ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

オリンピックという「興行」

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昨日、ある通信社のスポーツ関係の記事を書いている執筆者の懇親会があった。
結構長くゴルフの連載を描いているのでずっと参加しているのだが、いろいろな分野のスポーツの裏話が聞けてとても興味深い。

いつもはこの時期の、例えば野球ならキャンプの情報とか新人の様子とか。
例えばゴルフなら、もう開催されているアメリカやヨーロッパのツアーの様子とか。
競馬や、ヨットや、格闘技の裏話までが聞ける。

そんな中で昨夜話題になったのが、オリンピックの競技からレスリングが外されたという話。
誰もが、まさかレスリングがあのテコンドーとか近代5種の代わりに外されるとは思っていなかっただろうけれど、オリンピックを取り仕切っているIOCという団体のうさんくささから関係者はそういう事も予想していたらしい。
そして、「ロビー活動」という名の「贈収賄活動」の実態も。

日本人は、どうしても「正しいものが勝つ」とか、「何も人に後ろ指さされるような事をしていなければ、真実はやがて明らかになる」という考えになりがちだが、世界の常識はとてもそんなものではないという事。
良識や理念.理想などというものは、普遍の真理に基づいた世界共通の認識ではない、というのが現実だと。

それがこのオリンピックの騒ぎで明らかになった。
いみじくも14人のIOCの委員の一人が言っていた、「もっと我々に活動しなくては、難しい」なんて言葉は、つまり「票が欲しければもっと金を出せ」と言う意味だろう。

今の世界は、「声のでかいものが勝つ」「裏金をより多く出すものが勝つ」という世界なのだ。
どこかの国のように「嘘も百回言えば本当になる」なんて考えの方が世界に認められてしまうのだ。

そもそも今のオリンピックは、始まった当初の高尚な理念や理想などとは全く関係なくなってしまっている。
これは今では4年に一度のただの世界的な興行で、それを商売に利用しようとする人間とそこから発生するあぶく銭を奪い合おうとする人間のために存在している。
彼らにとっては、競技内容よりどの競技が「金をつれてくるか」であり、委員のつながりのある競技をどのように優遇するか(それもまた上手く行けば大きな金が伴ってくるから)だけなのだ。
そのために、ロビー活動という名の買収合戦が半ば公然と行われる。

それに参加しない...というか出来ないのが日本なのだ。
「オリンピックで...」という意識は、そういう裏の動きを躊躇させる。
「だから日本も負けないようにロビー活動を」という意見には、賛成する人は多くはないだろう。
どうしても意識は、「オリンピックには崇高な理念があり、それを汚すような事はしたくない」となってしまうから。
今の世界では、それでは「甘い」のだ...が、甘くないように動くべきだろうか?

ある情報では、レスリングが外される方向に行った理由の一つに「ヨーロッパやアメリカの選手がメダルを取れないから」という事もあるらしい。
最近のオリンピックのレスリングで授与されたメダル73個のうち、西ヨーロッパの選手が取ったメダルはたったの3個!
テコンドーや近代5種の方がずっとたくさんのメダルを取っているそうだ。
(そのレスリングで多くメダルを取ったのは、東欧諸国とロシア、それにイランなど中東の国、そして日本...)

オリンピックを目指している選手達にあえて言ってもしょうがないが、オリンピックは誰かが儲けようとしている興行なのだ、というのも事実だと知った方がいい。
既にオリンピックからは、開催当初の高尚な理念は失われている、と。

政治的なアピールをしようが、営利目的な活動をしようが、たいした問題にはならなくなっているのが今のオリンピックの姿なのだ。