ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

アーノルド・パーマーが亡くなった...

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私がゴルフを始めたのは1982~3年、仕事でゴルフ雑誌のイラストを描くようになってからだった。
その当時、アーノルド・パーマーは既に全盛期を過ぎてレギュラーツアーを引退し、1980年から始まったシニアツアー「チャンピオンズツアー」で優勝を重ねていた。

仕事の必要上、ゴルフの色々な事を勉強し、先輩ゴルファーに話を聞き、ゴルフの知識を広げつつあった時、パーマーと言う名前はニクラスよりも沢山聞く事になった。

例えば、パーマーこそ1960年代から一気に世界に広がった「テレビ時代の申し子だった」、「父親から言われたgo for brokeを合い言葉にした、超攻撃的なゴルフは魅力だった」、「ハンサムで陽気で、若い女性に圧倒的な人気があった」(その全盛期、ニクラスは「オハイオの白豚」と悪口を言われた程、太って格好が悪かった)、「初めて沢山の個人の応援団がついて回り、「アーニーズアーミー」と呼ばれていた」、「勝ち方も劇的だったが、負け方も劇的だった」....等々。

しかし、私がテレビで見て特に気に入ったのがあの「ハイフィニッシュ」。
丸太の様な太い腕でのフックグリップで、常に思い切り引っ叩くスイングは、ちょっと狂うと大フックになってトラブルを引き起こす...なので思い切り振り切ったクラブを両肘を高く上げて逃がし、ヘッドの走り過ぎを防ぐ為にああいう形になったとか。
他のゴルファーにはいない独特なフィニッシュで、実にダイナミックで格好が良かった。
当時、ゴルフでちょっと飛ばしに自信があるヤツは、誰でも一度はああいうフィニッシュを真似した事があったと思う。

また、ニクラスやプレーヤーの3人が日本で試合をしたのを見たと言う老ゴルファーが、「ニクラスはロフト9度のドライバーで天高く打ち上げて飛ばしていたけど、パーマーはロフト14度のドライバーで地を這う様なティーショットを打っていた」「そのパーマーのボールは、100ヤード以上先迄人の頭の高さで飛んで行って、その後一気に3段ロケットのように宙に上がって行った」と、うっとりした顔で語ってくれたのをずっと今でも覚えている。

当時実際に自分が見たテレビでのパーマーのスイングは、既に60歳近くなっていた為にハイフィニッシュも小さめで迫力もあまり感じなかったけど...
その腕の太さとダイナミックさの名残は十分感じる事が出来た。


パーマーは1980年代迄試合で活躍し、マスターズには2004年迄出場を続けた。
また、ゴルフ以外に実業家としても大成功し、生涯裕福に暮らした「幸せなゴルファー」でもあった。

享年87歳、心臓病であったと報道されている。




...ツアーを引退した時に、ジャック・ニクラスに「刻んだことがあったか?」と聞かれて、「無いよ」と答えた。
「Hit it Hard」と「Go for broke」を生涯通したゴルファーだった。


上手いゴルファーにも、下手なゴルファーにも愛されたゴルファーだった。


合掌。