ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「300y も 1mも」...?

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同じ一打に変わりはないし...てな事は、ゴルフ始めるとすぐにみんなに言われる事だろう。
真実ってば真実だけど、嘘って言えば嘘みたいなもんだ。
ゴルフってのが、スコアカードって言うものに書き付けた数字だけの世界だったら、これは間違いなく真実。
でも、ゴルフのラウンドってものが数字の競争だけではない人間に取っては、上級者でもアベレージでもビギナーでも、こんな事は嘘っぱち。

大体数字の競争だけでゴルフやるなんてヤツは、競技指向の視野狭窄人間か、成り上がり指向の闘争中毒患者みたいなもんで、みんな眉をしかめて仏頂面でプレーする様になる。
やがてそれなりに時間が経つと、数字だけを追いかけたゴルファーってのはそれぞれに自分の限界を思い知る時が来る。
才能の限界、時間の限界、お金の限界....子供の時から恵まれた環境で始める事が出来なかった者には、チャンスなんて無かったんだと思い知る時が来る。

それなりのハンデになって、仲間を上から目線で見られる様になって、ある程度の公式戦...例えばクラブの月例や新聞社主催の試合などでカップ何ぞを獲得出来れば、普通のゴルファーとしては「テッペントッタ」位の成功者だろう。
ただ、そのくらいの腕になると、更に「上には上が」が膨大な数居る事が判って虚しくなるもんだけど。

そこで、そんなゴルフの言葉を否定してみる。
「キョウイチ」飛ばせたショットは、30センチのパットの百倍気持ちが良い...だから百倍価値がある。
思い通りのショットが一発でも打てたなら、悪いスコアなんてつける必要が無い。
「スコアの為に」なんてのは、金払って嫌いなものだけ食わせる我慢大会みたいなもので、ストレスが溜まって身体に良くないので一切考えない。
何が何でも「気持ちいい一打」優先にする...一ホールで何回気持ち良くなったかがその日の結果だ。

ルールもマナーも「他人に迷惑をかけない範囲」で、無視する。
パットにストレスが溜まるなら、アイゼンハワールールの様にするか、パットはやらない。
ミスしたボールは捨てていいし、打ち直ししてもいいし、ぼーるを動かしたければ動かしてもいい...ただし、そうした場合には「絶対にスコアを語らない」事。

野山を散策するのに、「何も無いよりボールを打ちながらの方が楽しいから」、がゴルフをする理由でいい。