ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

知られざる名器!? 「掘っくり返し屋のノート5」

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パーシモン時代の、俗に名器と呼ばれる1940ー60年代の古きマグレガーウッドのファンは国内でも多く、皆さん集めて鑑賞してみたり、修理や使用するなど様々なカタチで愉しまれている。
ここでマグレガー社のアンティーク(クラシック)・ヴィンテージファンの方々に報告、そして探してみられる事をオススメするモデルの話を書きましょう。

それはトミー・アーマー以外の693モデル?
クラフトマンの手によるプロトタイプやプロ支給品?
いやいやそれ等は魅力的だが、私が述べるのはクラブのロゴにシャムロックのマークが使われていた、クロフォード・マグレガー&キャンビー社時代末期に日本のゴルファーの為に造られた、宮本留吉、安田幸吉、浅見緑蔵モデルのウッドクラブである。

この日本プロゴルフ初期を代表する三名手のモデルの存在に気がついたのは当時の雑誌広告からでは無く、国内クラブメーカー揺籃期について書かれているユニバーサルゴルフ社の『ゴルフ用品業界総覧』に掲載された、マグレガー代理店(1925ー38間)イシイカジヤマの1934年度カタログからであった。
そこには三人が1931年にアメリカ遠征した際ロサンゼルス市長と握手をしている写真の下に『Pro-Model.MACGREGOU CLUBS.SPEC マグレガー特製宮本、浅見、安田三大プロモデル発売』とあり、広告を要約(大分組み替えたが)すると以下の様な物である。
・三プロのモデルは日本のゴルファーの長・短所を熟知している彼等の経験・研究から造られ、従来のプロモデルとは一線を画しており、各々独自の特徴を有している。
そしてマグレガー社が日本のゴルファーの為に、同社のあらゆる技術と科学的なテストによって前例の無いプロモデルを製造したのである。

この雑誌広告を探すと1933年の『GOLF』1月号あたりから~3回出ており、そこにはドライバー、ブラッシー、スプーン、バフィの4本セットだと書かれてはいるが、値段やクラブのイラスト・写真は載っていない。
ここでもう一度34年のカタログを見ると、エキストラクラブの項目にASAMIのバフィの名が在り値段は¥34・50、クラブの特徴は
・ヘッド:マホガニーフィニッシュ、サイン(オートグラフ)形刻印入り
・フェース:底部にファイバーインサート
・ソール:キーストン型ソールプレート
・シャフト:ツルーテンパー社製クロムメッキ
・グリップ:黒皮の高級品
・浅見緑蔵の名入り
以上であるが、この他の情報は今の所見られないでいる。

クロフォード~時代同社は1900年に非公式全米op勝者ウィリー・ダンJRと1年間スタッフ契約(W.Dを組み込んだロゴがある)をしたり、同じ頃広告に1899年全米op勝者ウィリー・ホアがウチのクラブとボールを使っているという写真付き広告を見た事がある。
しかしクラブのモデル名となると、W・DとロゴにつけられたJ・マグレガー(同名のスコットランド職人がアメリカに短期滞在していたが詳細不明)=(後者は普通に別のモデル名がついているが)を除いて皆、数字やアルファベットから始まってエッジモント、OA、パイロット、ポピュラー、ワールドウィン、バッブ、クレイモア、チーフトゥンといった人物名とは関係のない物ばかりの為、我らが三プロのモデルは経営が替わりトミー・アーマーを筆頭とするプロモデルを製造する以前のマグレガーにおいて注目すべき存在だろう。
(訂正:「マグレガーとウィリー・ダンjrの契約は1898年3月から、WDのロゴは同年5月18日から」(前者www.miamivalleygolf.orgのMacgregor in our Areaからの2006年時書き写し。後者PatrickKennedy[Amerikan 1998-1930 Golfclub Trade Mark`s](JGA資料室)より)

ただ私は以前、世界的なヒッコリーゴルファーであるランディ・ジェンセンがイーベイにショップを出していた頃、出品クラブの中にヒッコリーシャフトでフェース中央に野球ボールを模した象牙象眼(インサート板でなく地の木にである)の入ったマグレガー、タイ・カップモデルのウッドを見たが、あれはどういったモデルであったのか...右利き用であったと記憶しているので、カップ本人に送られた物では無いだろうし、そうだとしても(確かだが)即決1600ドルは安すぎるが、結局何も判らない内に売れて行った...

それはともかくである。
主題の三名手のクラブはどれくらい造られたのであろうか。
イシイカジヤマで働いていた職人の回想によると、クラブは三ヶ月に一回の割合でアメリカから入荷しており、本数は一度につき200セット位(ただフルセットかウッド・アイアン別々かは不明)だったというから、マグレガーの経営変換期と重なっている事と合わせて考えると精々各十数~数十セットくらいではなかろうか。
もしアメリカでも販売されていれば(日本人経営のショップもあったので)もう少し多いだろうか...

もしそうであればコレクターが持っているか、一山いくらの中に紛れ込んでいるか、オークションに出てくるだろうか(以前イーベイでミズノの宮本留吉モデルのウッドが出ていたが)。
国内限定販売であったら現在までに破損、戦災、接収、価値を知らずに廃棄といった事があるだろうから、それらを踏まえて探すとなるとベン・ホーガンやその他の693やプロトタイプどころか、名工の造った『本物の』ロングノーズウッドを探すよりも(こちらは市場があるので)大変やも知れない。

たとえ実物が見付からなくても、戦前に世界的となるメーカーから日本人プロのモデルが出ていた事は日本のゴルフ用具史に特筆すべき事だろう。
だが私は記述のみのクラブ達が、コレクターの皆さんの執念と情熱によって現実の世界に戻ってくるのではと、淡い期待を持っている。


主な参考文

ゴルフ用品業界 1994 ユニバーサルゴルフ
*Golf 1933年合本 目黒書店
Golf In The Making(2nd Edition) 1986 イアン・ヘンダーソン デヴィッド・スターク
ANTIQUE Golf Collectibles (3rd Edition) 2004 Chuck・Furjanic
*はJGA資料室にて閲覧



(この文の著作権は松村信吾氏に所属します)