやめちまおう、というのだ。

本来ゴルフというものは、マッチプレーとして始まった。
誰かと、そのホールで少ない方がそのホールの勝ち...というシンプルな対戦のゲーム。
そのホールの「パー」という考え方が出来ても、トータルスコアの多少は関係ない時代が続いた。

トータルスコアで優劣を競うという考え方が一般的になったのは、後年プロの試合が人気を呼ぶようになって、それまで行われていたマッチプレーでの勝負というものが時間的にも人数的にも不都合になって来たからだ。
特にテレビなどで放送するには、マッチプレーは技術的にも大変だし、全体の流れも判り難い。
そして何より、時代のスーパースターが出現し難い...トータルスコアでの試合となれば、誰が優勢か一目瞭然だし、3日間4日間のトータルスコアとなれば番狂わせもおき難く、スターとなるべき「強いゴルファー」というものが出現しやすい。
そんな都合で一般的になってしまった、「トータルスコアを競うゴルフ」。
自分の目標も明確に出来るし、自分の上達の証拠も数字となって明快で判りやすいから、今では誰もがゴルフを語る時にはトータルスコアを基準にしている。

ここで考えてみよう。
この「トータルスコアを競うゴルフ」では、ボビージョーンズのいう「パーおじさん」を相手に淡々とプレーするのが一番良い考え方。
だからスタートホールや出だしの数ホールで、不運や思いもかけないトラブルに出会ってしまって大叩きを重ねたりしてしまうと、もうトータルスコアでは取り返しがつかなくなり、結果残りの大半のホールを「消化試合」として空しいプレーをするしかなくなる。
あるいはせっかくの我慢のプレーが、一つのアンラッキーによってたった1ホールで無に帰する事もある。
勿論それもゴルフだ。
だが、もう一つ、自分なりにホールなりライバルなりに対して、マッチプレーをしていると考えたらどうだろう。
マッチプレーの特徴は、1ホールでいくつ叩こうとも1ダウンに過ぎない。
次のホールでいいスコアを出せばイーブンに出来る。
トータルでいくつ叩こうがマッチには勝つ事が出来るケースも多い。
79で負ける事もあれば99で勝つ事もあるのだ(勿論ハンデ次第だけど)。

もう一つ、マッチプレーとして考えれば、ゴルファーはより「冒険のショット」(一か八かショット)に挑戦する事が出来る...トータルスコアを競うゴルフでは「無謀」とか「馬鹿げた」とか言われるショットだ。
例えば林の中から1メートルもない狭い隙間を抜こうとか、OBの上から90度曲げて狙うとか、150ヤードを3番アイアンで転がそうとか...そんなゴルファーの閃きとアイデアの「ギャンブルショット」を、もし上手くやれたりしたらそれもゴルフをやる大きな喜びだと俺は思う。
今のトータルスコアを競うゴルフでは「馬鹿な事」として否定されている事に、本来のゴルフの喜びや快感があるような気がするのだ...そして、そうなるとゴルフは「我慢のゲーム」ではなくて「格闘技」というイメージになってくる...面白いと思わないか。

「いくつで回った」じゃなくて「何ホールでいい戦いが出来たか」「ハンデを加えたホールマッチで勝ったか負けたか」を一番に考えてプレーする...そういう楽しみ方をすれば、大半のラウンドを後悔と悲しみと自己否定と自己憐憫と「何かのせい」にして終わる凡ゴルファーが、「俺は何ホール戦えた」「ホールマッチに勝った」と誇り高くゴルフを語れるゴルファーに変身出来る気がする。
たとえ前半で叩いても、決して後半を投げるようなプレーはしなくなる。
同じラウンドでも、考えようだ。

トータルスコアでゴルフを語るの、やめてみないか。
ゴルフはマッチプレーと考えてプレーしないか。
...暴論だけど。