ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「デジタル」ってのは「つもり」の世界だ!

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ほんの30年前には、それは「自分も持てたらいいな」くらいの実験的な「道具」だった。
それが2000年を過ぎた頃から普通の人に金銭的に何とか手が届くようになって、それが「ケータイ」と呼ばれ、「スマホ」になって、ただの「携帯出来る電話」から「それがなくちゃ生きられない麻薬」みたいな存在になってしまった。

本や新聞を読んでいる人がいるのが普通だった電車内の風景は、ほぼ全員がスマホを弄っている風景に変わってしまった。
気がつくと、乗客ばかりでなく電車を待つ人も階段を歩く人も、ほぼ全員がスマホを持って見ている。
みんな、ただ黙々とゲームをやったり誰かとメールのやり取りをしている。

便利なのは理解する。
俺だって、仕事や連絡には恩恵に預かっている...ゲームは全くやらないし、仲間内のとメールなんかは滅多にしないが。
一時は人間社会に大きな影響を与えると見られていた「パソコン」は、今じゃすっかりスマホに押し流されて一部の専門情報を必要としている人とゲームに熱中する人以外は使わなくなってしまったんだとか...ま、一般の人たちにはスマホから得られる情報だけで十分だったって事なんだが。

で、こんな時代になってしまったことを俺は心配している。
パソコンの病的なゲーマーもそうだが、生活の全ての時間スマホから離れられない人は、その生活の全てが「つもり」に置き換えられているんじゃないか、と。
つまり、ゲームに熱中している人は「勇者」になったつもりでいるんだろうし、そこで出会った誰かと「仲間」になったつもりでいる...それがずっと現実の生活に侵食してきて、すっかりそれが真実のようになってしまっている。
SNSに熱中している人は、その「いいね」の数で自分が人気者になったようなつもりでいるんだろうし、メールのやり取りに熱中している人はそれで自分に仲間や友達が多いつもりになっている。
いろいろなことをスマホで検索することが多い人はそれで物知りになったつもりでいるし、自作ラノベを書いている人は小説家になったつもりでいるし、自作の動画を作ってネットに出せばユーチューバーのつもりでいる。

スマホで繋がる「世界」は「つもり」ばっかりだ。
現実が収入が少なく貧困にあえいでいても、「つもり」の世界では「天下無敵の勇者様」なのかも知れないし、女友達どころか男の友達もいない「ぼっち」の現実でも「つもり」の世界では沢山のガールフレンドや仲間に囲まれた人気者なのかも知れない。
それは当座の慰めにはなるだろうし、隠れ住むには甘美な世界だ。

しかし、そのまま死ぬまでその現実から目を背けていることは出来ない。
いつかは必ず、不公平かつ差別的で悪意に満ちた(自分より強い)敵だらけの現実に向かい合うことになる。

良い対処の仕方なんて無い。
現実の人間は、ほとんど全員みっともなくて情けなくて惨めでカッコ悪いのが本質だ。
ほんの一部の成功者の姿は、自分と比べるような現実の存在ではなく仮想現実の幻であると思ったほうがいい。

俺は言いたい、「スマホから離れて、顔を上げろ」と。
スマホの中には無限の世界なんか無く、デジタルで作られた「つもり」の世界があるだけだ。
「つもり」の世界には「気持ちいい〜!」が多いけど、現実世界じゃ「つらい」「悲しい」「淋しい」「痛い」「苦しい」の方がずっと多い。
「いつか必ず幸せになれる」なんて能天気なことは絶対に言えないけれど、「ちょっといいなあ」なんてことは現実世界のあちこちに落っこちている。
生きるのは、デジタルじゃ無くてアナログだ...アナログの「ちょっといいな?」は、デジタルの「気持ちいい〜!」よりもきっといい。



みんな「つもり」になっている・スマホの奴隷になっている...それが気になってしょうがない、バカなひねくれジジーの戯言だ。