桜の花が咲き始めた。
日当りや風の吹き抜ける場所の違いなどで、3分咲きから7分咲きくらい迄。
この地域では、まだ満開になるには何日かかかりそうだ。
それでも、寒さを感じない日の光があると、咲き始めた桜並木の下ではそれぞれに宴会したり、ボーっとしたり、何かを食べてお話をしたり...
町内会やらの「花見口実宴会」中心の大騒ぎをしている人達はまだ見当たらず、大きな笑い声などが聞こえて来るのは若い人達の集まりばかり。
静かに花を見る、色々な年齢のカップルもいる。
意外に多いのが若い女性の二人連れ。
大学生や高校生、それにまだ社会人になったばかりの様な若い女性二人連れが、あちこちで咲き始めた桜を見ながら話をしている。
まさに、今が彼女らの季節なんだろうなあ。
「命短し、恋せよ乙女...」なんて唄が聞こえてきそうな、その後ろ姿。
咲き始めの桜の花は、若く初々しい若者の姿をイメージさせる。
(散る桜は、我々そのもののイメージなんだけどね)
その中にいるときは判り難いものなんだ...今が自分の人生の花の時期だなんて。
今の自分の力も才能も曖昧で測り難く、希望も夢も現実とはかけ離れ、自分の位置や場所の現実味も薄く、今の季節を日々やり過ごす事だけに必死になっている....青春なんてものは絵空事の小説やアニメやドラマの中だけに存在し、自分の周りには昨日から続いて明日へも変わらずに続きそうな霧の中の様な生活しかない。
根拠の無い自信と意味の無い不安が、まるで海の波の様に交互に打ち寄せて来て、みんな投げ出したい気持ちになる事もあるだろう。
自分の存在が本当は美しかっただなんて、それを無くしたとき迄判らないもんなんだ。
惜しめ、その過ぎて行く時間を。
もっと大事にしろ、その若さを。
今を大事にしてないと、ジジーババーになった時にやっと理解して悔やむんだ。
...やらなかった後悔より、やってしまった後悔の方がマシだったって。
こんな季節だから、桜の木の下にいる若者達に、私がかって生きる事の勇気を得た言葉を捧げる。
永島慎二の「漫画家残酷物語」で見かけた言葉
ロバート・ルイス・スチーブンソン
真に幸福であること
それは私たちがいかに
終わるかではなく、
いかに始めるかの問題であり
また私たちが何を所有するか
ではなくて何を欲するかの
問題である