ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

花に嵐が人生ならば、暑寒逃げ回る俺は道化だな

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昔からこの言葉は好きなんだけど、この言葉は漢詩の五言絶句「勧酒」を井伏鱒二が意訳したもの。
その井伏鱒二の名訳は

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

なんとも名調子だよね。
で、元の漢詩がこれ

勧酒
勧君金屈巵 
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離

寺山修司はこの詩の後に
「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」と歌ったそうだ。
俗物の俺に言わせれば、「春を生き延びてしまうと、すぐに夏が来て冬が来て、人は酷暑・酷寒から逃げる事に必死になって人生なんて考えてる暇が無いんだよ」。
だから、生き延びて気がついたらまた春は来る。
そして、また咲く桜と散る桜に出会って...その風景が現実を超え、時を超え、「俗物」を人生を考える生き物に(一瞬だけ)立ち返らせる。


...とまあ、そんなことはどうでも良くて...
俺の同年代の酒飲み相手は、みんないなくなっちまった。
亡くなった奴、別れた奴、連絡のつかない奴、噂も聞かなくなった奴...どこでどうしているんだろか?
別れたのは桜の季節ではないけれど...桜吹雪の下を歩いていると、その花吹雪の向こう側でみんな揃って宴会をやっているんだろうなっていっつも思う。
(桜が散る時期には、彼らのことを身近にリアルに思い出す。...俺が憶えている限り、思い出す限り、彼らはちゃんとそこにいるんだよな。)
どうせ毎年花が散りきってしまえばその後は、人は緑の若葉の下アメリカシロヒトリの毛虫とともに、現実を生きる事に精一杯になる。

てなわけで、桜の散り始める今だから語ろうぜ...酒を飲みながら、偉そうに深刻そうに眉間にシワしてさ...「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」ってさ。

 


俺は、本当は今週の満開の桜の樹の下で玉転がしをするつもりだったのに、何の因果か両方のふくらはぎを痛めて山歩きどころか平地の散歩もままならない情け無さ。
いっそ、土手の桜の木の下で、缶酎ハイでも持って行って「一人宴会」でもしてみるか?
でもなあ...ほろ酔い気分で土手の斜面で足を滑らせて、デングリ返ってもっと酷い怪我をするような気がするのでやめておく。


...ああ、今週ゴルフしたかったなあ...