我々の年齢になると、「ああ今年もまた桜を見られたなあ..」なんて気持ちになる人が多い。
「あと何回、桜が咲くのを見られるんだろ?」なんてのは、ジジーの自然な思いだし。
桜は咲くより散るのが美しい、と言われている。
一気に咲いて、そして散る時には見る人の欲や汚れを一緒に運び去って行く(と聞く)。
ところがところが、俺のような典型的な俗物ジジーでは、己の欲も汚れも桜が散っても消えもせず、多分、墓に入る時にも持って行く(笑)。
俗物的心は年を取っても変わりなく、ただ諦めることが増えて行くだけ。
...これは、俺の「業」なんだろうな。
そしてその業を楽しむ事が、「俗物」たる自分の生きがいなのかもなあ。
まあ、それは置いといて。
普通の日本人にとって桜の花ってのは、咲き始めると心が高揚してハイになり、人生を楽観的に感じるんだけど、散り始めると人生を後ろ向きに振り返り、反省・後悔の日々が浮き上げってくる不思議な存在。
それなのに、花がすっかり散り終わる頃には、己の汚れてくたびれきった記憶上の人生が、雨に流されたように霧が晴れたようにすっきりと見通せるようになっている気がしている。
桜の散る花びらは日本人の心を洗い流す、洗浄剤なのかもしれない。
そんな季節が、今年もまた始まった。
(イラスト中の言葉が5・7・5になっちまったけど、俳句のつもりはありませんので)