ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

髪の毛 の思い出

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うちの奥さんと初めて出会ったのは、俺が二十歳で彼女は十九。
俺はどうしても今まで歩んできた道が嫌で、親も家も捨てる気持ちでドロップアウトして、それまでやった事も無い「絵を描く(イラストを描く)」世界をスタートしたばかりの時だった。
そのデザイン学校のクラスに、牛乳瓶の底のような分厚いメガネで、腰まで伸びた長い黒髪で、その頃普通に流行っていた超ミニスカートが太めの体に似合っていた今のうちの奥さんがいた。
ものすごく人気のあった細めの可愛い子と仲が良くて二人でいることが多かったが、俺以外の全員がそっちの彼女に注目していて、分厚いメガネで顔もよくわからないウチの奥さんは「可愛い娘と一緒にいるブスの友達」という役回りのようだった。
そんな彼女の、俺が最初に惚れたのは、彼女の腰まで伸びた長い髪。

色々あって二人で歩いている時に、彼女がくるっと振り返った時だった...風になびいて太陽の光に一瞬輝いた彼女の黒髪を見て、「ああ、俺はこの娘と結婚したい」と思ったのを覚えている。

ただ、彼女とはその後のそのグループの飲み会の時に、彼女の隣で酔っ払って彼女の髪の毛を触っていた俺は、後日そのグループの関係ない女性に呼び出される事になった。
その女は俺に「酒に酔って彼女の髪の毛を触るなんて気持ち悪い。彼女も嫌がっているからもう側に行かないで!」と言った。
「なんで関係ない女にそんなことを言われなくちゃいけないんだ?」と頭に来たけど、「こんな話したこともない女が「キモいから側に行かないで」とわざわざ言いに来るって事は、あいつ自身がそう言ったに違いない」とも思い直し、その後会う事はなくなった。
(追記・その後、かなり泥酔していたとは言え「女の髪の毛を触る」なんてのは「かなりキモいのは当然だよな」なんて思い直して反省後悔...以降の人生で女性の髪の毛をしみじみ触るなんてことは二度としていない)

何年か後に俺がイラストレーターとして仕事を始めた時に、偶然再会しなければ今のうちの奥さんとの生活は無かった訳だが...結婚後何度か「あの時、お前はあの女に俺がキモいと言ったんじゃないか?」と聞いたが、「覚えていない」としか言わない...(ま、多分本当は言ったんだろうなあ、とは思っている)。


うちの奥さんは、その腰までの長い髪が自慢だったらしく結婚してもずっと髪の毛は切らずに居た。
娘が二人生まれても、しばらく頑張って居たけど...二人の世話で髪の手入れをする時間もなくなり、ついに下の娘が二つか三つの時に決心して、バッサリと肩までの長さに切った。
その美容院から帰って来たうちのおくさんを見て、下の娘は一瞬驚いたような顔をして、うちの奥さんの周りをぐるぐる周り...ついに火がついたように大声で泣き出した。
その悲しそうな泣き声は、彼女が疲れ果てて眠るまで続いていた。

その後うちの奥さんの髪の毛は二度と腰まで伸びる事は無く、ショートカットと肩までの間を繰り返し、今まで来た。



今回の治療を始める前に、いろいろな薬の副作用の事を娘と調べ、実は一番怖がっていたのがこの副作用だった。
吐き気や気持ち悪さや、あるいは熱や湿疹などはそれなりに対処出すれば、少し我慢する事で治るケースが多い。

しかし、「髪が抜ける」という副作用はすぐには対処できずに、治療終了後にただ時間をかけて再び髪が生えて来るのを待つしか無い。
もちろんカツラや帽子などで隠すことは出来るものの、うちの奥さんにとっては自分の髪のなくなった姿を見ることが物凄い恐怖らしい。
今、髪の毛が抜け始めてきて、櫛で梳いたり髪を洗ったりする度に抜けていく髪の毛を見て悲しみ落ち込んでいる。

今までの人生を見て来ても、彼女の髪の毛へのこだわりが強いのは分かる。
本人は「ブスだったから髪の毛しか褒めてもらえなかったから」とも言うのだが...


確かに髪の毛が抜けるのはショックだろう。


だけどね。
俺なんかその抜けかけた今のお前より、ずっと前から、もう、すでに、抜けちゃってるのよ。
それも、その髪の毛達は、もう戦い疲れて草臥れて再起不能になって一本一本さよならして行くのよ。
もう二度と俺の頭には戻ってくれないのよ。

それに引き換え、お前のやつは薬が終われば、また不死鳥のように蘇って来るのよ。
元に戻るのよ!
そんな悲しむ事無いのさ。
時間を待てば、お前の髪の毛は(昔のように「翠の黒髪」って訳には行かないだろうけどさ)ちゃんと生えて伸びて来るんだ。



男は、ほとんどの男はね、「長い友達」に去られても(いくら寂しい思いをしてたって)、再起不能を噛み締めて、みんな笑って生きているんだから。

大丈夫、そんなに嘆くことは無い。