ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

マッチプレー

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「いくつで回った?」
「何オーバー?」
「100切った?」
「70台?」
何人か集まってゴルフに関する話題になると、必ず出て来るのがそうした話題。
スコアカードの数字...つまり、ゴルフコースと言う遊園地で、何回ボールを引っ叩いたかと言う数字の事だ。

その数字が少なけりゃ少ない程大きな顔を出来るし、数字の多い人より「全ての面で自分の方が上」と言う事をみんなに認めてもらう事が出来る。
特別に数字が少ないと、人間性迄全て上の様に錯覚し、周りは敬語になるし自分は横柄な「上から目線会話」になる事が多い。
ゴルフやらない人から見れば、若いチンピラみたいのが立派な中年紳士に「タメグチ」どころか「舐めた口のきき方」をしているのに、その紳士は卑屈に敬語で返したりしている「何者なんだこいつら?」という違和感のある光景となる。

言わば、殆どの現代ゴルファーは「スコアの奴隷であり、スコア教の信者である」と言える。
そんなカードの数字など、コースによっても天気や季節に寄っても左右される曖昧なものなのに、一年中「いくつで回った?」という事しか話題にならない。
だから数字の一向に減らない人はゴルフがつまらなくなりやすいし、そうした数字だけの人間関係に負担を感じやすい。

ゴルフは本来マッチプレーで始まったもので、自分のライバルと今夜の一杯を競う勝負だった。
決まりは一打でも少ない方が勝ちと言うシンプルなものだから、どんなコースでもどんな天気でも、どんなホール数でも楽しめた。
4対3でも、8対9でも、13対12でも勝負の楽しみは同じ、1ダウンか1アップ。
台風の中でも1ホール31対30で勝負がついたり出来る。
多分、滅茶苦茶でバタバタでスブドロになっても、そんな勝負は面白いだろう。

賭けるものは絶対に大きな金額であってはいけないが、今宵の一杯の為に大の大人が戦うゴルフは、アフターゴルフの最良の摘みになるだろう。
(ゴルフの19番ホールの楽しみは、本来一番大きなものだったのだ)

ただ、そんな楽しみを知る為には、最良のライバルが居なくてはいけない。
これが実はゴルフでは一番難しいし、もし終世の良いライバルを得る事が出来たなら、そのゴルファーのゴルフ人生は幸せが約束されたものになるのだ。

スコア本意のゴルフは自分の上達が判りやすく、ゴルフ共通の会話の判断基準になりやすく、また多くの人が参加する試合に置いて非常に順位が判りやすいと言う事が多くのゴルファーに受け入れられたからだが、それは同時にゴルフの多くの魅力を捨てて窮屈なルールを多く作らせる事になってしまった。

本来いくつで回ろうとゴルフは面白い。
そして、(力の差があるならハンデを決めて)笑いながらライバルと競うゴルフは、数字をスコアカードにつけるゴルフよりもずっと面白い。

ゴルファーは数字を少なくする努力より、良きライバルとなるゴルファーと出会う努力をもっと沢山するべきなのだ。