ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

オリンピックのゴルフを見直せ!

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不思議な話だ。
オリンピックのゴルフ、ゴルフの試合としては実に面白かったのだ。
J・ローズとH・ステンソンの最終ホール迄もつれる優勝争い、最終日に強烈な追い上げを見せたM・クーチャー、その後にピータース、カブレラベロー、アフィバーンラトと続き....
コースだって素晴らしかった。

でも、何かシラケた気持ちだった。
そう考えていると、これがイギリスのローズ対スウェーデンのステンソン、それにアメリカのクーチャーが続き、それをベルギーのピータースとスペインのカブレラベローとタイのアフィバーンラトが追いかけて...なんて書くと、「ああ・・・そうか」なんて判って来る。
我々は、オリンピックの最中にはいつの間にか「日本頑張れ!」なんて気持ちになっちまっているんだ。

オリンピック憲章に「競技は国家間の競争ではなく個人や団体の競争である」なんて書かれているのは十分判っているんだが、色々な競技を見ているといつの間にか(メダルを獲得したのは個人や団体なんだけど)「日本が金メダル!」なんて気持ちになっている。
競技をしている選手の方も、同じ気持ちで競技しているように思う。
例えばウサイン・ボルトに代表される陸上競技の選手は、金メダルを取ると自分の国の国旗を持ってウィニングランをするのが当たり前の光景になっている。
他の競技も同じで、優勝やメダルを獲る事は自分の名誉であり国の名誉であると皆が感じているように見える。
応援にも国旗を振るのが普通で、普段正月や祝日に国旗なんか飾らない人間が、普段見る事も無い様な競技にもメダルが取れそうになると声を合わせて応援する。
別に右翼でも国粋主義者じゃなくても、いや普段左翼と言われている人達でさえ、前評判が良くなかった様な選手がメダルを取ったりすると素直に喜ぶ気持ちになるだろう。
普段目にする事が無い様な(日本では)競技人口の少ない変わった競技も、そこで日本選手がメダルを取ったりすれば急に人気が出たりする...そんなときは取った選手よりも競技の方が注目されたりして。

やっぱり、オリンピックってのは普通の人には本音は国別対抗戦なのだ。
だから獲得メダル数の国別順位が新聞やテレビで発表される。

そこで、ゴルフ。
今回のゴルフ競技はオリンピック憲章に則った、「正しい」オリンピックゴルフだったと思う。
だけど、それはJ・ローズやH・ステンソンにとって、なんだったんだろうか?
もちろん彼等が純粋に喜んでいるのは判るが、私には「メジャーの勲章は手に入れたから、もう一つ久しぶりのオリンピックの勲章の名誉も手に入ればいい」なんて余裕が感じられる。
彼等は金も名誉も既に手に入れた「成功者」で、他の競技のアマチュア選手達の「国と名誉と生活を背負って命がけで戦っている」状態とは明らかに違う。
世界ランク上位のデイやスピースやジョンソン、マキロイらが(たとえジカ熱やら治安の悪さが心配とは言え)とっとと不出場を決めた事も、そんなイメージを強くさせる。
このオリンピックの試合で得るのは個人の名誉のみで、(賞金も無い)競技であるから...なお一層そんな感じがするのだ。

このままではオリンピックでのゴルフは続かないだろう。
明らかに他の競技とは空気が違い過ぎる。
せめて国別対抗・二人一組の試合にするべきだ。
それならまだオリンピックの空気に馴染めるだろう。
しかし、敢えて極論を言うなら(もちろん暴言なんだけど)、「参加者はアマチュのみにしてメダリストには大きなチャンスと権利を与える」ようにするべきだ。
例えばメダリストは世界のプロやアマツアーへの4年間無制限・無条件・無経費参加資格獲得...「全英OPや全米OPをはじめとするあらゆる国のナショナルオープンに対する経費付きの無制限無料参加の権利」とか。
マチュアだけど大きな懸賞金が出てもいいだろう....アマチュアが世界規模でゴルフの試合に出るって事は、莫大な経費がかかるんだから、このメダルを取ればアマチュア規定の例外とするとか(どうせ4年に一度なんだから4年で3人だけの例外だ)。

どんなもんだろう?