ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

道、極まらず...

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Nさんは、40を過ぎてからゴルフを始めた。

それまでNさんは、剣道、柔道、拳法などの武道が好きで、球技にはそれほど興味が無かった。
ましてゴルフなんていうものは、武道の真反対の極地にある緩い遊びとしか認識していなかった。

それが変わったのは、仕事の付き合いで本格的に始めなければならなくなって、「そもそもゴルフとはどんなものなんだ?」と、その成り立ちから知ろうと勉強を始めてからだった。
何事も真剣に取り組まなくては気が済まないNさんにとって、ゴルフの歴史から知ろうとするのは当然の事だったが、そこに書かれていたある言葉に衝撃を受けた。
それは「ゴルフには審判はいない」と言う言葉。

それは武道の精神と共通する言葉だった。
「競技スポーツ」と言う分野の柔道や剣道やその他の格闘技には、それぞれの勝敗を決めるのに「審判」がいるが、それは本来の武道とは全く違うもの。
本来の武道に置いては、勝ち負けは試合をしている本人同士が一番判っている、とNさんは思っている。
元々武道というのは「生き死に」...どちらかが「まいった」「負けた」と言うか、動けなくなるまでの勝負なのだ。

ゴルフには審判がいない...プレーしている本人の自己申告が全て。
「なんという潔いスポーツだろう」「これはゴルフ道として極めてみたい」...Nさんはゴルフにのめり込んだ。
球技はあまりやった事が無かったが、集中力と熱意がNさんを上達させて行った。
40過ぎに初めて、40代の終わりにシングル入り、50代ではいろいろな試合に出るようになった。
しかし、あまり立派な成績を上げた訳ではなく、所属コースの月例優勝とか、県アマでの予選突破くらいがNさんの勲章だった。
ハンデは最高で6まで行ったが、70歳を超えたいまでは12のハンデを維持するのも苦労している。
しかし、ゴルフの精神を外れる事は絶対になく、「お天道様に恥ずかしくない」ゴルフを続けて来たつもりだ。

Nさんは、ゴルフに出会って、ゴルフを始めた事は全然後悔していない。
むしろ、もっと若い時にゴルフの本質を知ってゴルフを始めていれば良かった、と思っている。

ただ、70を越えた今、Nさんは悩んでいる。
自分は、ゴルフに武道に通じる潔さを感じて、惚れ込んでやって来た。
しかし、今の「ゴルフ」は自分の感じるそういう形とは違って来ているんじゃないか...
コースは、前進ティーとか、6インチプレースとか、イカサマで「狡い」ローカルルールがいろいろと増えて来た。
普通のアマチュアゴルファーはスコアばかりが目的となり、自分のスコアが悪いのをコースのせいにしたり、同伴競技者のせいにする卑怯者が多くなった。
学生ゴルフは、ハーフ3時間が普通のスローペースで、見映えばかりを気にしたあげく、スコア改ざんなんて切腹ものの反則を犯す馬鹿が何人もいると言う。
プロの試合だって、「お互い様」の「インチキモグラの穴」や、ルール悪用の動かせない障害物や障害物トラブル、果てはやはりスコア改ざんまであるんだとか...
...ボビー・ジョーンズの逸話が、特別な美談として語られるのもおかしいと思うし。

そして、そういう事に不満を持っていたNさんが、年を取って体力が落ちた事が原因で久し振りに新しいクラブセットに換えてみると...
新しいクラブは飛ぶし、易しいし、寄せやすいし、バンカーから簡単に出るし、止まるし...
「こんなクラブはインチキじゃないのか...」
「なんだか、剣道の竹刀の先から飛び道具が出るみたいだ...」
「柔道着が投げられそうになると、自動的に伸びてしまうとか...」

Nさん、70を過ぎてゴルフへの熱は冷めてはいない。
しかし、武道に似ていると惚れた「ゴルフ」...極めようと思って始めたゴルフ。
こんな性能の新型の道具の手を借りて少しでも良いスコアを、というゴルフは自分の目指す物とは違う気がしてしょうがない。

男らしくない、武士らしくない、これでは道は極まらない、と思う。

が、しかし...
...かっては280ヤードくらい飛んでいたティーショットが、180ヤードも行かなくなると...