ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

全米オープンが終わって

イメージ 1

なんだか4日目の、あの馬鹿騒ぎを見てから、すっかりプレーオフを見る気がなくなってしまって,夜に結果をニュースで知った。
ロッコ・ミディエイトが、思わぬ善戦ををしたものの、結局タイガーの勝ちとか...
何であんなにタイガーのあの騒ぎが醜く感じるのか考えてみた。
...ゴルフを始めたのは30代の半ば、仕事で必要になって嫌々始めたものだった。
それまでのゴルフのイメージは、金持ちや上流階級を自負する人たちが、貧乏人と関係ないところでお世辞と欲と見栄に囲まれてチンタラやっている、たかが「球転がし」だった。
ほかのスポーツをやっていた俺にとって、そんなものには絶対関係したくない「遊び」にしか過ぎなかった。
...でも、始めてみたら違っていた。
一言で言うとそれは「大人が人生を通じて本気で楽しめるゲーム」。
イギリスで始まったというゲームらしく(諸説あるが)、自然の中で自分の力と能力だけで、目的地までの道を切り開く、審判の居ない、アンフェアでありながらそれを甘受して戦い続ける(子供には本当の深さはわからない)知的な大人のゲーム。
そして、本来プロゴルファーというのは、アマチュアゴルファーとは違うただの「賞金稼ぎ」なのだが、「ゴルフ」というものの根本にある「誇りとプライド」を共有することによって、アマチュアの範となるような存在として認められてきたんだと思う。
ただゴルフの技術だけが上手くて、ゴルファーとしての誇りもプライドもなかったら、それは「金のため」のゴルフをする賞金稼ぎでありただのギャンブラーで、我々と同じ価値観の「ゴルフ」をプレーするゴルファーではない。
だから、「世界のトッププロ」と言われた人たちは、欠点はあろうとそうあるべく努力をしていた。
だが、何でも顔に出し、態度に出し、特に不愉快さ、不機嫌さを隠そうともせず、自分のプレーに気が乗ったらところ構わず叫び、吼え、走り、踊り...そんなことを同伴競技者のことなんかまるで考えずにやりまくるのが世界のナンバー1?
俺がゴルフを始めたときに、この男が世界のナンバー1なんて言われていたら、俺は絶対ゴルフなんか始めなかったろう。
これから、この男が中心になるプロゴルフの中継は見ることは無いだろうな...たとえメジャー競技でも。