ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・7

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相馬の様にコースの傍に別宅を構える人がいるだけでなく、暇があれば(一日おきにでも)コースに詰めかける人たちというのも相当数いたが、さらに上を行く皆勤賞の者達がいた。


我孫子GC創立者の加藤良がそれに当たり、他にも徳川慶喜の七男で軽井沢GC創立に関わった公爵徳川慶久、第一回日本OP参加者の一人首藤安人、実業家でトップアマチュアの中上川勇五郎ら3人もある年に皆勤をしたのだが、その際26日は荒天で、クラブハウスには来たもののどうしてもプレーは出来なかったという。
彼らがこの期間中悪天候でもプレーした話として、当時来訪していたフランスの飛行機が酷い荒天で玉川の辺りで電線に引っかかって墜落した事件が起き、その一報を聞いた三人は世間話にしながらコース上に居たというから、彼らがプレーできなかった天気というのは推して知るべし。熱中というのは恐ろしいものである。

 

そんな熱中組で群を抜いていたのは一高野球の名二塁手でその守りから老鉄山(旅順要塞の別名)の異名をとった中野武二。
彼は現役引退後も野球に関わり名審判として殿堂入りをされているとの事だが、ゴルフのほうも凄まじく、先話に出てくる相馬孟胤同様コースの傍に居を構え、毎日出勤前と帰宅後にコースへ出かけ、日曜日は一日中プレーをしているというゴルキチで、同郷の後輩であった行天良一(相模CCの名物プレーヤーで摂津茂和の親友)は中野が『顔なぞどちらが表でどちらが裏か判別に苦しむ程(原文ママ)』日焼けしていた事を後年著書『一万ラウンドの球跡』で回想している他、1930年代の大衆誌に、中野が箱根仙石でプレーをした際に、欧米人ゴルファーにその焼け具合から東南アジアや南洋諸島から来た珍しいゴルファーと間違えられた話が載っている。

 

中野はプレーだけでなく練習もすごく熱心であった。後年プロの戸田藤一郎がやったようにコース内の松の木を狙ってボールを打ち、180ヤード圏内ならば打率がよかったというし、ニブリックによる50ydのランナップショットに見事なタッチを持っていたという。

では、彼は素晴らしい戦績を残したのかというと、倶楽部競技の大きなものでは摂政杯(摂政宮時代の昭和天皇が下賜)に一勝、全国規模の物では日本アマチュアには出ておらず、東西アマチュア対抗戦の代表と補欠を一度ずつ務めた位で、野球のようにはいかず、どうも“練習場スクラッチ”で終わってしまったようだ。
練習ばかりでプレーの頻度が少なかったという訳ではないし(彼のレベルで少なかったらこの世のゴルファーのほぼ総てが無に等しいプレー回数になる!?)、これは競技ゴルフにおける精神面の問題か、それとも練習結果に満足してプレーの方では実力を発揮できなかったのか?

 

 

 

 

主な参考資料
日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995(復刻第二版)
The Bunker 1915年12月号~1916年11月号
阪神ゴルフ合本(1922年4~6,9月号全四号)
・東京ゴルフ俱楽部50・75・100年史 1964,1991,2015 
・『東京ゴルフ倶楽部史料室だより№4 東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの全て』2007
・『東京ゴルフ倶楽部(会報)』2014年冬季号-100周年特集号
・『INAKA第五巻』11章『 Golf In Japan』収録 North-China-Daily News Hindie筆
『Rokkosan A Thing of Beauty and a Joy for Ever』 1916
・『INAKA第十巻』掲載『Golf of Yedo』 1919
・『野球界』1919年12月号 鈴木寅之介 『ゴルフ遊戯に就いて』
・『婦人公論』1929年8月1日号 『東西婦人ゴルファ』より室町英二『東京の名流婦人とゴルフ』
・『東京朝日新聞』1922年12月20日朝刊五面
・『Golf Dom』1923年6~8月号『So This is Golf!(1)~(2)』
・『Golf Dom』1930年8,10~11月号、1931年1月号、1932年12月号より、『ゴルフ座談会の記(2)~(4),(6)~(7完)』
・『Golf Dom』1930年10月号 林愛作『駒澤になるまで』
・『Golf Dom』1934年10月号 C記者『森村市左衛門氏にゴルフを訊く』
・『Golf Dom』1935年3月号『ゴルフ漫談 田中善三郎氏との一問一答』
・『Golf Dom』1937年8月号及び9月号『ゴルフ規則を訊く』
・『Golf(目黒書店)』1931年11月号高木喜寛『ゴルフ発祥の時代』
・『Golf(目黒書店)』1932年2月号及び3月号『ゴルフ座談会』
・『Golf(目黒書店)』1933年2月号大谷光明『ゴルフ思出の記(二) 六甲から駒澤へ』
・『Golf(目黒書店)』1933年3月号大谷光明『ゴルフ思出の記(三) 駒澤をひらいた頃』
・『近代ゴルフ全集1』収録、田中善三郎『ゴルフむかし話』 中央公論社 1959
・『夕刊フジ』 人間グリーン257 鍋島直泰12『古く懐かしきキャデー』
・『夕刊フジ』 人間グリーン263 鍋島直泰18『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(上)』
・『夕刊フジ』 人間グリーン264 鍋島直泰19『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(下)』
・『ゴルフ80年ただ一筋(第二版)』 安田幸吉  ヤスダゴルフ 1991
・『わが旅路のファウェイ安田幸吉ゴルフ回想記』 井上勝純  廣済堂出版1991
・『人間グリーンⅣ 小坂旦子・三好徳行』   光風社書店 1978
資料はJGAミュージアム及び同本部資料室、国立国会図書館昭和館図書室で閲覧他、筆者蔵書より

参考サイト(本文2の執筆で閲覧)
鹿島建設ホームページより 鹿島の軌跡~歴史の中から見えてくるものがある~ 第25回『東京ゴルフ倶楽部と朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場(2009年4月28日公開)』
・Sports Network Japanホームページより Sports Advantage Vol.708-1 (017年3月13日公開) 岡邦行『原発禍!「フクシマ」ルポ87』
・鹿島カントリー倶楽部ホームページより『鹿島カントリークラブの施設ご案内』


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)