ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

見送って...

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昨日が通夜、今日が告別式だった。

数年振りで会ったお前は、まるで別人の風貌で...街ですれ違っても俺はきっと気がつかないだろう...それほど様変わりしていた。
お前が会いたくなかったのも、よく判る。

しかし、お前はハンサムだったんだなあ。


遠くからやって来た沢山の親族と、10数人の友人と、立派に健気にやり遂げた奥さんと家族に送られてお前は煙になって行った。

お前の人生はお前のもので、他人の俺がどうこう言える資格なんかありゃあしないが、お前の人生はすこぶる豊かなものだったろうと俺は感じている。
例え、俗世においての名誉も名声も資産も何にも無かったにしても、だ。

俺もたまには考える。
死んだ後はどうなるのか、みんなどこに行ってしまうのか?
天国や地獄があるのか?
それとも、生まれ変わってまた違う人生を生きるのか?
それとも、残るのは全くの「無」だけなのか?

(俺はうっすらと「輪廻転生」を信じてはいる。)

頭の悪い俺には人生の難しい哲学的な意味なんて、どうでもいい事。
今迄無数に繰り返されて来た「俺」の前身の人生達は、今回の「俺の人生」を生かす為の土台になったのだ。
俺の番になる迄の彼等の人生に比べると、今回の俺の人生は相当恵まれている。
例え世間的な成功も名誉も名声も、ついでに金も財産も何にも無くとも、思い返せば数限りなく実力以上の幸運に恵まれて、胸を張って卑屈にならずに生きて来られた。
だから、死んでから永遠に地獄に堕ちても全く悔いはない。
俺には、今生きている人生が全てなのだ。
心の底からそう思う。


だから、やがて俺も煙になる日が来たら、(地獄に堕ちる覚悟をしてから)「ああ、なんて素晴らしい人生だったんだ」と言えると確信している。
(もちろん、俺は俗物だからその後にはきっと「それにつけても、金の欲しさよ」ぐらい言うけどね。)




さあ、煙になった修三よ、今宵は一緒に酒を飲もう。