ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

よくある話...

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それは、まだゴルフを始めて間もない頃、ウッドはパーシモン、スチールシャフト以外のシャフトはカーボンシャフトと言われていた頃の話。


車を運転していて、偶然「ゴルフクラブ 売ります 買います」という看板を見かけた。
当時はゴルフの中古クラブなんて言うのは大手の「古道具屋」か、「セコハンショップ」の片隅に置かれていただけで、大抵大昔の錆び付いたアイアンとひびの入ったパーシモンヘッドのウッドばかりで素振り用に買うくらいしかなかった...値段も数百円の投げ売りで。
ただ、新品のクラブはとても高価なものばかりで(安いのは初心者用のハーフセットだけ)、評判の良いものは数十回のローンで手に入れるしかなかった。
そんな時代にゴルフクラブの中古というのは興味があった。
店は小さかったが、入ってみると箱に入れた中古のアイアンセットやウッドセットが所狭しと並べられている。
そのクラブは嬉しい事にまだまだ十分使える程度の良さで、大体が2~3年から5~6年前のモデルで値段もなんとか無理すれば現金で買えるくらいの値段だった。
例えば、当時の新製品のアイアンセットは12万くらいから25万くらいしていたが、ここの2~3年落ちは6~7万円、5年落ちなら3万くらいから買えた。
当時の自分のクラブは、初心者用から近くのディスカウントショップの「中・上級者用」に買い替えてはいたが、ゴルフの仕事をするにつれそのアイアンが一流メーカーの物では無い事がわかって来て恥ずかしい思いをしていた(仕事がダイジェストの仕事だったので編集者と一緒にゴルフをする度に「何これ?どこのクラブ?」なんて笑われていた)。

その店の店主は40歳前後のいかにもゴルフ好きと言う感じの人で、自分の趣味から思いついた商売だと言っていた。
何度も店に行って話をするようになると、値札より安くしてくれると言うので、まず安くても名の知れたもの...ベン・ホーガンやマグレガーやスポルディングの古いものを買うことになった。
買って打ってみて合わない時には、また売りに行くとちょうど今の中古ショップの保証期間の返品制度のように少し高いクラブなら差額で売ってくれた。
なので、まず安いアイアンを買ってから、合わないとも追ったら少し高いのに変えて行く...と言う形で沢山のアイアンを使ってみる事が出来た。
まず2万円台のいい感じのベン・ホーガンのアイアンから。
その後、ダイワのプロ7000にしたり、ピンアイ2にしたり...

しかし、結構客が来ているように見えたこの店も、商売としては苦しかったようだった。
茶店のようにコーヒーの飲める店にしたり、店の場所を変えたりしてはいたが。

店主との面白おかしいゴルフの話の間に
「娘の為の貯金も下ろしたんだ...」
「生命保険を解約したよ。」
「もう、金を借りられないんだ..」
なんて言葉が出て来るようになった。

その後も町内でのゴルフコンペを開催したり、試打会を開いたりはしていたが...
仕事が忙しくて1ヶ月程遊びに行く事が出来なかった後、店を訪ねてみると...店の看板は外され、中は空っぽになっていた。

ゴルフの色々なプレーの面白さ、クラブを見る目の確かさ、これからはこう言う店が必要なんだという考え方...それはどれも、今でも彼が正しいと思っているが...彼は負けてしまった。

その店が無くなった後、御徒町で洒落た初老のゴルファーがやっていた店「フェスティバルゴルフ」に行くようになった。
そこはまだ小さな店で、自分が行くとその主人はいつもコーヒーを出してくれてゴルフ談義に花が咲いた...そしてあるとき、その主人に「店をもっと知ってもらいたいのだけど、いい方法が無いかな?」と相談を受けた。
そこで、ダイジェストに話をして当時の用品用具の雑誌「チョイス」に取材してもらった。
潰れた店の主人だった男と同じ考えの「フェスティバルゴルフ」は、その後急速に名前が知られて行った...その主人も喜んでくれて、ますます頻繁に遊びに行くようになった..が。
ある日、遊びに行くと店では見知らぬ若い男が「社長」と呼ばれていた。
事情を聞くと「父は亡くなりました。」
...それ以来、その店にはたまに客として行くだけになった。

あの彼の店に遊びに行っていた頃にもう少しダイジェストに顔が利いていたら、彼はうまく困難を乗り切ってこの御徒町の店のように大きく発展させられたかも知れない...でも、当時の自分には何も出来なかった...それが苦い悔いとなって残った。

世間には、よくある話なんだろうけれど。