ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

俺は、なぜ現代兵器を捨てようとしているか?


それは、「怒りのゴルフ」を捨てたいからだ。

思えば、ゴルフを始めたときから、それに「怒り」は付いて来た。


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ミスした時、うまくいかなかった時、イメージ通りにいかなかった時、あるいはアンラッキーばっかりだと感じた時、あるいは同伴競技者のスロープレーに、あるいは....
特に競技に燃えていた頃、1打の重さに集中して緊張していた時には、ミスするとクラブをへし折ったり、パターを池に投げ捨てたり、クラブを捨てて帰るなんて事が多かった。
俺は本当に酷い、嫌なゴルファーだった自覚がある...その代わりに、たまにハマればバックティーからアンダーで回れたり、パープレーなんてスコアで回れていた。
でも、仕事をしなくちゃ食えない純粋アマチュアのゴルファーとしては、競技のある日の前後が締め切りなんて事が普通にあって、ゴルフに行くときには完全徹夜とかほとんど寝ていない、なんて状況の時の方が断然多くて、思ったように体が動かずにボロボロに崩れる時の方が多かった。
(特に当時のイラストは全てイラストボードにカラーインクやリキテックス透明水彩ガッシュなどで描いていたために、描くのも乾燥させるのも時間がかかり、徹夜で締め切りに間に合わせるなんて普通の事だった。)

しかし、どんな事情があっても、そうしたうまくいかない怒りからクラブに当たったりプレーが投げやりになったりした後は、しばらくの間自己嫌悪と後悔の念に苦しんだ。
そして、そうした後悔の元になる「怒り」の気持ちからは、スコアにこだわる限り逃げる事が出来なかった。

特に最近になる程クラブの性能が上がり、ウッド類はよく飛ぶようになり、アイアンも飛んで正確になって来た。
ボールも本当によく飛んで止まるボールが多くなり、余計な曲がりの少ないものや、特にアプローチでスピンがかかるものなど、糸巻きボールに比べて格段の進歩をとげた。
そしてそれを調整するマッチング技術も、現代では大変な進歩を遂げた。
例えば、俺も調整してもらったMOIマッチングなんて技術は、今現在のクラブマッチングでは最高のものと思っている。

ただ、そうしたクラブの進化やマッチング技術の進化は、真面目に練習する向上心に燃えた競技志向のゴルファーには、最高の武器となるのだが...自分のように年老いて競技に疲れ、体のあちこちを壊し・痛め・衰えたゴルファーにはゴルフを楽しむには両刃の剣となるのだ。

だって、道具も調整も悪くないのはわかっているんだから。
全てのミスの原因は「自分」にあるのだ。
これは苦しい...原因を他のせいに出来ないんだから、湧き出た怒りの持って行き場が無い。

じゃあ、「怒り」の出て来ようが無いゴルフを楽しめばいいんじゃ無い?
そういう考えが出てきた。
つまり?
「大昔のてんでんばらばらに作られた」「クソ難しい」「壊れやすい」「フルショットできないような」クラブを集めて、「もうゴムなんて溶けて固まっているような」「古い飛ばない」「経年変化で薄汚れたような」糸巻きボールでプレーすれば、「ミスするのが当たり前」で「たまにナイスショットが出れば」純粋に大喜び出来るゴルフが出来るんじゃないか?

これが動機。
それが結果として、まだ安い値段でクラブを集めることがなんとか可能な「ヒッコリーゴルフ」に行き着いた訳。
ただ、最初から「ヒッコリーゴルフ」をするつもりでいたんじゃないので、ファッションやらにこだわる気持ちは無い...ただ、「笑ってゴルフを楽しむ」のが目的なのだ。
まだヒッコリーでゴルフを始めて2~3年だけど、ヒッコリーゴルフで以前の現代兵器使用ゴルフで感じた「怒り」を感じたことは無い。
どんなにひどいミスをしても、「まあ、しょうがないや」程度で済んでいる。


ただ、このヒッコリーゴルフも、「ヒッコリークラブだけでゴルフをする事」にこだわった訳じゃなく、俺自身が怒ったり切れたりしないゴルフがしたいだけなので、今後変化していく可能性はある。

(続きの話はまた次回に)