ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

時代小説

イメージ 1

最近「本」を読む人をみかけるのは、電車内や喫茶店、あるいは町の居酒屋なんかで、読む人は見かけなくなった。
若い男女や中年という男女までの、ほぼ百パーセントは本は読まずにスマホを見ている。

活字媒体が廃れるはずだよな...なんてことは、今更言ったってこの流れはもう変わらないだろう。
対して、そんな場所で(例えば電車の1両あたり)一人か二人本を読んでいる人がいたりするが、それは例外なく同年配のジジ・ババ達だ。
自分で考えてみると、スマホは字が小さいのと水分不足のためか指に自在に反応してくれないので面倒という部分と、本を読む方が自分のペースで落ち着けるという部分が理由としての大きい割合を占める。

その読む本の事だが、神谷バーなんかで一人で本を読みながら飲んでいると、服装は様々ながら結構何人もの同年配の方々が文庫本を読んでいる。
そんなサラリーマンのベテラン風の二人が隣に来た。
「最近は文庫本をよく読むようになってね:」
「へえ、私もそうだけど、どんな本を読んでるの?」
「以前は堅い本やビジネス書なんかを読んでいたけど、最近は昔バカにしていた歴史小説が多いよ。」
「いやあ、私もそうですよ。司馬遼太郎なんかいいですよねえ。」
「私は池波正太郎が気に入ってねえ..」

思わずニヤリとしてしまう。
自分も以前は詩集やSF小説や翻訳小説をよく読んでいたが、最近はほとんどが日本の時代小説になってしまった。 
まあ、真面目に考えればこれは脳が老化した為に、読後にわかりやすく気持ちが晴れるものを好むような、単純思考になって来ている為だと思われる。
それにある程度年をとると、読後感の重いものや辛くなる様な話はそれぞれが現実生活で実際に色々と体験して来ているために、さらに小説でもそんな事を再体験する気になんてならなくなるのだ。
それに比べると時代小説なんてものは(作家にもよるけど)概ねハッピーエンド、結構強いヒーローなんかが悪人を何人も斬り殺すことがあっても問題にならない大らかさ(今じゃ正当防衛でも死なせたりしたら大変だ)や、現実にありえないような秘剣だとかスーパーテクニックが漫画より多少の真実味を持って語られているのがいい。
だから、電車の中や居酒屋や喫茶店で一人時間を軽く過ごすのに丁度良い。
一人飲みでも時間を持て余さずにすみ、電車の行き帰りもそれなりの楽しみの時間となる。
そうそう、ゴルフの前夜祭にも時代小説はおもしろい。

てな訳で、隣の二人の話が聞こえた時に、俺が読んでいたのも時代小説...飲み相手が誰もいなくなり消えてしまってからも、これで結構楽しめる。

で、オレの場合はまず藤沢周平を読み終わり、池波・司馬はちょっと読んであんまり合わず、乙川優三郎を読んで、藤井邦夫・鈴木英治をさらっと通り過ぎて、今は辻堂魁を読んでいる。
オレはどうも文体に好き嫌いがあるらしく、池波小説が読みづらく(以前のテレビの藤田まこと主演の「剣客商売」は好きなのに)、藤沢や乙川の方が読みやすい。
藤井・鈴木はなんだか劇画を見ているようだし、今読んでいる辻堂魁は結構好きだ。

まあ、そんな風な本を相手の「一人飲み」。
当分は時代小説で楽しめそうだ。
さて...次は誰を読むかなあ。