ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・8

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初期の駒澤に集まった面々は海外でゴルフを習った者を除くと皆独学でゴルフを覚えている。
何せ開場式の時(川崎肇曰く当日は雨であったので1・2・9番のプレーであったという)に、9番ホールで森本某という会員のマッシーショットがキチンと宙を飛んでいるのを見た別の会員が『ははぁ、ゴルフの球ってのはゴロを打つものだと思ってたけど、球は上がるモノなんだね』と話していた。というからその技量や理解度は推して知るべし。
1916年にアメリカから帰国後入会した田中善三郎(1921年度日本Am勝者)が先輩連に訊いた所によると、コース開場当時のメンバーでゴルフを解っていたのは4~5人位であったという‼
※この為か暫くの間コースに殆ど人が来なかったり、入会してもプレーをしない人が相当数居た為、倶楽部会員でも年会費・月会費以外にプレーフィを取る現在の日本ゴルフ界の料金体系が出来たという。

そこから皆せっせと技術向上に勤しむのだが、独学からの叩き上げで日本アマチュアに三勝した川崎肇などは、レッスン書にあるゴルフ用語がわからないので、コース設計や倶楽部の為に手助けをしてくれたNRCGA会員G.G・ブレディやF.E・コルチェスター(二人は東京GCの名誉会員でもあった)が訪問する際に意味を訊ねて理解をしたという。
海外留学・勤務をしていた英語が堪能な本邦政財界エリート達が、今のゴルファーが自然に口にするような用語が解らず右往左往するというのは漫画的である。

レッスン書に『左手のコントロールが重要である。』とあればダンベルや握力グリップによるトレーニングだけでなく、日常の動作をすべて左手中心に行ったり、『左腕の伸ばしを保つ』という個所を馬鹿正直にこだわってみたりと、試行錯誤の連続で、話題のレッスン書を海外から取り寄せて倶楽部に持ってきたら、『貸してくれ』と読む前に取り上げられ、我も我もとあずかり知らぬ内に仲間の間で廻っていって、買った本人が読んだのは一月半も後であった。という大谷光明の話も残っている。

川崎などトップレベルの面々は良いフォームを持っていたが、普通ないしダッファー連は勿論のこと上手い面々でも珍妙なフォームのものが居た。
キャディから生え抜きプロとなった安田幸吉や初期からの会員達の回想によると、打つ前に皆が焦れてしまうような、ワッグルを数回して、また下がって、戻ったらまた数回のワッグル。という動作を全ショットの度に行う者(名前は出ていないが、同様の話が各地に残っている三菱銀行の乙部融の模様)や、背が高いのに短いクラブしかないのでトップで伸びあがるがインパクトの時にはアドレス同様屈みこむパンタグラフのようなスウィング(後年「Golf Dom」でアドレスの際にガニ股に膝を曲げる駒沢雀の御仁をそう評して紹介されている)

軸をブラさないように非常な大股のフォームなもの(中上川勇五郎の模様)、あるいは日本に長期滞在をしたスコットランド人プロ、ダヴィッド・フードが「Tokyo Form」と評する、フィニッシュでも右足の位置がアドレスの時と変わらない超ベタ足スウィング(中上川次郎吉)もあったようだ。
一方キャディたちは彼らの珍フォームを真似して遊んだりしたが、お手本としたのは来日プロのデヴィッド・フード(ニュージーランドPGA創立会員で、同国OPで2位に成った事がある)や、それ以前に滞在した英国・スコットランド人プロ達のフォームであった事は賢明なことである。

 

 


主な参考資料
日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995(復刻第二版)
The Bunker 1915年12月号~1916年11月号
阪神ゴルフ合本(1922年4~6,9月号全四号)
・東京ゴルフ俱楽部50・75・100年史 1964,1991,2015 
・『東京ゴルフ倶楽部史料室だより№4 東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの全て』2007
・『東京ゴルフ倶楽部(会報)』2014年冬季号-100周年特集号
・『INAKA第五巻』11章『 Golf In Japan』収録 North-China-Daily News Hindie筆
『Rokkosan A Thing of Beauty and a Joy for Ever』 1916
・『INAKA第十巻』掲載『Golf of Yedo』 1919
・『野球界』1919年12月号 鈴木寅之介 『ゴルフ遊戯に就いて』
・『婦人公論』1929年8月1日号 『東西婦人ゴルファ』より室町英二『東京の名流婦人とゴルフ』
・『東京朝日新聞』1922年12月20日朝刊五面
・『Golf Dom』1923年6~8月号『So This is Golf!(1)~(2)』
・『Golf Dom』1930年8,10~11月号、1931年1月号、1932年12月号より、『ゴルフ座談会の記(2)~(4),(6)~(7完)』
・『Golf Dom』1930年10月号 林愛作『駒澤になるまで』
・『Golf Dom』1934年10月号 C記者『森村市左衛門氏にゴルフを訊く』
・『Golf Dom』1935年3月号『ゴルフ漫談 田中善三郎氏との一問一答』
・『Golf Dom』1937年8月号及び9月号『ゴルフ規則を訊く』
・『Golf(目黒書店)』1931年11月号高木喜寛『ゴルフ発祥の時代』
・『Golf(目黒書店)』1932年2月号及び3月号『ゴルフ座談会』
・『Golf(目黒書店)』1933年2月号大谷光明『ゴルフ思出の記(二) 六甲から駒澤へ』
・『Golf(目黒書店)』1933年3月号大谷光明『ゴルフ思出の記(三) 駒澤をひらいた頃』
・『近代ゴルフ全集1』収録、田中善三郎『ゴルフむかし話』 中央公論社 1959
・『夕刊フジ』 人間グリーン257 鍋島直泰12『古く懐かしきキャデー』
・『夕刊フジ』 人間グリーン263 鍋島直泰18『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(上)』
・『夕刊フジ』 人間グリーン264 鍋島直泰19『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(下)』
・『ゴルフ80年ただ一筋(第二版)』 安田幸吉  ヤスダゴルフ 1991
・『わが旅路のファウェイ安田幸吉ゴルフ回想記』 井上勝純  廣済堂出版1991
・『人間グリーンⅣ 小坂旦子・三好徳行』   光風社書店 1978
資料はJGAミュージアム及び同本部資料室、国立国会図書館昭和館図書室で閲覧他、筆者蔵書より

参考サイト(本文2の執筆で閲覧)
鹿島建設ホームページより 鹿島の軌跡~歴史の中から見えてくるものがある~ 第25回『東京ゴルフ倶楽部と朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場(2009年4月28日公開)』
・Sports Network Japanホームページより Sports Advantage Vol.708-1 (017年3月13日公開) 岡邦行『原発禍!「フクシマ」ルポ87』
・鹿島カントリー倶楽部ホームページより『鹿島カントリークラブの施設ご案内』

 

 


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)