ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

スマホのお守り

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電車の中は、ほぼ全員がスマホを見ている。
俺と同世代と思われるジジーがいれば、何人かに一人は文庫本を読んでいる。
俺も電車に乗った時には、スマホは仕事のメールのチェック以外は見ることはなく、ずっと文庫本を読んでいる。

仕事の連絡だけならガラケーで十分だったのだが、仕事のメールの添付ファイルを見たりネット関係での連絡や確認にはスマホが必要だということで、気が進まないまま5年前にiPhoneの5sに変更した。
大したものだと思ったのがカメラの性能とGoogleマップを使えるマップ機能。

だが、それ以外にはゲームをするのも、ラインでおしゃべりとかも全く興味はなく、5年同じものを使っている。
大きさの点でも、これ以降のものは大きすぎて邪魔だし、必要と思われる機能もないので買い換える気は全くない。
そして先ほど書いたように、あまりにもスマホに取り憑かれている人々に危機感を感じている。
電車に乗っているほぼ全員がスマホを見ているなんて、異常な光景だし普通じゃないしいい事じゃないと俺は感じているのだ。
...俺はスマホが基本的に嫌いなのだ。

なのに俺のスマホには何やらいっぱい飾りのようなものがついている。
これは全てお守り。
ほぼ全部俺が買ったものじゃなくて、うちの奥さんや娘のお土産。
一番新しいのはこの夏のうちの奥さんと娘の京都旅行土産の北野天満宮のお守り。
「いらない」というと機嫌が悪くなるので、「あ~あ、また増えるのか」なんて言いながらも目の前で付けなければならない...俺も気を使っているのだ。

不思議なことに、そうしてほぼ強制的に結ばれていたお土産が少しずつ気がつかないうちに姿を消す。
結んだ紐の先に着いていたお守りの姿が無くなっているのだ。
そんなに乱暴な扱いや持ち歩きをしている訳じゃないのに、姿が消える。

...以前何かで読んだ本に、「お守りはその持ち主をトラブルから守った時に姿が消える」というような言葉があった記憶がある。
うちの奥さん達が俺にくれるお守りが、まさか「安産祈願」や「恋愛成就」や「学業成就」の筈がないだろうから、多分「健康祈願」や「安全祈願」や「厄除け」のどれかだと思う。

そして、多分一つ一つ消えたお守りの神様は、俺の代わりにそうした襲いかかる危険や不幸や不運と戦って助けてくれたんだろうと俺は思っている。

いつも持ち歩いていスマホは好きでも無いんだが、ぶら下がっているお守りが少なくなっているのに気がつくと、不信心な俺はヤオヨロズの神様と道端の神様に感謝を込めて頭を下げる。