ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

気がつけば...

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最近はブログを書く人も、見に来る人も減っているんだとか。
世の中はSNS全盛で、こうした手のかかるブログってのは作るのも見るのも面倒というのが常識となっているらしい。

まあ、そんな事とは関係なく、一昨日が44周年、今日が68回目,,,別にどうでもいい数字なんだけど。
随分数字が大きくなって来たものだ。
ただ、客観的数字と主観的数字が一致しないのが困ったもので、人と言うのは何時まで経っても「思い込みの生き物」だと言う事がしみじみ実感出来る。

本当に、あの鏡に移ったジジーが「俺」なんだろか?

「女にモテた」なんて記憶が全然なかった俺の前に、初めて現れた女は腰迄伸びた長い髪の、牛乳瓶の底の様な眼鏡をした(超ド近眼だった)ちょっと太めの少女だった。
その少女が心根優しく、もし眼鏡を外せば非常に自分好みの美しい清楚な容姿をしている事が判るので付き合い始めたが...不思議な事に、その他の男達はその牛乳瓶の底の様な眼鏡の為に彼女を酷いブスとしか見ていなかった。
これは俺には不思議な事で、みんな本当に女を見る目が無いんだと言う事が理解出来なかった。
そんな事で、競争相手も無く若くして結婚する事になったのだが...後年、彼女がコンタクトにした時の彼等の驚きようと悔しがりようは半端ではなく、何故俺だけが本当の姿が判ったのか不思議がられたものだった。
眼鏡程度で容姿が判らなくなってしまうなんて、彼等の目が節穴だっただけなんだけどね。
心根の優しさは初めに感じた通りで間違いなく、だからこんな我が侭勝手な俺と40年以上の時をなんとか一緒に過ごせたんだろう。
他の女性とでは、これほどの長時間は絶対に無理だったと思う。
それと、彼女と一緒になってから急にモテ始めた...これは女が彼女を見て「え、この男にそんな魅力があったの?」「自分はこの男の良さを見逃していたかもしれない、あんないい女が奥さんだなんて」と思うからだって...ある女性に言われたっけ。

まあ、俺がモテるなんて間違いだったって事なんだけどね(笑)。

気がつけば、親父が亡くなった年迄あと2年。
何となく、ここが壁だと感じている。
先の事を考えたらノイローゼか鬱になる様な「フリー」の仕事をして、もう40年以上。
「考えてもしょうがない、今を正直に生きるだけ」、と「運が悪けりゃ死ぬだけさ」で今迄やって来た。
(まあ、今でもこれからもそうさ。)
そして仕事が続いている事には、何かの神様にちゃんと感謝しているし。
吹く風にも青い空にも、野に咲く花にも飛ぶ鳥にも、野良猫にだって感謝しているさ。

共に戦っていた同志が、遠くで倒れて行く。
病気で寝込んだり、倒れて亡くなったり、それぞれの人生の戦いを敗れて行く。
なあ、野球はビートルズは絵は、音楽は小説は踊りは...結局誰も有名にもなれず、金持ちにもなれず、夢は叶わなかったみたいだよなあ。
だけど、お前達はそのとき後悔したのか?
今、後悔しているのか?

俺は、ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み...やがて「あかんべ~」を言う時迄は、もう少し時があるようだ。

もう少し風を楽しみたい。