ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2019年最後の日だから

明日から前を向くから、今日はちょっと後ろ向きの事を書いてみる。

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今もゴルフ仲間はいる。
「みんないい奴だ」なんてお為ごかしは言わないけれど、嘘偽り無く思い当たる「いい人」を数えてみるとなんと10人以上いる!...ああ、俺は幸せな奴なんだ、としみじみ思う。
ただ、そのほとんどが年下なのが、それも10歳前後年下な事が...ちょっと寂しい。
(昔の写真で笑う同年代の友達は、みんな別れたか違う世界に行ってしまったんだよなあ。)


...娘二人が生まれた頃に、絵を描き始めた時に知り合った一つ年下のsyuuzouと同い年のsyouzouと酒を飲んだ時の事だ。
俺はゴルフの仕事を始める前で、フリーのイラストレーターとしてあちこちの雑誌にカットを描いていたが、忙しい割りに稼ぎは少なく不安定で、ちゃんと勤めて給料をもらっている奴らにご馳走してもらうことも多かった。
俺は貧乏暮らしの真ん中で、何故か「それでもいい」なんていう優しい娘と思ってもいなかった若い24歳という年齢で結婚してしまい(出来ちゃった結婚じゃ無いぞ)、カップラーメンを分け合うような生活をしていた。
絵の教育も受けず、愛想も言えずお世辞も言えず、真面目だけが取り柄で売り込みも出来ないのに、3ヶ月だけ居たデザイン会社で知り合った人たちに気に入ってもらえて、仕事を紹介してもらっていた。
そのうちに編集者で気に入ってくれる人が増えていって仕事量が増え、カップラーメン以外を食べられる生活になり、長女が生まれると免許を取って中古の車を買った(360cc2サイクルエンジンの軽のオンボロ中古4WDジムニー...最高速80kも出ない故障だらけのボロ車だったけど、こんな車で「うちが車を持てるなんて思わなかった」と奥さんは泣いていた)。
やがて30過ぎに生まれた二人目も娘だったことから、この下の娘が20歳になる50過ぎまでが俺の責任、それまでは何としても生きていけるほどは稼いで行きたい、と改めて考えた。
そのためには、肉体的にもかなりの無理をしなければダメだろうとの想いから、酔っ払ったついでに二人に俺の人生たった一度の頼み事をした。
「俺はこういう生活で50・60まで稼ぎ続け生き続ける自信がないから、もし俺が死んだら残った俺の奥さんと娘の面倒を見てくれないか」と。
syuuzouとsyouzouは「おお、任せておけ!」との二つ返事で快諾してくれた。

この二人が俺に頼ることは多々あっても、俺から何かを彼らに頼った事はそれまで一度も無かったが...この一つだけの頼み事の約束は俺には支えになった。
たとえ俺が行き倒れても、あいつらは残った俺の家族の力になってくれる、と。
俺はそれからずっと、全く何の疑念も無くこの約束を信じていた。

先にsyouzouが病に倒れた。
山あり谷ありの人生の後、故郷の鹿児島で脳卒中を起こして入院した。
半身のマヒのために、一人で暮らすことが出来ずに病院に入院したままとなった。
東京からは遠い鹿児島の地での入院生活を送るsyouzouに、俺たちが会いに行けるのは3年に一回がやっとだった。

3年前にsyuuzouが倒れた。
携帯も持たないsyuuzouとは、彼の定年退職後酒を飲むチャンスも少なくなっていたが、相変わらず楽しい酒を飲み続けていると思っていた。
しかし、実は彼は在職中から糖尿病だったのを隠していたらしく(彼の奥さんさえ、倒れた後で知った)、自宅で突然倒れて脳幹出血と診断された。
治療不可能・自力での食事や会話・意思の疏通も難しい、と言う事で...俺は見舞いを希望していたが、とうとう叶うことは無かった。
俺が彼の立場でも、うまく意思を伝えられない状態で昔の仲間と会うことは辛かろうと想像して、いつか奇跡が起きることだけを願っていた。
...俺は彼が亡くなるまで、あの昔の約束を彼は守るつもりだったろうと思っていた。
syuuzouの死に顔は、病で痩せたためか彼が憧れていたジョン・レノンにそっくりのハンサムさで、まるで俺が絵を描き始めた時に出合った時代のヤツのようで...
美しい奥さんの「あの人はあなたの才能に嫉妬していたのよ」という言葉にも、泣けた。

syouzouは、俺に会いに東京まで来ようとリハビリに励んでいた、というが...体力は落ちて行って、3年ごとに会う度に奴の行動範囲は小さくなっていた。
事情は知らないが、syouzouが死ぬまで家族は一度も見舞いに来ず、結局奴の見舞いに来るのは俺たちだけだったらしい。
syouzouの世話をしていた彼の実の姉から、syouzouが亡くなる前の最後の言葉が「俺に会いたい」との言葉だったと...聞いた時には泣けた。
「なぜ、あなただけは見舞いに来てくれるの?」という彼のお姉さんの問いかけには、「もし逆の立場だったら、必ずあいつは俺に会いに来ると信じているから」と、俺が本心から答えることが出来る男だった。


「なんだよ、俺が死んだら俺の家族の面倒を見てくれるって約束したのに、先に死んじまうのかよ」
そんな言葉が出そうになるが、俺はもう70歳。
あの時飲んで約束したのは30歳くらいの時か...「なんとか無理してでも娘が20歳を超えるまで」との目標だった50歳はとっくに過ぎて、「仕事があり続けるなんて想像も出来ない」と思っていた60歳もまた、あっという間に過ぎてしまった。
そして、「親父が死んだ歳までは生きられないだろう」と諦めていた70歳が今。

相変わらず仕事でイラストを描き続け、酒を飲み続け、そして夫婦で爆安のゴルフをなんとか楽しんでいる。
娘二人も元気に育ち、(結婚の話は聞かないが)それぞれ楽しみを見つけ出して真面目に生きている。

自分じゃ全く変わっていないと思う俺自身も、現実の鏡に映るのは見た事も無い頭の薄い肥満したみっともないジジーで、いかにもボロっちく小汚い。
だけど「そのボロさこそ、正直な俺の姿・生き様だ」って最近気に入る様になって来た...だからゴルフ道具だってゴルフウェアだって、俺の好みはみんな古くてくたびれ感満載のものばかり...つまり俺のテーマは「古くてボロくて薄汚い」。

そういやキャンピングカーだって、塗装が剥げてボロボロだし(笑)。


ありがとな、syuuzouとsyouzou。
俺はお前らが越えられなかった、70の壁を超えて生きて行く。
いつどうなるか分からない人生、俺はお前たちがいたことで力づけられて生きて来た。
口には出さなかったけど、具体的に頼ったことはなかったけれど、真実は俺の方がお前たちを頼りにしていたのかも知れないな。
ありがとな、俺のツレ達よ。



お前らが二人ともゴルフをやらなかったのは、残念だったけどな。