ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

雨予報だったので...

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三日前から天気予報が「今日は昼前から雨」だったので、今週の初打ちヒッコリーラウンドのオープンコンペ参加は中止した。
その代わりに、最近ヒッコリー愛好家に堕ちつつある「ダッファーさん」とショートコース散歩に行って来た。

ダッファーさんと言うのは、エリートサラリーマンの典型のような雰囲気・風体でありながら、飲んべで遊び人で女性にモテる(という噂)の某ベテラン金融マン。
遊びといっても主に古い仲間たちとの賭けゴルフらしいが、お上に見つかるとヤバイほどは道を踏み外していないらしい。
しかし、我々の仲間内では「人柄は良いのだが酒の趣味が悪すぎる」と分かって来て、飲み会でのいじめの対象になりつつある人物。
...なんたって、「酒は甘口・青魚は大嫌い・魚卵も山海の珍味も一切食えない」なんて恐ろしい事をほざいて、酒乱ではないものの「酒のツマミはポテトサラダに限る」なんて恥ずかしい事を平気で言うオヤジなのだ。

そのダッファーさん、「ヒッコリーゴルフに興味がある」なんて前から言っていながら、ちょっと使ってスコアが悪いとすぐにスチールシャフトのクラブに逃避する軟弱者でもある。
それが「ちょっと本気でやりたい」なんて言うものだから、合いそうなクラブを揃えてショートコースで実践体験という事になった。
こっちも雨予報で今週のゴルフ予定は消えたから、普段のラウンドで使ってないヒッコリークラブの試打を兼ねての練習ラウンドのつもりだった。

ただ、朝の予報でも「今日は雨」だったので「降ってきたらすぐ中止」という事にして。

しかし11時前に白井林間ゴルフ場というショートコースに集り、すぐにスタートしたが、天気は雨の降りそうな様子は全く無くてむしろ暑いくらい。
雨予想の服はすぐに汗だくになり、慌てて服を脱ぐ始末...前の組の若者はTシャツ1枚で汗をかいてプレーしてた。

コースは前のコースほどゴムマットの制限が厳しく無く、ティーグランドからちょっとアプローチしてから芝の上のボールを打つ、なんてことが出来た。
各ホールもそれぞれ変化があって、いろんなアプローチショットを試すことが出来て結構面白かった。


で、ダッファさんと言えば....本人が驚くほど、うまくヒッコリークラブを扱えていた。
五十年くらい前の糸巻きボールを、薄っぺらい鉄の板1枚のマッシーやミッドアイアン、ニブリックやマッシーニブリックをちゃんとグリーンに打っていけてる。
酷いチョロやトップも無く、彼がいつも110くらい打つなんて全く見えない安定したプレーぶり...これはヒッコリーシャフトに合わせて無欲に振ることで、現代シャフトを振る時のような欲がらみの無駄な力が入っていないからではないか?
難しいはずのミッドアイアンだってちゃんと当たっているのは、結構凄い事だって分かっているのかな。

で、見せちゃうのが彼のドライバーのショット。
イラストよりも写真の方が、彼のスイングの悪い点が分かりやすく出ていたので載せてしまう。
アドレスからその場でのピポットターンでのトップまでの動きは良いと思う。
そこからヒッコリーシャフトに合わせて体を捻り戻せば、自然に左足の内側に重心が移ってヘッドスピードが上がりジャストミートする...はずなんだけど、彼の悪いところはトップから体が右に傾いてしまうこと。
多分「ボールを上げたい」とか「もっと飛ばしたい」と言う思いが、ボールを下から上へと打ち上げるようなイメージを作ってしまうんだろう。

トップから体が右に傾かず、そのまま回転できればインパクトで重心は左足の内側にかかり、そこを中心にヘッドが走り、ヘッドを行かせた後は左足で立っているようになる。
右に軸が傾いてるから、腰が回らずに後ろに引けて、ボールにヘッドの力が十分に伝わらない。
スイング自体はまとまっているのに、ヘッドスピードが上がらずに飛ばないのはそのため。

案外、古いヒッコリー時代のプロたちの、「その場でクルッとシャフトが巻きつくように小さく回転」するスイングがあっているのかもしれない。

なんて偉そうなこと言っても、俺は俺の言ったことには責任とりませんので、どうぞ聞き流しを(笑)。

ヒッコリーゴルフが楽しかったなら、それが一番。
なにせ、俺はヒッコリーで遊び始めてから、自分のゴルフに怒らなくなったもの。
(呆れることはあるけどねww)

どうぞ一緒にヒッコリーゴルフの魔の世界に堕ちて下さいな。

こんな世の中になろうとは...

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...なんて光景が、盛り場の裏のあちこちで見られるようになる。
んで、引っかかったおっさんは場末の薄暗い部屋に連れて行かれて、なんだかちょっと色っぽい看護婦崩れのオバさんにブッスリと乱暴になんだか得体の知れないものを注射される。
「はい!これであんたはコロナにゃ罹らないよ」とか言われて。

てな笑い話が、ネットのあちこちで見受けられる。

それも原因は、「日本のワクチン接種のスピードじゃ、全員打ち終わるのには100年かかる」とか、「どんどん変異株が出現しているから、1回打ってもまたかかる」とか、「コロナはただの風邪だ」とか、武漢肺炎に関しては収拾がつかないくらい情報が混乱しているから。

「XXのワクチンは効かない」とか、「抗体は三ヶ月しか持たない」とか、「OOのワクチンは副作用が酷いのを隠している」とか、「自分の国用のワクチンが足りないから製造国が国外への輸出を承認しない」とか、「裏で何倍も金を出さないとワクチンが入ってこない」とか...
あるいは、「アビガンは効く」「効かない」から、「イベルメクチンは特効薬だけど、薬価が安すぎて製薬会社が儲からないからニュースにしたがらない」とか、「・・・の治療薬は効くどころか、有害で犠牲者が沢山出た」とか、何が真実か判断しづらい情報が世界に溢れている。

ただ現実に、日本では最初に言われていた情報よりもずっとワクチン接種が遅れている。
我々がいつ接種できるのかなんて、今も全く情報が無い。
まだ消えずにある「オリンピック」なんて言葉が、ただただ虚しく響く。

そんな中で、今日は3月11日。
あの日、俺と奥さんは鹿児島の友人の見舞いに行っていて、テレビで津波や火災の光景を見ていた。
あれから十年経って...その友人は既に亡く、もう一人の東北出身の飲み友達も亡くなった。
俺は心臓のカテーテル手術を経験し、奥さんも命に関わる病気から復帰の途中だ。

人生はいつまで続くかわからない。
でも、俺たちのようなちっぽけな人生にも、そのビビる心につけ込んで、怪しげな誘惑の罠が待ち構えている。

くれぐれも、内緒の誘惑には御用心。
いい話なんて、絶対にあっちから勝手にやっては来ないから。

でしゃんぼー!!

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ブライソン・デシャンボー...
段々「見る興味」が薄くなって行くツアー観戦だが、この男が上位に来た試合でこの男の動画を見るのは実に楽しい。

本当に...今までに、これだけ楽しそうに「超マン振り」をしているツアープロは見たことが無い。
この男がぶっ叩く映像を見ると、そのボールのインパクト音とその弾道に、俺は思わず一緒に「行けー!」なんて声を出して喜んでしまう。
その「これからフルスイングでひっ叩くぞ!」「思い切り行くぞ〜!!」なんて気持ちを隠そうともしない、そのハンマー打法に似た「合理的な」アドレスに、「よーし、イケイケ!」「ぶっとばせ!」なんて大喜びしている自分が居る。

ただの「力自慢」「飛ばし自慢」のゴリラみたいなプロなら昔から結構居たけど、その連中はほぼ例外なくゴルフ頭は空っぽで、「イチかバチか」「うまくいったら儲けもの」のギャンブルゴルファーでしかなかった。
しかし、このデシャンボーは別名「ゴルフ科学者」「ゴルフのマッドサイエンチスト」のあだ名を持つ、用品用具からスイングまで自分で研究し追求し創造する「超知的ゴルファー」なのだ。

そのスイングは、昔から伝わる「くせ」や「ただの言い伝え」や「名言由来のただの真似事」を一切廃して、合理的で体に無理の来ないスイングを目指して研究し、独力で作り上げたもの。
俺もかって試してみて、ゴルフスイングでは一番合理的だと思っていた「ハンマー打法」をベースに、そのハンマー打法の欠点を解消するために、あんな風に自分の体まで強化して作り上げてしまった。

そして、今の姿だけを見れば普通の人は彼を「パワーヒッター」と見るだろうけど、その使っているクラブが自分の研究と追求の結果の超先進的な道具であることを知ったら、「恐れ入りました」と土下座するしかないだろう。
「同じ長さのクラブで、同じ前傾姿勢・同じスイングで距離を打ち分ける。」
未だ、こんなことが彼にしか出来ないのだ...世界中の一流クラブメーカーが、彼のアイデアに便乗して同じものを作ろうとしたが...未だに素人が楽しんで使えるクラブが作れない。
(ただシャフトの長さを揃えてロフトを変えるだけじゃ、作れやしないのだ。)

だから...彼の凄さは、「アイアンの番手の違いで自分の前傾姿勢が変わらない」スイングを試合でやっているということにもあるのだ。

パットのスタイルも実に個性的だが、あれも彼のスタイルに共通する「合理的」なものだ。

そうしたアイデアは、合理的であり、シンプルであり、身体に無理をさせないためであると俺は思うが、心配なのは彼があまりに楽しそうに打っている「超フルスイング」。
「必要な筋肉をつけて体重を増やして」と、ちゃんと考えてはいるんだろうけど、彼があれだけ振れるのは「まだ体が十分に若いために、あのスイングに耐えられる柔軟性やしなやかさ強さがあるから」。
やがて年齢と共に筋肉が硬くなり、関節が摩耗し、あちこちから痛みが出てくるんじゃないか、とジジーは心配する。


でも、テレビで見ていて今のゴルフにこんなに面白いものは無い。
本人が明るく楽しんでいる雰囲気も良いし。
昔のプロのスイングやショットのように、「こういうボールはああやって打つのか」とか「この攻め方は参考になるな」なんて自分のゴルフの参考になるようなものは無いけれど。


俺は、ヒッコリークラブに糸巻きボールで「ペチン」「コチン」と自分のゴルフを楽しむ。
ただ見るだけなら、デシャンボーの「別世界のショー」を楽しむ。


俺は...今はブライソン・デシャンボーが、ベラボーに楽しい(笑)。

車検終了

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今日、俺のキャンピングカーが何回目かの車検を受けて出来上がってきた。
(長く乗っているので何回目の車検だったかもよくわからないけど。)

もうすでに走行距離は15万キロオーバーになり、今回はタイヤやブレーキパッドやバッテリー等々、かなりあちこちの部品が交換となってそれなりの金額になっちまった。
でも別に現状は運転には不満なく、特に不都合な場所もない。
狭いし古いし塗装はハゲてボロっちいし、古い型なのでいまの最新の車よりかなり貧弱な装備のかもしれないが...比べるのがそれ以前に乗っていた中古の360cc2サイクルエンジンのジムニーや、ディーゼルエンジンの騒音で隣の人との会話もままならなかったやっぱり中古のBJ44型のトヨタランクルや、初めて新車で買ったのに信じられないくらいに故障ばっかりだった「どこが(技術の日産)だよ、クソッタレ!」の日産サファリや、いすゞの1・5トントラックベースのキャンピングカーなので、このホンダステップワゴン(ガソリン2000cc)ベースのキャンピングカーは、運転には全く文句が無い。
俺にとっては、静かだし冷暖房完備だし、初めてのATシフトってのも実に楽でいい...なにせ、左足を捻挫してギブスをしていても運転出来たんだから。


...でも、奥さんが言う。
「もう最後の車だから、私のへそくりを足しにして、あなたの欲しいキャンピングカー(もう少し広い車・綺麗な車ってこと)に代えてもいいわよ。」

ちょっと驚いた...俺は買い換えるつもりはなかったから。
(俺はあのオンボロ具合が俺とピッタリだと、すごく気に入っているし。)

でも、ああ言ったうちの奥さんの本音が、「歳をとって病気をして弱った身体には、もう少しゆとりのある楽な車が良い」と言う理由なら、俺は少し真剣に車探しをしようかと思う。
そうなると、俺の車史の最後にもう一台違うキャンピングカーの名前が載るかもしれない。

俺的にはゴルフ前夜の車中泊が楽になる車が良いけど...買い換える基本は、まず「彼女が気に入った車である」という事。

「キャンピングカー以外に選択肢はないのか?」って?

もちろん、絶対にない!(笑)。
キャンピングカーライフってのは、本当に面白いものなんだ。

 


...もっとも、どれにするにしたって中古以外には手が出ないけど。

手に入ったヒッコリーシャフトの「アプローチクラブ」

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先日、松村博士から「面白いクラブが出品されていますよ」という連絡をもらった。
見てみると、ゴルフには関係の無さそうな古道具の店から、「古いパターみたいな鉄製のゴルフクラブ」という名前で古いバッグごと出品されているものがあった。
確かに写真ではいずれも真っ赤に錆びていて、どれが何のクラブやら全くわからないような状態。
ただ、写真で見る限りはシャフトは曲がりも割れもせず、しっかりしているように見えた。
「なら、安ければ今のレギュラーのヒッコリークラブの予備シャフトとして使えそうだ」と、「とりあえず」入札だけはして見ることにした。
...今現在の俺は、ほぼヒッコリー遊びをするのに必要なクラブは集めたので(足りないのは飛距離が出て振りやすいティーショット用のウッドだけ)、これ以上集める情熱はなかった。
それより手持ちのクラブを使いこなす事の方に集中したいので、より多くラウンドしたいんだけど...奥さんの病気やらコロナやら自分の怪我や病気やらで、それもなかなか難しい状態。

なのに。
「まあ、落札価格はこの値段の3〜4倍にはなるだろうな」なんて気持ちで「ポチ」したら...いきなり画面が「おめでとうございます! あなたが落札しました!」なんてのが出て、思わず「うわっ!なになに?」なんて...

オクをよく見たら、「即決価格」だった...
ヒッコリーゴルフ好きとしては極端に安すぎる価格なんだけど、ゴルフの知識のない古道具屋さんからしたらこんなものは「現代じゃ使えないただの古道具」という値段なんだろうな。
説明にも「ほとんどが鉄製ヘッドのパターです」なんて書いてあったし、そもそも「ゴルフ」分野への出品では無かったし。

そして、今日届いたクラブ達は...なんと俺にはお宝ばかりの「大当たり!」。
シャフトやヘッドの状態は想像していたよりずっと良く、ちゃんとマッシーやミッドアイアンやマッシーニブリックもあるし、パターもある。

そして一番興味を惹かれたのはこの4本。
俺が持っていなかった「アプローチクラブ」と呼ばれる、クラブたち。
ヘッドはL字パターにロフトがついているような形状で、普通の当時のパターより肉厚で重量があるように感じられ、ライ角がパターよりフラットでシャフトもやや長い。
裏には写真のように「アプローチングクリーク」とか「ジガー」とか「サミー」とかの字が入っている。

これがスチールシャフト時代のアプローチクラブと違うのは、この当時のゴルファーたちは「この手のクラブでフルショットに近いショットも打っていた」という松村博士からの情報。
よく見てみると、ネックも丈夫に作ってあるしフェースの面の高さはないが厚さがかなりあって、相当強いショットも打てるような形状をしている。

俺には全く記憶が無いのだが、9年前に他人から借りたこれと同じ「サミー」で、俺は「200Y打てた」と話していたんだそうだ(笑)。
...つまりそれほどの「強打」ができるクラブという事。

やれやれ(笑)...こうした変わったクラブに巡り合って、こうした事を改めて知り、始めめての体験が出来るなんて...ゴルフってのは奥が深くて刺激があって「やっぱり面白い」、

掘っくり返し屋のノート㉔『ケセラ・セラ』

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1890年代末期から1920年代初頭に活躍したアメリカのプロにアレックス・スミス(1874~1930)という人物がいた

彼はスコットランド・カーヌスティのグリーンキーパーの五人兄弟の長男(実際には他に夭折した兄弟姉妹が5人いた)として生まれた。そのような環境からキャディやクラブ職人としてゴルフに親しみ、1890年代半ばから労働者ゴルファーとして地元で知られた存在になり、当時の英国のゴルフ週刊誌の地方ニュースや、ゴルフ年鑑掲載の所属倶楽部の情報欄にすぐ下の弟のウィリー(1899年度全米OP勝者)と共にコースレコード達成や競技参加者として度々名前が出てくる。

短期間に2つの倶楽部でプロ活動をした後、1898年にロバート・フォーガン工房の斡旋でグリーンキーパーとして渡米し、この仕事が嫌なので所属プロのフレッド・ハード(全英OP勝者サンディ・ハードの弟)に掛け合ったところ、クラブ造りの腕からプロ助手に昇格し、更にこの年の全米OPでハードに次いで2位に入った事により、カーヌスティの移民プロのパイオニアとして、また全米OP4勝のウィリー・アンダーソンと共にアメリカプロの双璧としての道を歩み、彼の弟と義弟達や友人・ライバル達がアメリカへと移住するきっかけとなったのである。

戦績を見ると全米OP2勝、ウェスタンOP2勝、メトロポリタンOP4勝、イースタンPGA3勝、フロリダOP2勝、サザンOP1勝、サザンカリフォルニアOP3勝、他倶楽部主催トーナメント各種。
USPGA発足の少し前までは、全米選手権とそれに近い日時に行われる大競技、あるいは南部や西海岸で行われる冬季の大会を除くと、所属する地区や州以外のトーナメントには出れなかった時代であることを考えると素晴らしいものである。
加えてジェリー・トラヴァースやグレナ・コレット等全米チャンピオンを育てたこと、コース設計の実績などからUSPGAの殿堂入りをしており、世界ゴルフ殿堂に入ってもおかしくないプロで、そのまま書き物になるだけの各種逸話を備えている。

彼のフォームはスタイリストで知られた弟達や義弟のメイデン兄弟達とは違い、パームグリップで握った長尺クラブを、シャフトが肩に乗るくらいフラットに引き上げ、横から右の手首と腕を使ってぶっ叩くという非オーソドックスなカーヌスティスウィングであった。
1909年末に英国PGA訪問団員として渡英した際に、J.H・テイラーの弟ジョシュ・テイラーから『横から叩く前時代的なスウィング』と評され、後年ボビー・ジョーンズの伝記作家O.B・キーラーからも『もし一般のゴルファーが彼のスウィングを真似したら壊滅的なフックを連発するだろう』と雑誌で書かれ、更に一世代後のジーンサラゼンは『彼が不安定だったのはバックスウィング始動で手首を折り始めていたからだ』と回想記で書いているからかなり特徴的であったのだろう。
(事実弟たちやライバルのアンダーソンに比べるとプレーにムラがある)

しかし、青年期にクラブ造りや、鍛冶業で培った腕っぷしの強さでフックをコントロールして長打を放ち、そのスプーンやマッシーの巧さは折り紙付きで、あのハリー・ヴァードンから『美しいアイアンショットと必殺のパットを持っている』と評されており。ウォルター・ヘーゲンも彼のチップショットとパッティングの巧みさを回想記に記している。

この名手達が評価するパッティング技術には彼の気質とモットー『Miss em quick(早くミスせよ)』が影響していたようだ。
※日本では全英OP勝者ジョージ・ダンカンの言葉とされているが、彼より活動期間の早いスミスが先に使っていたとみるべきである。

ライン上のゴミも退かさずに打つ事に対しO.B・キーラーが『それではボールがラインから弾かれるのでは?』と訊くと
『ラインから外れたボールがそいつで戻ってくる事もあるじゃぁないか』と答えたというから度胸と自信があったのだろう。
また彼は“陽気な楽天家”として知られ、ショットについて思い悩むことがなく、ベン・ホーガン的なウィリー・アンダーソン(ホーガンがアンダーソン的というべきか)や繊細で紳士的であった弟達に比べるとある種の強みを持っていた。

一例として挙げると、彼がアンダーソンとカナダの名アマチュア、ジョージ・ライオンと参加した1905年の全英OP。
会場のSt.アンドリュースは大会に合わせて、グリーンを狙うのに避けようのない“全か無か”的バンカーが多数増設され、参加者の批判を買った。
予選落ちしたアンダーソンは後でプレーしたロンドンのコースの方が公平だ。と憤懣を漏らし、アレックスもアメリカの雑誌で“全か無か的プレー”になり困ってしまった事を述べている。実際彼はバンカーを行ったり来たりする目にあったそうだ。
普通であればプッツンしてしまうところであるが、ハラハラするギャラリーに向かって
『ま、こンなのはホンの練習だから心配すんない』と笑って見せ16位Tに入っている。

この『サッサとプレー』と『クヨクヨしない』の精神の極致がフィラデルフィアクリケットCで行われた1910年の全米オープン最終ラウンド最終ホールでのパットだろう。
この大会ではアレックスは優勝候補の一人に数えられ、練習ラウンドでは67(-6)というスコアを出して大いに注目されていた。

しかし、蓋を開けてみたら大混戦、最終ラウンドでトップから4打差に旧チャンピオンや新進プレーヤーが団子状に並ぶ状況で、トップに立ったのは二人の若者、地元の少年プロ、ジョニー・マクダーモットと、アレックスの弟でカリフォルニアから三番目の兄と共に遠路参加したマクドナルド・スミス。両者とも前年に大きな競技で2位に入り、その筋から注目されていた。
前者は安定したゴルフ(74・74・75・75)で、後者は中盤の遅れを最終ラウンドのアンダーパーで取り返し(74・78・75・71)合計298で上がっていた。

 アレックスは前半をパープレー(73・73)で回っていたが、2日目の第三ラウンドで崩れ+6の79、そんな中迎えた最終ラウンド、先に上がった二人のスコアを追いかけながら出入りの激しいプレーをしており、後の無くなった彼は240yd・パー4の最終ホールで直接グリーンを狙いに行った。
このホールはある程度の距離と正確さが出せるプレーヤーであればティショットを乗せることが出来た様で、1908年度勝者のフレディ・マクロードはここで10ftのイーグルパットを沈める事が出来ていればプレーオフに残れたのだ。

アレックスのティショットは素晴しい当たりでグリーンに一打で乗り、其処からカップの上側、難しい15ftのパットを18inまで上手く寄せて勝利は確実と成る。
スタスタと歩み寄ったアレックスはいつもの様に直ぐアドレスに入り、ウィニングパットに取り掛かったのだが…次の瞬間ギャラリーのどよめきが広がった。

そう、彼はパットを外してしまったのだ。
皆が呆気にとられている中、当のアレックスは何が可笑しいのか、ケラケラ笑いホールアウト、合計298で勝敗は翌日のプレーオフに持ち込まれた。
この一部始終を見ていた教え子のジェリー・トラヴァース(全米OP・Am勝者)が、23年後に雑誌でこの時の様子を回想しているが、彼はグリーンを離れたアレックスに詰め寄り
『何であんな不注意極まりないパットをしたんだい?』と不快感を交え尋ねた。
其れに対してアレックスは
『あー、あれこれ考えてミスしちまうのが嫌でね、さっさとパットに取り掛かったってワケさ』
と返したのでトラヴァースは憤懣やる方無く
『それで外しちゃったら本末転倒でしょうに、バカなのか貴方は!?』
とぶちまけるのだが、当のアレックスは飄々と
『そりゃぁどういたしまして、まあ明日のプレーオフで皆やっつけるから心配すんなィ』と返したのである。

実際プレーオフは負けん気の塊で飛び掛かるマクダーモット、重度のプレッシャーによってショットとパットが乱れる末弟のマクドナルドに対し、アレックスは悠々とプレーし前半をリード。(アレックス37・マクダーモット38・マクドナルド41)
後半もマクダーモットは奮戦するが、ショットは良いものの肝心のパットが外れ追いつけず75、マクドナルドは当りを取り戻したが前半の崩れが響き77という中、ペースを守ったアレックスはさらに加速して34でまとめ71で上がり、二度目の優勝を果たしている。

世に陽気な、或いは楽天家と呼ばれるプレーヤーは数多在れど、一国のメジャー競技の大事な局面の軽率なミスも気にせず。酷いプレッシャーに成るはずの自身のミスにより起きたプレーオフにも悠々優勝するというのは、アレックス・スミスという人間がそれらの者達を遥かに突き抜けたゴルフ史上有数かつ実力の伴った楽天家として、世のプレッシャーに悩むゴルファーの為に長く語り継がれるべきだろう。 

                         ―了―
                       2021年2月16日記
                       

 

 

 

 

主な参考資料
・Golf Journal 1994年10月号掲載 Howard Rabinowiz『Alex Smith and The Early Days of American Golf』 USGA機関紙
・The Fifty years of American Golf H.B Martin 1966復刻版
・ゴルフ殿堂の人たち ロス・グッドナー著 水谷準訳 ベースボールマガジン 1982
以上JGA資料室より閲覧および、筆者蔵書

以下LA84 Foundation デジタルライブラリーコレクションより閲覧
・The American Golfer 1910年7月号『The Open Championship of The United States』
・The American Golfer 1923年6月18日号 O.B. Keeler 『Studying the Styles of Champions No.8-Alec Smith, Former Open and Metropolitan Champion』
・The American Golfer 1933年 7月号 Jerome D. Traverse 『A Former Champion’s Reflections Recalling the Late Alex Smith and His Philosophy the Game』
他USGA HP Segl Electric Golf Libraryより閲覧雑誌『Golf Bulletin』『The Golfer』等から各種記事閲覧
※LA84~、USGA共にThe American Golferは2010年代前半まで1934乃至35年分までアップされており、筆者は1923,33年の記事は2008~12年間に閲覧したのだが、国内戦前資料に注目している数年の間に著作権の問題か両HPで閲覧できるのは1923年以前の物のみに変更されているのを近年確認したので、資料検索をされる方はそれをご留意されてほしい

 

 


(この記事の著作権は松村信吾氏に所属します)

 

今年の初打ち...37年ぶりのショートコース

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コロナは嫌、花粉も嫌、でも運動不足で腹が出続けるのが一番嫌...な俺が、花粉渦巻く下での散歩が嫌でここ数日散歩をサボっていた。
だって、気温が上がって強風が吹いて花粉が飛びすぎて、太陽の周りに花粉の輪っかが出来るわ・車の窓ガラスに黄色い粉がビッシリ溜まっているわ...花粉のために鼻がズビズビ・目がショボショボ・寝不足で頭がボケボケとなるのを数十年も経験し続ければ、どんなバカでも春先の良い天気の日になんか浮かれて外を遊び歩かなくなる。

でも、自分の腹が日々成長していくのを見る度に、「このままじゃいけない」なんて思いが焦りとともに込み上げて来る。
ああ、俺は「このままじゃいけない」って人生を一体何十年生きて来たことか。

...なんて事はどうでも良くて、とあるブログの方の「最近はショートコースで一人寂しく遊んでいる」なんて記事を見かけて、「あちこち傷んでいるからいきなりラウンドはキツイかも」なんて事でゴルフから遠ざかっていた俺でも「そうだ、ショートコースならリハビリになるし、回復具合も確認出来る」「芝の上から打てるから腕が鈍ったかどうかも判る」とのいきなりのやる気が事の始め。


ネットで調べてみれば、最長150y前後で9ホールを回って2千円程度のコースが結構たくさん見つかる。
まだウッドをぶん回すには右膝がちょっと心配なので、ニブリック・マッシーニブリック・マッシー程度で回れるこの距離は都合が良い。
おまけに芝の上から自分のボールを打ててインパクトまで体感出来るので、練習場に行くよりずっと実践的だ。

で、とりあえず家から行きやすくて評判も悪くないコースとして沼南ゴルフ林間コースを選ぶ。
沼南とは手賀沼の南という意味のようだ。

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小さなクラブハウスが見つからずに、ちょっと迷ったがコースはそれなりに雰囲気が良い。
が、困ったのがティーグランドが全て人工芝だったこと。
マットとはいえ、スチールシャフトなら関係ないがヒッコリーシャフトのクラブにはかなり抵抗が大きくて厄介。
試しに1番ホールでマットの上に糸巻きボールを置いて打つと、ガツンとソールが跳ね返される。
100y程のホールでハーフショットをしてもかなり手への衝撃は大きくて、ダフれば簡単にヒッコリーシャフトは折れそうだ。
こんな練習で100年も持ってきたクラブを折ってはダメだと、10ヤードほどチップして傾斜のあるラフから普通に打つ...手応えもヘッドの動きもそれほど悪くない。
ただ、重くなった体に息が切れるだけ。

そういう打ち方をして、ハーフ1時間もかからないで回って、そのままもう一周...と行くところで気がついた。

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マイホールフェアウェイの半分くらいまでに、黒く細長いゴムマットがクロスしておいてある。
「何だろう?」と思っていたが、全ホールのティーグランドには「第1打は人工芝の上から打って下さい」というような言葉が貼り付けてある。
俺はフェアウェイじゃなくて近所のラフから打ってはいたが、あのゴムは「ここから打つな」というバツ印じゃないのか?と気がついた。

「ええ〜?ここは基本的に芝の上から打っちゃいけないのか?」
難しいヒッコリーアイアンだから、インパクトの感じを捕まえるためにわざわざ芝のあるショートコースに来たんだけれど。
どうも、俺はやっちゃいけないことをやってたみたいだ。

帰ってから、改めて調べてみると...ショートコースというものはそういうものみたいだ。
かなり、ガッカリ。

今日は右膝はサポーターでがっちり締め付け、左足首もサポーターで捻挫した方向に捻りにくく固定し、アンダーウェアーも膝をある程度保護するサポーターを履いていたので、気になる痛みや後遺症は無し。
ウッドやアイアンでの強振はしていないのでまだ安心とは言えないが、ゴルフが十分楽しめる感触はあった。

これなら、3月から花粉症と武漢肺炎に気をつけながら、オープンコンペ参加再開を試してみよう。
ショートコースの人工芝のティーグランドで遊ぶのよりはずっと楽しそうだ...料金的にもそれほど変わらないし(安いコースしか行かないからね)。

2021年、今日が俺の「今年のゴルフ始め」だ。


昨晩就寝前に飲んだ鼻炎薬と、昨年医者から貰った目薬のおかげで、今日はまだひどい花粉症は発症していない。