ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・6

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2で書いた相馬孟胤は1920年代に入ってからの駒澤における熱心者であった。


もともと彼は1922年に宮内庁職員として、勤務地である新宿御苑内の皇族及び宮内省関係者用コースで来日プロのダヴィッド・フードからゴルフを覚えた人物で、翌年朝香宮御用掛としてフランスに同行した際(朝香宮の事故による対応が一段落し)時間のできた1924年にサン・クルーGCに入会し、英人プロのオーブレー・ブーマー(1927年全英OP2位、ヨーロッパで活躍)に習い、現地の倶楽部競技でも悪くないプレーをしていたが、帰国して明けた1926年に東京GCに入ったところ、皆にやっつけられてしまう。


これはイカンと新宿御苑で毎日練習し、駒澤でハンディ10をもらうまでになったが、さらなる向上を求め駒澤に通って猛練習に取り組んだ。
東京GC所属プロ安田幸吉の夫人となる荘野喜久は、下妻町長で在った父親が亡くなった少女時代から安田と結婚するまでの間、実家が土浦藩家老の家で、相馬夫人が土浦藩のお姫様であった縁から相馬家に預けられていたが、彼女によると目白にあった相馬邸の広い芝庭は打席が作られており、ネットを張って相馬が常時練習したり、大きな姿見の前でよくフォームのチェックを頼まれたという。

 

そんな努力と鍛錬の成果を実地で発揮しようにも、目白の邸宅と勤務地の位置関係から、朝夕コースに寄るのに3時間のロスが出ることに思案した相馬は、それならば。と丁度クラブハウスと小道を隔てた所に住んでいた人が引っ越したので、1927年の7月その跡を買い取って別宅として駒沢に移住し、出勤前帰宅後に浮いた移動時間分の練習が出来る様にした。
※東京GC発足以前に駒沢でゴルフ場を造ろうと画策した帝国ホテル支配人林愛作がコースそばに邸宅を建てたのが先駆けだが(先話で述べた様にコース造成前から土地契約をして居を構えた話があるが、建設年時が1917年とタイムラグができている)、相馬のように狂気じみた熱心さを持つ駒澤雀が増えると共に各自がコース周辺に別宅を持つように成っていったのだ‼

 

ある時など相馬は覚えたグリップの感覚を忘れたくないとコースから別宅までクラブをグリップしたままテクテクと帰ったと、少年時代から東京GC縁の深かった鍋島直泰(日本Am三連勝者)が回想しているが、駒澤に引っ越す前も赤星六郎から習ったグリップを忘れたくなく、目白の邸宅に帰るまで車中で握りっぱなしであったという相馬本人の談話も残っている。

 

後年その赤星が『日本のゴルファーで相馬さんほどシステマチックに練習された方はいない』と評したほど毎日励んだ効果もあり、ハンディも急上昇したが、翌1928年に行われる昭和天皇即位の御大典により宮内省の仕事(式武官に就いていた)が忙しくなったので別邸の管理を倶楽部仲間の白石多士良(建築家、白石基礎工事創業者)に頼み、駒沢から引き揚げ一年間ゴルフを休むことに成ってしまった。
職務がひと段落ついた同年の暮には再び戻って熱心な日々を続けていた。が、それは丸一年程で、相馬は再び目白の邸宅に戻った。
というのもこの別宅は新婚の安田夫妻に『留守番代わりに使っておくれ』と新婚祝いに貸渡した為で、夫妻は東京GCが朝霞に移転するまでの間同所で暮らしている。

 

 

 

 

主な参考資料
日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995(復刻第二版)
The Bunker 1915年12月号~1916年11月号
阪神ゴルフ合本(1922年4~6,9月号全四号)
・東京ゴルフ俱楽部50・75・100年史 1964,1991,2015 
・『東京ゴルフ倶楽部史料室だより№4 東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの全て』2007
・『東京ゴルフ倶楽部(会報)』2014年冬季号-100周年特集号
・『INAKA第五巻』11章『 Golf In Japan』収録 North-China-Daily News Hindie筆
『Rokkosan A Thing of Beauty and a Joy for Ever』 1916
・『INAKA第十巻』掲載『Golf of Yedo』 1919
・『野球界』1919年12月号 鈴木寅之介 『ゴルフ遊戯に就いて』
・『婦人公論』1929年8月1日号 『東西婦人ゴルファ』より室町英二『東京の名流婦人とゴルフ』
・『東京朝日新聞』1922年12月20日朝刊五面
・『Golf Dom』1923年6~8月号『So This is Golf!(1)~(2)』
・『Golf Dom』1930年8,10~11月号、1931年1月号、1932年12月号より、『ゴルフ座談会の記(2)~(4),(6)~(7完)』
・『Golf Dom』1930年10月号 林愛作『駒澤になるまで』
・『Golf Dom』1934年10月号 C記者『森村市左衛門氏にゴルフを訊く』
・『Golf Dom』1935年3月号『ゴルフ漫談 田中善三郎氏との一問一答』
・『Golf Dom』1937年8月号及び9月号『ゴルフ規則を訊く』
・『Golf(目黒書店)』1931年11月号高木喜寛『ゴルフ発祥の時代』
・『Golf(目黒書店)』1932年2月号及び3月号『ゴルフ座談会』
・『Golf(目黒書店)』1933年2月号大谷光明『ゴルフ思出の記(二) 六甲から駒澤へ』
・『Golf(目黒書店)』1933年3月号大谷光明『ゴルフ思出の記(三) 駒澤をひらいた頃』
・『近代ゴルフ全集1』収録、田中善三郎『ゴルフむかし話』 中央公論社 1959
・『夕刊フジ』 人間グリーン257 鍋島直泰12『古く懐かしきキャデー』
・『夕刊フジ』 人間グリーン263 鍋島直泰18『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(上)』
・『夕刊フジ』 人間グリーン264 鍋島直泰19『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(下)』
・『ゴルフ80年ただ一筋(第二版)』 安田幸吉  ヤスダゴルフ 1991
・『わが旅路のファウェイ安田幸吉ゴルフ回想記』 井上勝純  廣済堂出版1991
・『人間グリーンⅣ 小坂旦子・三好徳行』   光風社書店 1978
資料はJGAミュージアム及び同本部資料室、国立国会図書館昭和館図書室で閲覧他、筆者蔵書より

参考サイト(本文2の執筆で閲覧)
鹿島建設ホームページより 鹿島の軌跡~歴史の中から見えてくるものがある~ 第25回『東京ゴルフ倶楽部と朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場(2009年4月28日公開)』
・Sports Network Japanホームページより Sports Advantage Vol.708-1 (017年3月13日公開) 岡邦行『原発禍!「フクシマ」ルポ87』
・鹿島カントリー倶楽部ホームページより『鹿島カントリークラブの施設ご案内』

 


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)