ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

珈琲タイム

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ゆっくり「喫茶店」で珈琲を飲む事が無くなった。
純喫茶なんて言う店の形態が殆ど廃れて、店で飲む珈琲はドトールや各ハンバーガーショップの150円から250円の珈琲。
確かにその辺の珈琲に比べれば「喫茶店」の珈琲は450円から550円(~1000円)もして「高い」と言う感覚があるが、いい喫茶店はその環境や雰囲気に入れる事が料金に含まれていて、その雰囲気は貴重なものだった。
名曲喫茶やジャズ喫茶は、その静かに流れる音楽と香り高い珈琲が心を鎮めるいい薬になったし、古い歴史を感じる喫茶店で来るはずの人を待つ珈琲は、そのほろ苦さが自分の運命を表す味の様な気がして心がざわついた。

そんな時代がつい昨日の事のように感じられる。
ガロの「学生街の喫茶店」の時代だって感じた「ドアを開け君が来る気がするよ」なんていう思いが、今はもうもっとずっと遠い遥かな昔の話になってしまったのに。

髪の長いミニスカートのよく笑う少女は、今はもう孫の居るおばあさんかもしれないし、キッと唇を噛んで顔を上げていた美しい人は、どこかで落ち着いた暮らしをしている事だろう。

強烈な夏の陽射しが溢れているこの季節は、昔は「俺の季節」だった事もあったのに、今は敵意で一杯のひたすら厳しい季節としか感じられず、昔はあまり飲まなかったアイスコーヒーが安い珈琲屋での注文の定番になっている。

ああ
たまには冷房の効いた静かな喫茶店で、旨い酸味の強いキリマンジャロをブラックで飲みたいなあ...
「時は流れた」なんて、呟きながら。