ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

彼岸過ぎ..

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父が生前に用意していた墓は、父が育った場所に近い由緒ある寺にある。
...我が家からは少し遠く不便な場所だ。
そこには、結局親孝行もしないうちに無くなった両親と、2年前子宮頸癌で突然逝ってしまった妹が眠る。

24日、少し暑さが残るが秋らしく晴れた空の下、久しぶりの墓参りに行って来た。
車で約2時間。

もう季節はすっかり秋になってしまったようだ。
あれほど煩かったアブラゼミの鳴き声は消え、ツクツクホウシの鳴き声が時折聞こえるくらい。
替わりにコオロギを始めとする秋の虫の声が辺りを埋め尽くす。

空は高くなり、無数の赤とんぼが空を舞う。
陽射しはまだ強くとも、時折吹く風はすっかり涼しい秋の風になっている。

逝ってしまった人々に相対すると、自分は彼等の「生きたかった時間」の様に「ちゃんと生きて」来たのか? という思いにいつも責められる。
「つい流されてなかったか?」
「ただ無駄にしてなかったか?」
「いつも逃げてなかったか?」
...勿論、立派な答えなんて言えるはずも無い。


つくづく俺は俗物なんだよなあ...
臆病で見栄っ張り、嘘つきで卑怯者で偽善者で偽悪者で、無責任でいい加減で利口ぶりたい愚か者。
残念ながら特に秀でたものは無く、半端な才能半端な技術で行き当たりばったりで生きて来た。
普通なら通用しそうにないこの人生は、単に人に会う運のみで歩き続ける事が出来た。

そうした「出会った人たち」が、少しずつ去って行く。

若く奇麗な女性がいた。
美しく聡明で、演劇に未来をかけ、劇団やテレビで認められ始めた時に膠原病に倒れ、自ら命を絶った。
「お兄ちゃん」と慕われながら、俺は何の力にもなれなかった。

若く優秀な山男で、底知れない雑学の知識に溢れた会話が魅力の編集者は、30代で肺癌に倒れて逝ってしまった。
将来の編集長候補として能力を高く評価されていた彼は、私の才能を一番認めてくれていて「一緒に面白い本を作りましょう!」と、いつも変わった企画を持って来て描かせてくれた。
でも、まだ何もいい仕事はできなかったのに。

九州の地に自給自足の「人生の楽園」を作った、元編集長の「鉄人」も...健康に絶対の自信のあった身体が...不意の病に突然足下をすくわれた。

何人ものゴルフを愛し、漫画を愛した仲間の漫画家が、「まだ描きたいものも描いてないのに」突然倒れてこの世を去った。

妹は公務員として自分の人生を設計し、準備を重ねて...「さあこれからが私の人生」と言う時に病に倒れた。


それなのに...生き延びているこの俺は、何時までたっても反省しながら更生しない...なんて馬鹿な男だろう。
俗物は俗物なりに、「ちゃんと生きなきゃダメだよなあ」とまた反省が積み重なる。

ついこの前田植えをしていたと思ったら、もう既に殆どの田んぼは稲刈りを終えている。
もう蛙の声は無く、稲刈りを終えた田んぼには白鷺が何羽も見える。
稲刈りをしたあとには麦わらが、まるで小人の小さな家の様に並んで立っている。

あちこちで白い煙が上がっている。
...その麦わらを焼く匂いが、たまらなく好きだ。