ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ゴルファー考...2

イメージ 1

以前、ジュニア時代から活躍していたプロに、「フック」「スライス」の打ち分け方を取材した事がある。
...その時のプロの答えは「スライスやフックを打とうと思えばいいんです。」
子供時代からゴルフを本格的に始めた人間にとって、それが自然な事らしい。

例えば我々は100ヤード、60ヤード、30ヤードを打ち分けるのに、練習場でバックスイングをどのくらいあげれば? フォローはどのくらい? スタンスは? フェースは? なんて自分で試して打ってみて覚えようとする。
しかし、子供時代からゴルフをやっていると、「あそこまで打つ」と思うだけで身体が動くようになるという。
それは、ゴルフを純粋な「球技」として接しているから...
例えば他の球技...野球で「どこにどのくらいの強さで投げる」とか、テニスで「頭を越えるロブを打つ」、卓球で「ドライブをかけてコーナーを狙う」、バレーボールで「高いトス、低いトスを上げる」、バスケットで「シュートを打つ」などと同じレベルらしい。
ボールを曲げる事も同じ、打とうと意識すれば身体が自然に反応する。
...大人になって頭で考えながらするゴルフとは違うのだ。

そして、そういうジュニアの「球技」としてのゴルフは、まず「スコア」という事になりやすい。
一番シンプルで、結果の優劣が一番判りやすい...純粋な「球技」としてゴルフに接していれば、他の球技と同じ「勝ち負け」や「順位」が第一になるのは自然な流れとも言える...競技、試合というものがあるんだから。

そして、その道の果てに、あのタイガー・ウッズ石川遼のような「スター」や「成功者」や「大金を稼ぐ」という事を手にした存在がいる。
そしてその道は、本当は極めて厳しいものなんだけど、目の前の試合から繋がっているのも事実。
そこで必要なものは「スコア」。
「スコア」さえ良ければ、何もかも手に入る...例えば、これからの試合を全て2アンダーで回る事ができたら、どのくらいのものが手に入るのだろうか。
上手くいけば、世界一まで手に入る。
二日間で4アンダー、四日で8アンダー、それをずっと続ける...優勝出来ない試合も勿論あるだろうけれど、殆どすべてが手に入るスコアじゃないか?

対して、我々大人になってから始めたゴルファーは、技術的な面ではすぐに「行き着くところ」が見えてしまう。
真面目に仕事している人でも、努力次第でシングルにはなれる。
でも、仕事と両立させながら5下になるのは非常に難しい。
ましてや0やプラスハンデに普通の人がなれるのは奇跡に近いだろう。
それだけ苦労しても、さらに上がいるのはすぐに判る...「下手なプロ」だってアマより上手いのだ。
ただ、どんなゴルファーでも純粋な「スコア」以外の事...マナーやルールを守って楽しんで行く事によって、他の事では得られない多くの喜びを得る事ができるのがゴルフなのだ。
そこが素晴らしいから、スコアが良くならなくてもゴルフをやめない。
自分を高め、いい仲間に出会い、長く続く楽しみを手に入れる事ができる。
ジュニアの競技ゴルフ、トップアマの試合のゴルフ、そしてプロのゴルフとは全く別のゴルフを我々は楽しんでいる。

プロの華麗なスイングやテクニックは、我々にとって「素晴らしいショー」ではあるけれど、決して「参考にする」ゴルフではない、と私は思うのだが。
我々の楽しんでいるゴルフと、プロのゴルフは全く別のもの。
だから、ジュニア時代から「スコア」一辺倒で勝ち抜いて来たプロに、マナーやルールのお手本まで求めるのは間違っている...最近の事件を見ていてそう思う。

そういえば、昔取材に行くたびに感じていた事だけれど、(最近のプロのことは知らないが)試合に勝つようなプロというのは社会人として「?」というような人間が多かった。
挨拶をちゃんとできて、言葉遣いも受け答えも気持ち良いような「いい人」のプロは、試合で良い結果を残す事が少なかった...

スコア至上のゴルフの、行き着いた姿がそうなのか、と感じて淋しかった事を覚えている。