ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

50年

 

50回目の結婚記念日。


つまり、「あれから50年」て事に改めて驚く。


フリーのイラストレーターに勝手になったとはいえ、稼ぎは不規則で安く、板橋のおでん屋の2階の4畳半で力仕事をしながらイラストを描いていた23歳まで。

 

新聞の募集広告で銀座の広告代理店(の下請け)のデザイン事務所に就職したものの、そこで知り合ったディレクターや編集者たちに「君はこんなとこに位ちゃいけない」なんて説得されて、半年でそこをやめて仕事もないのにフリーになった24歳。
そうしたディレクターや編集者はみんなすぐにそこをやめてフリーになり、デザイン事務所を作って色々と仕事をくれたので貧乏暮らしながら食べることは出来た。


そのやめたデザイン事務所のあった銀座一丁目で、一度は彼女の友人に「近づかないで」と拒否された嫁さんに再会した。
その後多少の付き合いは続いたとは言え、まさかそんなに早く結婚なんて考えられなかったのに、彼女の家に遊びに行くと彼女のお父さんが「結婚する気があるならすぐにしなさい」との強い言葉で、その年のうちにバタバタと結婚することになった。


後でわかったのは、彼女の家は家庭事情が複雑で父親は早く彼女を家から出した方がいいとずっと思っていたって事...それに流される形で3月にはそんな話は全くなかったのに、11月25日には結婚式と決まってしまった。


ただ、再会した後の彼女は明るくて貧乏も平気だと言う心根が表に出て来て、俺の母親と初めて会った時以来母親の方がすっかり彼女を気に入ってしまい「私が彼女を守る」と宣言する始末。


母の友人たちには「ちょっと調子が狂うけど、美人で明るくて凄く優しい娘」だと自慢しまくってていたらしい

 

 

俺も、彼女は出会った頃に比べてどんどん綺麗になってきたと感じていた。
何より、ほとんど稼ぎのなかった俺と初めて住む埼玉の田舎暮らしに、ほとんど料理もできないのに懸命に頑張るのは感動的だった。
で、俺は「俺の人生、彼女のおかげで負けはないな」なんて気持ちになって、行き当たりばったりのフリー生活を頑張れた。

 

世の中には独身の時には本当に綺麗だったのに、結婚や出産と同時に老け込む女性が多い...と感じていたのに、うちの奥さんは結婚した後どんどん若く綺麗になって行き、娘が生まれた時には神々しいまでの美しさに輝いていた...なんて俺は思っている。


娘が中学生の頃、何かの営業がドアを叩いた...うちの奥さんが「は〜い」とドアを開けると「あ、お母さんいます?」なんて男の声が聞こえて「今出かけています」なんて答える奥さんの声が聞こえた...
嬉しそうな笑い顔でうちの奥さんは「また娘と間違われちゃった」なんて言う...もうとっくに40を過ぎているのに学生に間違われたり、「大人用」の限定品を取り上げられたりしたこともあったと言う。


実際、俺も「うちの奥さんは歳を取らないんじゃないか?」なんて思っていた時もあったんだけど...流石に50を超えるとそれなりに老けて行き、シニアの顔付きになって行くのがちょっと寂しかった。


50年...俺は彼女がいなければ、この長い時間を生きられなかったのは確か。
半世紀,,,長い長い時間世話してもらって、俺は幸せな男です。

 

本当に本当に、50年間ありがとう。

 

心の底から感謝しています。