ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

それに比べて...

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ケーブルテレビのゴルフ専門チャンネルで見ているアメリカツアーは、4月5日からいよいよマスターズ。
アメリカツアーは10月から始まって9月に終わるという、我々にとってはちょっと変則的な感じだけど、4月のマスターズがシーズン真っ盛りで、7月の全英オープンがシーズン後半の「一年の集大成」的な感じは「あり」だと思う。

で、今年の日本の男子ツアーは25試合。
全盛期の1990年頃の1年44試合に比べると、ほぼ半分。
その試合数もそうだけど、盛り上がりや熱気などはあの頃の10分の1以下と言うのが実感。
ツアー機構も努力はしているんだろうけれど、観客数や視聴率が上がる気配は見えてない。

これから先、何かあって試合数が増えたとしても、我々団塊の世代が30代でゴルフを始めた頃の熱狂が再び戻る事は無いだろう。
あれは「見る」ことではなく「やれる」ことで盛り上がった熱狂だったんだから。
スキーブームの時も同じ。
一部の金持ちしか体験できなかった「庶民には縁のない」とハナから諦めていた遊びが、自分たちにも体験できるところまで降りてきたと感じたからこそのブームだった。
それは自分たちもそういう遊びができるほど「豊か」になったんだ...という、錯覚からの盛り上がりであって、遊び自体は確かに面白かったのだがそれを長く続く「日常」にするには、やっぱり無理があった。

ましてや、「ゴルフ」というのは自分が体験してこそ、面白さが分かる遊び。
自分でルールやマナーを勉強し、こうした遊びの中では極めて珍しい「たくさんの道具」に所有欲をそそられ、ファッションに気を使い、誰かと競う楽しみがあり、上達すれば名誉欲や見栄までが満たされる。
始めからレッスンプロに教われる練習場の「ゴルフ教室」に入った人以外は、ほとんどの人が先輩やレッスン書を参考に独学で悪戦苦闘する....それで壁にぶつかると、テレビのレッスン番組やツアーの放送を見てプロのプレーを参考にする。
...それが結構面白かった。
何より当時は、プロのプレーが普通のアマにも十分参考になった。

1990年ごろには、日本ツアーは3月から始まり、ほとんど毎週12月まで開かれていた。
もう二度とそんな時代は来ない。
その原因は、ゴルフブームのときに熱中した我々世代のアマチュアゴルファーが、クラブを置く年齢に達し始めていることであり、年金生活でゴルフがもう金銭的に無理という人の増加であり、後を継ぐ若い世代がゴルフをやらないことであり、皆が「世界レベルのゴルフを知ってしまった」からである。

一番最後の事以外は以前から言われている問題だけど、最後のは実は極めて厳しい問題だ。
いくら日本のツアーで賞金王になっても、世界レベルでは予選も通れないという実力であり、日本ツアーだけでやっていては「絶対に」メジャーなんかの優勝は無理だと...要するに日本ツアーというのは「世界レベル」では、2軍戦や3軍戦程度のツアーだったことを皆が理解してしまったのだ。

ヨーロッパツアーはアメリカと対抗するレベルの高いツアーであり、アジアンツアーでさえ今では日本よりずっとレベルが高いと言われている。
現実にそうしたツアーで活躍する日本ツアーのプロの名は聞こえてこない。

だから皆日本ツアーには興味を無くし、テレビなんかは見ずに自分のゴルフの楽しみだけを考える。
もうすぐ始まるマスターズでは、全く自分とは関係ない華やかな「ゴルフショー」を楽しむだけ。

人工的でテレビ的に華やかな、「春の祭典」の舞台オーガスタ。
花が花鉢で咲こうと、クリークが青いインクで染められようと、靴の底が緑色になろうと、画面に映る美しい「花の」オーガスタ。
そんなところで化け物たちが競う。
彼らの基地外じみた飛距離や、呆れたビッグプレー。
あるいはそんなスーパーヒーローたちの、劇的敗北の姿。

日本じゃ桜が満開だ。