ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

練習の最後の一球

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「練習の最後の一球は、いい球を打って終れ。」...トム・ドーセル。

記憶に残ってしまうんだそうだ。
...多分誰でも覚えがあるだろう?

長い時間練習して、沢山のボールを打って、そろそろ練習を切り上げようなんて思った、残りの一球。
「最後だからドライバー」とか「今日の仕上げだからウェッジでアプローチ」とか「今日やった練習の仕上げだ」なんて気持ちで臨む最後の一球。

それがまあまあのショットならいい。
ところが、ドライバーで打ったら、思ってもみなかった逆球が出た。
ウェッジで打ったらシャンクした。
仕上げのつもりが大ダフリ...

もうボールが無い。
どうするか?

ここでやめると、「逆球が出た」「シャンクした」「ダフった」とか言う事が、それまでの沢山の時間と数多くのボールを打った記憶を押しのけて、強く記憶に残ってしまう。
そして、例えば次のラウンドのスタートホールでのティーショット...あの「逆球」が頭に浮かぶ。
あのシャンクや、あのダフリが頭に浮かぶ。

だから、最後の一球はいい球を打って練習を終わらせなければいけない、という訳。
ある人はもうワンコイン、もう10球打ってみる、ある人はこっそり使わないコースボールを打って悪い記憶を消すとか、ある人は連れのボールを借りていい球を打つとか...色々な人が色々な事をやっているようだけど...
なんにしたって、最後は悪い記憶や不安を残さないで練習を終わらせなくてはいけない。

自分にも覚えがある。
...最後の一球のアプローチがシャンクした...もうワンコイン打つのも面倒で、ついそのままやめてしまった。
そして、嫌な記憶が残ったままでの次のラウンドで、その不安なアプローチが本当にシャンクした...あとはもうボロボロ。

だから、必ず練習はいい記憶を残して切り上げる事。
悪い最後の一球で終わると、不安しか残らないから。

...でもねえ、そうすると練習が永遠に終わらないような気もしてくるんだよねえ...