ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

再開

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Hさんは、一年中出しっ放しのコタツに入ってワンカップを開ける。
摘みには柿の種...最近はずっとこんなもんだ。

もう東京を離れて10年になる。
東京、と言っても近郊の所謂ベッドタウンだが、Hさんは都心まで1時間程の街でずっと暮らしていた。
親の代から続く小さな工務店を経営し、誠実な仕事ぶりで地元での評判は非常に良かった。
二つ下の妻と二人の娘とで、贅沢は出来ないがそれなりに不満のない生活を送っていた。
そしてHさんは真面目な工務店経営者という顔の他に、近所のゴルフ練習場の常連であり、練習場の常連達が数多く入っている近県の中堅コースのメンバーでもあった。
そのコースでのハンデは3...練習場の経営者以外ではトップハンデで、仲間達のレッスンをしたりゴルフ関係の悩みの相談に乗ったりもしていた。
妻も女性としては立派なオフィシャルハンデ10で、ゴルフの上手い夫婦として名が知れていた。

ずっと続くと思っていたそんな生活が、急激に変わったのは15年程前か...
メインで仕事を受けていた地元の大手の建設会社の経営がおかしくなった。
その建設会社自体の業績は悪くなかったのだが、そこが関わっていた全国区の大手の建設会社が問題を起こした。
いくつかの犯罪的なゴシップが報道されて、一気に経営が傾いた。
そこから仕事で関わっていた地元の大手が、本来受け取るべき資金を失った。
倒産を避けようとその大手は資金の流れを絞り込み、傘下の企業に対して無理を承知の支払い延期を頼み込んだ。
Hさんの所も当然そうした連絡を受けて、困難な状況になった。
早い段階でHさんは覚悟した....入り口が止められれば出口にまわる金はどうやったって自分に都合出来るものではなかった。
ずるいことではあったが、苦肉の策として奥さんに都合出来るだけの現金を渡して離婚した。
そして残りの全ての資産を金に変えて、世話になった所から順に支払い出来るだけの借金を支払った。
間もなくHさんの工務店は不渡りを出して倒産...同時に練習場に来ていた人達はHさんが自己破産して夜逃げした、との噂を聞いた。
練習場の経営者はこっそりHさんから挨拶されていたが、事情を他の人達に話すことはなかった。

今、Hさんは九州の果てにいる。
この地の反対側には離婚した妻の実家があって、そこで妻と娘は暮らしている。
年に1~2度会いに行くが、あとはHさんは一人でこの地で宅急便の運転手と清掃の仕事をして暮らしている。
4畳半一間のアパートにはテレビもないが、ゴミ箱で拾って来た新聞や雑誌を見る。
なるべく生活を切り詰めて、ある程度お金が貯まると以前の知り合いの借金の返済に充てる。
練習場のゴルフ仲間には、仕事が傾き始めた時に借りた借金がいくつかあった。
彼等はゴルフ仲間の信用で、百万単位の金を貸してくれたものだ。
今はそれを全て返し終わるのが人生の目標になっている。

部屋の片隅には燃えないゴミの集積場で拾って来た古いアイアンが一本ある。
こんな生活で外で素振りなんかすると目立つので、たまにグリップしてみるくらいだが...クラブを持つとあのゴルフを楽しんでいた時代のことが頭に蘇る。

そして、またあんな風にゴルフを楽しみたい、としみじみ思う。

まだ借金は残っている...自己破産したんだからかえさなくてもいい理屈だけれど、ゴルファーとしての自分を信じて金を貸してくれたかってのゴルフ仲間達を裏切れない。
もう既に騙してしまったのが事実だけど、せめて借りた金だけは返したい...返し終われば、いつかまたあの練習場で、あのゴルフ場でゴルフを楽しめる時が来るかも知れない。
勿論彼等に土下座して謝ってからだけど。

ワンカップ一杯と柿の種を肴に、Hさんはいつも緑の夢を見る。
緑の中を飛んで行く、白いボールの夢を見る。
青い空の下で、ゴルフを再開した記念のショットを打つ自分の姿。
...その傍らには、きっと自分と再婚した妻が一緒にいるはずの。